子育て通信 #181

時間の共有

コロナの夏

 今年は9月21日(月)が「敬老の日」です。翌22日は「秋分の日」。一般的には四連休ですが、新型コロナウイルスの問題で色々なことが変化した昨今。この四連休はどうなのでしょうか?
 毎年大混雑するお盆の時期の帰省ラッシュも今年はありませんでした。子ども達の夏休みも短縮され、たった9日間の夏休みというところもあったそうです。
 そして、遠く離れたおじいちゃん・おばあちゃんの家に行くことを楽しみにしていた子ども達も行けなくなってしまったかもしれません。また、孫を待ち望んだおじいちゃん・おばあちゃんも大変さみしい夏だったかも知れません。

作文「おばあちゃん」

 「家族のために」という本から次のコラムを引用しました。
 小学三年生の女の子が、「おばあちゃん」という作文を書きました。
 私は、これを読むたびに子どもの観察眼の鋭さに舌を巻きます。こういう作文です。「おばあちゃんとは、自分の子どもがいない女の人のことです」面白い定義ですね。
おばあちゃんは、ひとの息子や娘をかわいがります。
おばあちゃんには、特に仕事はありません。
年寄りなので、無理をしたり、走ったりしません。
乗り物がいっぱいある遊園地に連れて行ってくれます。
細かいお金をたくさん持っています。
散歩に出たら、きれいな葉っぱや、毛虫のそばをゆっくり歩きます。
『早くしなさい』とは、言いません。
おばあちゃんが本を読む時は、とばし読みをしません。
同じ本を何度でも読んでくれます。
誰にでもおばあちゃんがいるといいと思います。
時間のある大人は、おばあちゃんだけだもの

 子どもの書いたものとは思えない程、示唆に富んだ文章です。この子は、大好きなおばあちゃんのことを上手に書き表したばかりか、子どもが本当に求めているのは何かを簡素に述べています。それは、子どものためにたっぷりと時間を取ってくれる大人なのです。
 このコラムから子どもの必要としているものが見えてきます。子ども達は自分と時間を共にしてくれる人が必要です。

ステイホームの中で

 時間を共有すると言うことの大切さは多くのお父さん、お母さん達にはわかっていることなのですが、現実の忙しさでなかなかその共有する時間が持てないということを聞きます。
 しかし、このコロナ禍の中で親がリモートワークになり、思いがけず親子で時間を共有することができた家庭が増えたみたいです。中野・杉並の公園に朝早くから親子でランニングしている姿、子どもの縄跳びに協力している姿、夏になると親子で虫取り、高いところにいるセミをお父さんが一生懸命捕ってあげている姿などが見受けられました。でもさすがに8月の猛暑でその姿も減りました。このコロナ問題はもちろん大変ではあったのですが、親子の時間が増えたという恵みがあったのも事実のようです。
 しかし、しかしです。普段から親子で長い時間を共有する事に慣れていないためか、子どもを叱ることも増えたように聞きます。特にリモートワークのために自宅で仕事をしている親御さんは子ども達のうるさい声に「うるさい!」「静かにしなさい!」という声が増えたのです。
 親御さんにしてももっとのんびり子ども達と過ごしてやりたいと思うものの子ども達もそう外に出せない、親も忙しい、今までに無いストレスが親子にかかってきました。子ども達は幼稚園や学校に行けず、家にいるというある種長い休みができたので、嬉しい反面、メリハリが無く、なんかつまらない時間が過ぎていきます。

新聞記事から

 8月22日の朝日新聞の記事で「作文と教育」という定期誌が取り上げられ、子どもの作文の一部が紹介されていました。以下のようなものです。

 京都市立西京極小学校6年の安達ゆうたさんは学校再開後、「コロナの日々」と題した作文を書いた。《朝八時におきて、勉強して、午後からボーッとしていました。たまに家に、「遊ぼう。」と声をかけにきてくれることもあったけど、「ごめん、無理。」といつもいっていて、わざわざ来てくれたのに断るのはとても辛かったです。》
 一方、自粛生活の中で、父親のそれまで知らなかった一面も目の当たりに。《お父さんは家でテレワークをしていました。家ではごろごろしているお父さんですが、会社の人との電話では、すごくまじめに話していて、すごくおどろきました。》
 高知県の小6、西内陸仁さんは、こう書き始めた。《ぼくは、休みになるので、うれしかったです。》だが最後はこう締めた。
 《学校に行くと、ひさしぶりのみんなの声を聞いたり笑顔を見たりしました。ぼくは、こう思いました。「自由はそんなにいいことばかりじゃない」と、休みたい気持ちを心におしこめました。》
 大阪府の小5、森本義章さんの作文の題はずばり、「マスク」だ。《学校のかえりにマスクをはずしました。そこで思ったのが(これがいつもの感じなんだなー)ときもちよく風にあたりながらかえりました。》
 特集の後半では、小学校教諭ら5人が現場での取り組みを振り返った。福岡県の公立小教諭、坂田美穂さんは「学校給食で食をつないでいた子ども。学校でしか学習に取り組めない子ども」と書き、コロナ禍での教育格差の拡大を指摘。自らがこれまでに担任してきた、経済的に恵まれない子どもらの言葉を紹介した。
 《「先生、おなか減ったらどうしたらいいか分かる? 寝たらいいばい。おなかすいてるの、忘れるけん。」「おうちより、児相(児童相談所)がいいな。」「うちには、サンタさん、一回も来たことないもん。」》
 その上で、「彼らにとっての『ステイホーム』とはどんな日常だったことでしょう。」と付け加えた。

 考えさせられる記事、作文でした。今年、子ども達は今までに無い体験をし、良い経験になった部分もある反面、大変辛い思いをした子ども達もいるのだということを感じました。
 医療現場はものすごく大変だったと思いますが、教育現場も大変だったようです。いえ、大変だった人はたくさんおられます。そういう意味でも、私たちは「大変さ」という時間を共有したのかも知れません。
 8月に原爆記念日、終戦記念日があり、関連のニュースや戦時中の体験が語られるのを聞きながら、あの時はもっと「大変さ」を大人も子どもも共有されたのだなあと思いました。

父の祈り

 戦後の日本にたくさんの宣教師を招いたマッカーサーが自分の息子のために祈った「父の祈り (A Father's Prayer)」と呼ばれる祈りがあります。それは次のような祈りです。
主よ、私の息子に、自分が弱いときにそれを認めるだけの強さを、恐れているときにその自分と向き合う勇気を与えてください。
 敗北の中でも誇りを失わず、勝利の中では謙遜に優しくなれますように。・・・
 主よ、息子があなたを知り、自分自身も知りますように。それこそが知識の始めなのですから。
 彼を簡単な安楽な道へと導くのではなく、困難と挑戦に満ちた道へと導いてください。その中で、彼が嵐に立ち向かうすべを学び、倒れている者をかばう優しさを学ぶことができますように。
 主よ、心が清く、その目標が高い人物へと、彼をつくり上げてください。
 他人を制する以前に自分を制することができ、笑うことを学び、しかし泣くことも決して忘れず、将来に向けて手を伸ばしつつも、過去を決して忘れない人にしてください。
 加えて、彼にユーモアのセンスを与えてください。常に真剣ではあっても、気負いすぎないようになるためです。
 彼に謙遜を与え、偉大さとは飾らないものであることを、真の知恵とは広い心であることを、真の力は優しさであることを教えてください。
 そうしたら父である私は、小さな声でささやく勇気を得るでしょう、「私の人生は無駄ではなかった」と

  (翻訳はいくつかあるようです)

 これまた考えさせられる「祈り」でした。私も子ども達のために祈っている一人です。我が子のためにはもちろん祈りますが、我が子のことだけ祈っているのではありません。しかし、この「父の祈り」は我が子のためであると同時に、自分もこうなることが大事だと思わされる祈りでした。
 家族との時間の共有は大事ですが、神様との時間の共有もとても大事です。

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