子育て通信 #106

自分を振り返ってみれば 1

あれから10年が過ぎた

 私たち一家が東京に来て10年が過ぎ、11年目に入りました。48才だった私も58才になりました。当たり前の事ですが、とても当たり前に思えません。自分は50才までに死んでしまうのではないかと思ったこともあります。

 東京に来て初めの順調な滑り出しに期待感が溢れてきたところで、入院・手術、鬱的症状、痛みとの闘い、次々やってくる心身の不調に、いやーな不安感を覚えたのは51才からでした。

 こんな気持ちを子どもたちに知られては大変だと思いました。東京に慣れていないのは私だけでは無く、家内も子どもたちも、必死に頑張っているのですから。弱音を吐きたくない、不安な気持ちを家族に知らせたくないと思っていましたが、動けなくなり、寝ているしかない状態の私になった時、家族はどんな思いでいたのだろうかと思います。

 もともと大黒柱のような父親ではなく、爪楊枝くらいの父親ですから、あまり子どもたちも気にしなかったかも知れません。「お父さん、疲れているの。今日も寝ているんだね」くらいのものだったかも知れません。

神様は不思議をなさる

 こんな私ですから、子育てのことを話す資格も力も無いのですが、この弱さの中で、何人かの弱さに悩む青年達に出会ってきました。神様は不思議なことをなさると思いました。私みたいに弱い人間を用いることは無いだろうと思ったのに、この弱さを持ってしまったがため、出会わせてくださったのだと思えるのです。彼らの気持ちが何かわかるのです。と言っても「辛いだろうなあ」「大変だなあ」くらいです。でも、以前は同じ言葉で表現していたその気持ちが、言葉では表現できない感覚となって感じているのです。ジーンと伝わってくるのです。何のお手伝いもできず、辛い気持ちを聞いているだけなのですが、何度も話しに来てくださるのです。それが、私には大きな支えとなりました。

 人は愛されないと死ぬと言いますし、生きる目的が無いと死ぬとも言われています。私が58才まで生きて来れたのはこの両方があったからだと思います。

 先日、私たちの教団の神学生(将来牧師になることを目指して勉強中の学生)の説教を聞きました。彼女の大変な人生が語られ、ある人は涙しておられました。よく生きてこられたなあ、しかも、今こんなに明るく。そう思いながら聞いていましたが、感動の連続でした。とても、私なんかの人生と比べものにならないようなすごい人生です。この人の経験は必ず、誰かの辛さや悲しみを和らげるだろうと思いました。

幸せな人生って?

 親は誰もが子どもには幸せな人生を歩んで欲しいと願います。ところが「幸せ」というものは、意外と不明瞭なもので、人それぞれ受け止め方が違うようです。

 親が子どもの幸せのためにと思ってしたことが子どものためにならなかったという話はたくさん聞きます。「苦労させたくない」と思って、親は子どものために人生の路線を計画し、その上を歩ませようとすることもしばしばですが、思春期やそれを過ぎてから、親子の間で大変なことになるという話も嫌と言うほど聞いています。

 一体子どもの幸せのために親は何ができるのでしょうか? 何をしなければならないのでしょうか? 何をしてはいけないのでしょうか?

親に感謝していること

 私が親に感謝しているのは、一番に「母の祈り」です(現在進行形)。そして、「干渉し過ぎが無かった」ということです。父は私に対して、やや無関心であったせいか、干渉もあまりありませんでした。そんな父の最大の干渉は私がクリスチャンになった時でした。「藤井家の跡取りがキリスト教になるとは何事じゃ。とっとと教会を辞めて来い!!」と、怒鳴りつけてきました。

 しかし、良いしつけをしていただいたお陰(笑)で、この父親に思いきり反抗し、教会を辞めませんでした。

 次に来たのは、牧師になると言った時です。当たり前でしょうね。「耶蘇坊主になんかなるな!」と。殺されるかも知れないと思いました。

 その次は結婚を決めたときでした。「クリスチャンとの結婚なんか許さん!お前の結婚相手はわしが決める!」と。ここまで言ってしまった父ですから、いい顔をして家内(もちろん当時は彼女ですが)とは会ってくれず、あまり口もききませんでした。家内には辛い思いをさせたと思います。

 そんな父も家内が渡すバレンタインチョコを誇らしげにしていたりする子どもっぽさは、私だって見逃しはしませんでしたが。

 信仰に関して私の人生に干渉してきた父でしたが、今思うと私はその干渉を蹴っ飛ばしてきたわけです。他はほとんど干渉された覚えが無いので、大いに感謝しています。

 さっきも書きましたが、父は私に干渉しなかったというより、自分中心の人でした。私のことなんかより、自分のしたいことをしていた人なのです。その自分のしたいこと、人生設計を壊すようなことをすると干渉してくるわけです。

 こんな父に感謝していると言えるのは、父は私に「勉強しろ!」とは言わなかったことです。受験前にスランプで1週間全く勉強しないで、テレビばっかり見ていたときでさえ言いませんでした。それは本当に感謝なことでした。スランプを抜けたら、猛然と勉強しましたから。

 しかし、何と言っても母に祈られていたことは大きいですね。母も「勉強しろ」とは言いませんでしたが、成績が悪いので心配して、「家庭教師にでも来てもらおうか?」と言ったことがありました。厳しい家計を知っている私は「そんなもん、いらん!」で終わってしまいました。

 反抗期の中学・高校時代、母に反抗したと思います。それでも、ひたすら祈り続けてくれる母でした。

 この母の祈りが今の私を存在させていると言っても過言ではありません。クリスチャンになっていなければ・・? と考えたこともありますが、劣等感にさいなまれ、アトピーなどに苦しみ、人間関係をうまく築けず、世をはかなんで自殺していたかも知れません。本当にそれが考えられるのです。

 そんな私が今、家庭を持ち、58才まで生きているのです。立派な子育てなんてできる人間なんかじゃありません。子どものために祈り、過干渉にならないことだけ意識したかも知れません。また、感謝なことに、家内も過干渉にならない人です。その点は子どもたちもすごく助かっていると思います。

私が苦労していること

 私は国立大学を出て、中学校の教師にもなったから勉強ができると思っている人がいますが、私は勉強ができたわけではありません。どうも記憶能力が子どもの時から弱いみたいなのです。

 このことは今も私を苦しめている一つです。色々な大事な事をすぐに忘れてしまうのです。最近は歳のせいもあってか、さらにひどいです。人の名前を覚えるのは大変です。予定を覚えておくのも大変です。本当に苦労しています。

 自分の記憶力が悪い(弱い)とはっきり分かったのは中学1年生の時でした。中学校に入って新しく友達ができ、とても成績の良い友人ができました。彼はいつも満点か満点に近い点数を取るのです。

 相当勉強しているのだろうなあと思い、ある日、彼に聞いてみました。「一日、何時間勉強しているの?」4時間、5時間という答が返ってくると思っていました。私は2-3時間でしたから。

 ところが、彼は、「家ではほとんど勉強していない」と言うのです。「宿題をするくらいだし、時には宿題も学校でやってしまう」というのです。つまり、彼は授業中に聞いたことを見事に記憶しているのです。私にはそれが出来ませんでした。それどころか、家に帰って復習しても、すぐ忘れていくのです。

 実際、彼の家に行って、一緒に勉強したことがありますが、彼はその日に習ったことを見事に記憶していたのです。だから、確かに勉強らしい勉強もせずに、私に教えてくれるだけでした。ショックでしたね。「神がいるなら、どうしてこんなにも不公平に人間を造るのだ!」と思いました。その頃はまだクリスチャンではなく、神の存在を信じてはいませんでしたから。

 ところが、聖書には、
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3:16)
という言葉があり、私も愛されていることを知ってから、本当に人生が変わりました。

 (次回へ)

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