子育て通信 #108

自分を振り返ってみれば 3

家庭教師でも役だった

 前回、私が高校受験、大学受験を前にして自分でやってみた勉強方法を書きました。それは記憶力の弱い私の場合であり、記憶力の良い人であれば、私のやったことはばからしく思えるかも知れません。

 しかし、大学生の時に家庭教師として教えた10名ほどの小・中学生に、この私の方法はかなりの効果が得られたことを思うと、多くの子どもたちに合っている方法だと思います。

 家庭教師ではどのようにしたかというと、小学6年生には基本的に国語、算数、理科の3教科を、中学生は国語、数学、英語の3教科を中心にしていました。1教科を問題を解くなど15-20分で終え、間違ったものはその日のうちに繰り返すという方式です。さらに、その間違えたものは次回必ずしました。

 勉強の合間には算数・数学のクイズをしたり、英語はクリスワードパズルをしたりして気分転換と考える力をつけるようにしました。

 国語、英語は音読も重視しました。見るだけよりも、声に出して、その声を耳で聞くとより理解が深まるからです。と、問題を解く時にも、問題文を声に出して読ませたり、何を求めているのかわかるように問題文に印を付けさせたりしました。

予習をがんばった

 さらに私が中学3年生から行った勉強方法には、「予習重視」があります。復習よりも予習するようにし、「復習は授業中だ」と決めたのです。予習してわからなかったところは、授業で真剣に聞きますから、とても効果がありました。真剣に聞いてみてわかったことは、1時間の授業を真剣に受けると結構クタクタになる、ということでした。

 さらに、休み時間にサッカーなどして大暴れすると疲れが取れることもわかりました。休憩時間にじっと休んでいると返って疲れは取れないのです。種類の違うものに切り替えるといいのです。頭の疲れは体を動かすと回復するみたいです。

 家での教科書を積み重ねた短時間勉強法も、英語など苦手な科目の次には、好きな数学や理科を置くようにしました。さらに疲れた時はバットの素振りなどをしていました。

中3の時のやり方

 この「予習重視勉強法」をもう少し詳しく説明します。中学3年生の時にやった方法です。

 翌日の授業の時間割を合わせて教科書などをカバンに入れますが、その際、教科書を開いて、明日進むであろう範囲をとにかく読みました。さっと一読して理解できればそれで良いのですが、理解できないところはしっかり聞くように、教科書に印を付けておきました。

 また、「何か一つ質問をしよう」と考えました。どこを質問するか考えると、考えながら読むようになりました。つまり、さっと目を通すだけで無くなったということです。この自分なりの方法を簡単に見つけたように思われるかも知れませんが、質問を作るということに到達するのにも、考えながら読むようになるのも結構時間がかかっていたと思います。形になった頃には受験だったような気がします。

 数学は例題を読んで、問題を実際に解きます。数学は好きでしたが、予習となるとわからないことは多いです。わからないところを見つけておいて、そこを授業中にしっかり聞くようにと教科書に印を付けておきました(今なら付箋を貼るのでしょうね)。

 不得意の英語はテキストを全部ノート左ページに書き写し、右ページには訳を書いていきました(私はいまだに英語が苦手ですから、この方法は良いのか悪いのかよくわかりません)。ただ、その時にしたのは、左ページに教科書を丸写しするのですが、行間をゆとりをもって空けたことです。単語の品詞や意味を書くと共に、熟語にアンダーラインを引いたり、訳しやすくする工夫をしました。当時の英語の授業は英文を読んで訳すのが中心で、私も英語は訳せれば良いと思い込んでいました。ヒヤリングなんて考えたことも無かったのですから呆れたものです。

 国語は漢字を覚えました。その時に注意したのは書き順でした。テストでは書き順はほとんど問題にならないのですが、辞書で書き順を確認して間違えないように気をつけました。でも、大人になってから、いくつかの漢字の書き順を間違って覚えていたことを発見するのです。この辺が一人で勉強していたための問題点かも知れません。見てくれる人がいれば中学生の時に解決していたかも知れません。

授業が楽しい

 こんなことを予習として工夫していたのですから、授業に出ると先生の話は基本的にわかるのです。わかるということは楽しいのです。

 わからないところは教科書に印があるので、しっかり聞きます。しかも、質問を用意しています。聞いていて理解できれば質問は消えますが、それでも残る質問は授業が終わったら、先生に聞くようにしてみました。

 これは私の性格からいってとても難しいことでした。勇気のいることでした。初めて先生に質問に行った時、心臓はドキドキでした。「こんな事もわからんのか!」と叱られるのではないかとも思いました。ところが、先生に質問すると、先生は授業中よりも優しく、丁寧に教えてくださるのです。しかも、質問したことをほめてくださったのです。初めての質問の時に優しくしてもらえたから、その後も質問をすることができるようになったと思います。

 こうした予習重視の勉強をして、高校受験に臨んだわけです。

 経済的に厳しかった我が家でしたので、いわゆる滑り止めの私学を受けることができず、公立一本での受験になりました。でも、落ちたら就職しようなんて簡単に考えていたので、受験は気楽なものでした。

 受験当日は大阪万博の初日だったと思います。私は窓側の席でしたので、珍しくちらつく雪を見ながら、「こっちの方向で万博やってんだなあ」なんて思いながら、受けていました。

 受けた高校が新設校ということもあってか、受験者数が予想しにくかったようです。女子は百数十名が落ちたのに、男子は250名定員のところ、十数名しか落ちませんでした。お陰で私も合格できました。落ちてもいいと思っていたとはいっても、やはり合格するとすごく嬉しく、「この高校で頑張るぞ」と意欲が湧きました。

祈られている幸い

 この高校受験の頃は、私はまだクリスチャンにはなっていません。しかし、振り返ると母と教会の方々の祈りがあったことを後になって知り、感動するのです。

もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
(聖書 マタイの福音書18:19)
 こういう聖書の言葉もクリスチャンになって知るのですが、祈られている子どもは本当に幸いです。祈られていなければ、私みたいな子どもはどうなっていたかわかりません。

 また、私は祈られていたからこそ、自分にあった勉強方法を考えついたのではないかなと後になって思ったのです。

 私は時間をかけないとみんなのようには記憶できない子でした。祈られていた私は、こういう自分を過剰に卑下すること無く、楽しんでできる、じぶんにあった勉強方法を考える力をいただいたのだと思うのです。

 「あの中学時代に、教会に行っていれば良かったのになあ」と、クリスチャンになってからどれほど思ったことでしょう。思春期を迎え、反抗期に入っていた私、しかも、父とは距離感のあった私は大事な人生、生き方について、何もまともに考えませんでした。

 教会に行っていれば、中学生のスタッフをしてくださっている方から、または牧師はじめ大人の男性からも色々人生について教えていただけたと思うのです。あの時に教会に行っていなかったことは本当に残念です。

 だから今、私は中学生が教会に来て欲しいと願っています。私にできることはどんどんしたいと思っているのです。実際、大阪にいた時から今までたくさんの小・中学生、高校生と会ってきました。私も楽しいのです。来てください。

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