子育て通信 #144

一番大事な時期は?

子育てが大変な時代

 大変な事件が続出。
 こんなに言われ続けてるのに「いじめ」が無くならない。
 最近は子どもも自殺する。
 子どもにもうつ病が続出。
 「発達障害」という言葉に困惑するお母さん。
 なんと子育てが難しく感じられる時代になったことでしょうか。

「うちの子だけが遅れている」という相談も多く受けました。
 子どもが「みんな、持ってるから、買って!」と言う時の「みんな」は何人でしょうか? 子どもに踊らされる親も多くみてきましたが、私もその一人だったかも知れません。
 では、どの様に子育てをすれば良いのでしょうか? 

 最近は子育てに関しての疑問もスマホでサッと調べるそうです。
 子どもにもスマホやタブレットを与えてゲームなどさせておとなしくさせている風景も多々見てきました。
 すごい時代になったものです。これでいいのか? と思いつつも現実はこういう世界です。
 どんな子育てが一番良いのか?
 

みんな違う

 「子どもはみんな違う」ということは今や当たり前のこととしてごく普通に語られています。しかし、この当たり前のことがやはりまだまだ理解されていないようです。
 よく言われる「画一教育」のように、みんな同じことをする、同じことができるようにする、同じことができないと恥、などという考え方は根強く残っています。
 横並びに安心する日本。みんなと同じ子育てでないと安心できない人がいます。
 しかし、子どもはみんな違うし、親もみんな違います。ということは、子育ても違ってよいはずなんですが・・・

聖書は・・・

 前にも引用した聖書の言葉ですが、私にはすごく心に残る言葉です。
若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
そうすれば、年老いても、それから離れない。
 では、「行く道」って何でしょうか?
 これがわかれば子育ての方向性も決まるような気がします。
 あなたは子どもをどのようにしたいのですか? それは絶対に正しいですか? 
 私は絶対に正しいのは神様だけと信じています。その神様がくださった聖書の言葉こそ、「その行く道」であり、聖書の言葉で教育することが大切なことだと信じています。

ガチガチ教育よりも

 しかし、注意したいのは、聖書の言葉の通りに子育て、教育するとすると、必ずといってよいほど、ガチガチの律法主義になります。
 実は、聖書はそのように、ガチガチになってしまった「律法主義者」に警告を与えているのです。
 真面目に子育てすることは良いことなのですが、子どもを見失ってしまった「子育て」「教育」をするところにその真面目の問題が起こります。つまり、「子ども」を忘れた「子育て」「教育」が目的になると、目の前の子どもが見失われてしまって、お母さんに笑顔さえなくなった子育てになるのです。当然、子どもの心は虚しくなるのです。

 聖書の言葉の通りに子育てするのは良いことなのですが、その言葉の中にしっかりと込められているものは「愛」であることを見出していただきたいのです。
 聖書(旧約聖書)の言葉をガチガチに守っていた律法主義に陥ってしまった人にイエス様は警告を与えたわけですが、その人たちはイエス様がなさったことすら、受け入れられなくてイエス様に腹を立てたのです。
 なぜでしょうか? イエス様は当時のユダヤ人が近づいてはいけないと言っていた重い皮膚病の病人に近づかれたり、ユダヤの指導者達がバカにしていた人々の所に積極的に話しに行かれました。律法にガチガチのユダヤの指導者達はそんなイエス様に腹を立てたわけです。
 しかし、そうした行動はイエス様の愛から出たことでした。しかも、聖書を正しく読むならばこのイエス様のなさったことこそ大事なことであり、神様の愛そのものであることがわかります。「愛」それこそが聖書の中心なのです。

子育ての中心は「愛」

 私は「子育て」「教育」の中心は「愛」であると信じています。愛は律法を超えます。愛の故に子どもが悪の道から立ち返っている事実が今もあるではありませんか。
 水谷修先生(夜回り先生)の本も何冊も読みました、講演会にも聞きに行きましたが、水谷先生の活動は「愛」以外の何ものでもありません。
 新宿などの繁華街を夜に見回り、中高生を見つけると帰るように話をし、苦しんでいる少年達にはご自分の携帯アドレスを教えて相談に乗ってこられました。いつ寝ておられるのかと思うようなこの水谷先生のお陰でどれほど多くの少年達が救われたことでしょう。

 しかし、また、大変厳しく接しておられる先生方の本も数冊読みましたが、厳しいけれどもここにも「愛」があるのです。その結果、涙しながらでも少年達は悔い改めて変わっていくのです。やはり「愛」なのです。
 子ども(人)は心で生きているのです。「方法論」というより、もっと大事なものがあるということです。
 心のない、形だけでしつけようとする、教育しようとすると、もともと「愛」によって成長するのが子どもですから、そういう形だけ、ガチガチのしつけ、子育て、教育に対して拒否反応を示すのです。
 子どもの年齢が違っても「子育て」「教育」の中心は「愛」です。

子育てに大切な・・・


 「3歳までの子育てに大切なたった5つのこと」(講談社 健康ライブラリー 佐々木正美監修)という本に書かれている、5つのこととは、
  • 1.遠くから見守る
  • 2.ほほ笑みをを返す
  • 3.泣いたらあやす
  • 4.できるまで待つ
  • 5.いっしょに遊ぶ
です。

 私はこの本を読んでもやはり「愛」が基本であると感じました。基本的な「5つ」ですが、これをマニュアル通りに行うことは可能です。しかし、それを行うことだけが目的になると「聖書」をガチガチに守るのと同じになります。「聖書」の中心が愛であるように、この「5つ」も「愛」をもって行うことで成り立つのです。

我が子を愛せない

 しかし、人によっては愛をもって行うということが苦手な方があります。私のところに相談にお出でになった方でも数名のお母さんは「自分の子どもなのに好きになれない」「愛せない」と言われるのです。
 一番最初にこの話を聞いた時は信じられない思いでした。「母親が我が子を愛せない(好きになれない)ということがあるのだろうか?」と心底疑問でした。しかし、書店を探しまわっている内にそういう本を見つけました。その内にそういう関係の本が次々に出てきたのです。
 最初はどのようにアドバイスして良いのかわからず、お母さんと考えに考えて、お父さんに協力していただくことにしました。
 お父さんにできるだけスキンシップの時間を多くとってもらったのです。結果的にこれは上手くいきました。
 二人目が誕生したとき、また心配したのですが、この方の場合、二人目は愛せたのです。しかも、上のお子さんも大きくなると愛せるようになってきたのです。不思議です。

へりくだって祈る

 「愛さねば!」と思いすぎるとストレスになるのかも知れません。「私には愛する力も無い」とへりくだって、神様に「お助けください」と祈ることがすごく大事なことだと思うのです。
 私は、子どもは神様から預けられており、子育ては神様との協力の中で行うものだと信じています。
 子どもはみんな違うので、その子育ての方法もみんな違うはずですし、違って良いと思います。神様が私たちを愛してくださっているので、私たちも神様を愛し、神様がくださった子ども達を愛するのです。

 その上で、「祈り」は「愛」だと思っています。子どものために、家族のために祈らずにはおれないという熱い心があるのではないでしょうか。

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