子育て通信 #124

マリヤ

クリスマス物語

 「マリヤ」という映画がありましたが、イエス様の誕生物語の映画・アニメ・劇は結構たくさんあるようです。You Tubeでもたくさん見ることが出来ます。中には教会が独自でつくった作品もあって、なかなか面白いです。
 そのクリスマス物語で有名な箇所のひとつに、マリヤに天使ガブリエルが現れて語る場面があります。私はこの場面を何度、日曜学校などで劇にしたことでしょう。子どもたちの中からマリヤ役、天使役を決めるのですが、はずかしがりやの子達が演じるので、セリフ棒読みがまたかわいいのです。
 この場面は、天使が突然光の内に現れて、マリヤに「おめでとう」と言ってくる場面なのです。
 赤ちゃんが生まれるとなれば誰だって「おめでとう」と言います。でも、この「おめでとう」を言ったのは天使で、しかも、ナザレという小さな町にいたごく普通の女性マリヤに言ったところがすごい話です。マリヤはまだ15-20歳位の若い女性です。

 天使の言葉は 「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 でした。ごくごく平凡な女性マリヤに天使は 恵まれた方 と、言われたのです。恵まれた人とは誰でしょうか? 主があなたとともにおられます と言っていただける人です。確かに神様が共におられる人は恵まれていると思いませんか?!
 しかし「おめでとう」と言われても、普段見たことも無い天使から言われたのですから、マリヤもとまどいました。普通、こんなことはあり得ないでしょうから、多くの人は単なる作り話だと言うのもうなずけるのです。が、イエス様という神様の子どもが人間となって誕生するというのは人類史でここだけのことですから、検証のしようもなく、信じるか信じないかしかないわけです。

 不思議な言葉を聞いてしまったマリヤは恐れました。マリヤも天使を見るという体験は初めてだったでしょう。ですから恐れるのは普通のことだと思います。
 「宗教は恐い」ということがいつからか言われるようになりました。でも本来宗教は恐いものであってはならないのです。平安を与えるのが宗教です。お金や命まで奪う宗教が出てきたから恐くなったのです。
 マリヤも宗教に入っていたのです。ユダヤ教です。彼女は宗教を恐がったのではありません。天使が現れるという不思議な体験をしてとまどったのです。そんなマリヤに天使は こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。 と語りかけました。

 では、なぜ天使はマリヤのところに現れたのでしょうか?
 神様は人間をお造りになったお方です。しかも人間は神に似せて造られたのに、罪を犯したために神様からの祝福から離れてしまいました。人間は救われなければならない存在になったのです。そこで、神様は人間を救う計画を立ててくださり、旧約聖書ではその救いの計画が預言されたのです。その救い主となってくださったのが、神であるイエス様です(聖書では神様は唯一ですが、三位一体という説明の出来ない存在で、イエス様は神のひとり子ということになります)。
 神様のすごい計画はとてもマリヤには理解出来ないことだったと思います。しかし、神様の子どもを自分が生み、育てることになる事は理解したのです。
 天使に あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 と、言われたのですが、ヨセフとも結婚していないのに子どもが出来るわけがないと思いました。
 そこで、天使は 聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。 と言ったのです。マリヤが生む男の子はもちろん人間なのですが、罪人ではいけないために、聖霊によってみごもるというのです。こんな事は人類史上、彼女にだけ起こったことですから、常識ではもちろん信じられない話です。


信じられない話だが

 私は何度もこの話をしてきたのですが、時々話す力を失いそうになります。だって、普通じゃ信じられない話ですから。
 そういう話は聖書にたくさんあるのですが、最も信じてもらいにくいのが、この「処女降誕」と「イエス様の復活」です。私がまだ神学生の時、ある教会で一緒に泊まり込んだ男性がおられました。彼は若いですが、物理学の教授でした。彼はクリスチャンじゃありません。私は彼にイエス様のことをお話ししていたのですが、この「処女降誕」は信じてもらえませんでした。
 そして、話を続け、「復活」の話をした時、私はこの物理学者にはこれもまた、信じてもらえるはずが無いと思いました。でも、とにかくお話ししました。「イエス様は単に蘇生したのではなく、特別な体、復活体という体で復活したのです。その体は特別なので、病気もしない体です。触ることはできるのに、厳重に閉じられた部屋の中に扉を開けることも無く入ってこられたのです。そういう体です」と伝えたものの、「あー、また信じてもらえない。どうして、こうも聖書は科学的じゃ無いんだ!」と心の中で叫んだ次の瞬間、彼が「そこは信じられるなあ」と言うのです。「どうして?、信じられるの?」と私の方が不思議になって聞き返しました。
 彼は「たとえば、体が壁を通りぬけるとかは理論上はできるんです。物質は空間だらけの電子で出来ているから、あるエネルギーを与えれば、電子がその空間を移動していけるので、人が壁を通りぬけることは出来るんだなあ。ただ、そのエネルギーが発明されていないけれど。だから理論上は出来るんだよ」というようなことを言ったのです。私の方がわからない話になってしまいました。しかし、この物理学者にとっては、処女降誕より、復活の体の方が信じられたのです。
 その後しばらくして、彼はクリスチャンになっていました。彼は科学的に頭で信じたのではないらしいです。ハートが暖かくなって、イエス様がわかったみたいです。


信じること、愛すること

 では、マリヤに話を戻しましょう。マリヤは何を信じたのでしょうか? 常識を信じたのではありません。神を信じたのです。 神にとって不可能なことは一つもありません。 という言葉に要約される神様を丸ごと信じたのです。
 マリヤにとっては天使と出会うというような不思議な体験は初めてでも、神様がおられ、いつも神様に守られていることは知っている人でしたから。若い女性ですが、彼女は日常生活の中で神様を身近に知っていた人なのです。
 マリヤは、神様は全能者だということはわかっています。ですから、神様がなさるのなら、自分の頭では理解出来ないようなことであっても、自分の身に起こることは間違い無いと信じたのです。
 神様がおられるとか、神様は全能者だということを頭で信じるのはできることですが、自分がその神様と強く関わりを持つことを受け入れることはどうでしょうか?
 マリヤは 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」 と言って、受け入れたのです。救い主、イエス・キリストの母となることを受け入れたのです。

 ある障害をもっている子どもさんをもつお母さんは、その子がお腹の中にいる間にお医者様から「お腹の子どもは障害を持っていると思われます。どうされますか?」と問われた時、「どうしますか? とはどういう意味ですか?」と聞き返したそうです。お医者様は、生むか生まないかの選択をしてもらおうとして言われたのですが、このお母さんは「もちろん、生みます。私たちに与えられた大切な赤ちゃんですから」と。
 お医者様から「おめでとう」と言ってもらえず、障害のある赤ちゃんのことを聞いたのですが、このお母さんは障害があろうと無かろうと、自分のお腹の中で懸命に生きている赤ちゃんがいとおしくてたまらなかったのです。

 マリヤも普通で考えれば「おめでとう」という状況では無いのです。でも、マリヤもこのお母さんも、「この子は神様からの授かりもの」と喜んで受け入れたのです。
 子どもは決してその両親の「もの」ではありません。神様から大事な一人の存在をこの地上にあって託しておられるのです。できることなら、もっと社会全体で子どもたちを見守りたいものです。イエス様が誕生された時、羊飼い、博士達、シメオン、アンナというおじいちゃん、おばあちゃんたち多くの人が祝福しました。みんなで子どもたちを祝福し、子どもたちが「愛されている」という実感をしっかりもって成長して欲しいと思います。

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