クリスチャンの体験談:生きて働く神さま #9

救いの証

  • Iさん 40代女性
 私は祖母からはじまったクリスチャンの家に生まれました。
 しかしながら教会にきちんと通うようになったのは小学5年生からです。
 祖母に連れられてイースターに行ったのがはじまりです。教会に来られない父と母のために自宅に牧師先生が月に一度来て下さり家庭集会をもっていました。私もそこに小さい頃から出席しており、神様はいるんだなあと思っていました。
 小学高学年になってから食事の前に祖母と兄と私で聖書を順番に一節ずつ読むことが始まりました。祖母がその日自分の心に留まった聖書のみ言葉を書くようにとメモ帳も用意してくれていました。おなかは空いているのにその聖書を読むことが終わらなければ食事にありつけないという状況で、時にはわざと早口で聖書を読んだり、メモ帳もみみずの這った様な字で書いたり、少し抵抗を試みていました。(特に名前ばかりの章やレビ記は??でした。)
 でも今考えるとその様な時間を持っていたことは本当に感謝な時間だったことを懐かしく思います。

 私がイエス様を自分の救い主として信じたのは中学1年生の時です。
 午後の集会に来るように当時おられた佐藤信子先生に言われました。そして先生は集会が始まる前に「村上先生が手を挙げなさいと言ったら挙げるのよ」と言っておられました。
 何だろうと思いましたが、その時語られたメッセージはそのまま私の心に届き、イエス様が私の罪のために身代わりに十字架にかかってくださったことがよくわかりました。そして祈りのなかで「イエス様を自分の救い主と信じる決心をした人は手を挙げてください」という言葉があり、佐藤先生が言っていたのはこのことかと思いながら自分自身で決心して手を挙げました。佐藤先生が事前に教えてくれなければ小心者の私は手を挙げられなかったのかもしれません。少し恥ずかしいですが、これも神様の導きだったと思います。
 それから洗礼を受けて今に至ります。
 しかしながら、いつも良いことばかりで悩みがなかったわけではありません。具体的にはお話できませんが、家庭で本当につらいことが2年ほどありました。次々に起こる問題に押しつぶされそうになり泣いてばかりいましたが、そんなつらい状況の中で祈っていると神様は本当により頼み信頼できるのは神様だけだということを教えてくださいました。そして解決を祈り続けたところ本当によい道を開いて下さったのです。今考えるとその経験は高慢な私が本当に神様の前にへりくだり、打ち砕かれるために必要だったのだと思わされます。
 ずいぶん年ばかりとっても未熟な私ですが、残された神様から与えられた時間を神様のために用いてくださいと日々願っています。