子育て通信 #128

人を生かす言葉

春だなあ!

 数年前に買ったジンチョウゲの苗木が、教会の前の小さな植え込みに根付いてくれました。毎年小さな白い花を咲かせ、良い香りを漂わせてくれます。
 また、南側の小さな植え込みにも小さなボケの苗木を植えました。猛暑の夏に枯れてしまったかなと思ったのですが、なんと持ちこたえていました。この寒い冬の間に小さな赤い花を一つ二つ咲かせたかと思うと、今やたくさんの花を咲かせています。
 梅、桜、知らない花々、どんどん咲いてくるこの春という季節。私は大好きです。アレルギー体質でアトピーのために物心ついた時から、還暦を迎えた今まで痒みとの闘いは続いており、この季節は痒みで掻きむしることも多いのですが、それでも春は大好きです。
 植物の好きな私には黄緑色の新芽を見たり、青く小さなオオイヌノフグリを見たり、黄色いタンポポを見るのはたまらない感動の季節なのです。東京に来て数年で花粉症にもなり、ますますこの季節はきついのですが、「春だなあ!」と、柔らかい青さの空を見上げて、まだ冷たさの残る風に当たりながら、嬉しさが込み上げるのです。

こんな所に咲いている

 今年は4月5日がイースター(復活祭)なのですが、イエス様は十字架で死なれてから3日目に復活されました。そのことを記念してキリスト教会はお祝いするのです。イースターはクリスマスと違って、決まった日ではないために、年によって3月下旬から4月中旬までのどこかの日曜日になります。ですから、年によって暖かさ、花の種類が違うものなのです。

 数年前、イースターの少し前の日、道を歩いていたらふと歌が生まれました。恥ずかしながら書いてみます。
1.アスファルトのひび割れに 小さなタンポポ
  うつむいてた私に 少し元気をくれた
  まだ風は冷たくても 暖かい力感じる
  まだ春は遠くても 湧き上がる力感じる
  私は弱くて 何もできないけど
  私の中にも イエス様の命がある

2.枯れたような小枝から 小さなつぼみが
  うつむいてた私に 少し笑顔をくれた
  大きな花咲かすこと 考えてなんかないけど
  時を待っているような すごさまで感じられる
  私は弱くて 何もできないけど
  私の中にも イエス様の命がある
 私は気が小さく、精神的にも弱く、すぐに落ち込んでしまうのですが、東京に来て身体を壊し、入院・手術、慢性腎不全、心臓病など次々に起こり、鬱っぽくなっていました。そんな時、ほとんど土の無い東京で、アスファルトのひび割れからでも踏みつけられたタンポポが咲いていたのです。涙が出そうなくらい感動し、力をもらいました。神様の造られた自然の力の素晴らしさを改めて感じたのでした。

言葉の恐さ

 先ほど、私は「すぐに落ち込んでしまう」と言いましたが、「落ち込む」という言葉を私はいつから使うようになったのでしょうか? 
 もう、36~37年も前のことだったと思います。私の教師時代に、「落ち込む」という言葉が流行ったのですが、言葉の恐ろしさを知った時でした。
 それまで生徒達は「落ち込む」という言葉をほとんど使いませんでした(今では普通に使われていますが)。ところがテレビからだったのでしょうか、覚えていないのですが、「落ち込む」という言葉が流行りました。すると「落ち込む」生徒が増えたのです。「落ち込む」という言葉が無かった時は「落ち込む」生徒も少なかったのに、「落ち込む」という言葉が流行り、みんなが「落ち込む」と言い出すと、実際に「落ち込む」生徒が増えたわけです。言葉が人を変えていく恐ろしさを間近で知った時でした。

じゃまくさい

 最近(もっと前からかも知れません)、子ども達と話していて、何かをさせようとすると「じゃまくさい!」という言葉をよく聞くようになりました。ふと「落ち込む」という言葉が流行った時のことを思い出しました。今度は「じゃまくさがって何もしようとしない子」が増えるのかも知れないと、気になるのです。
 人間は言葉で考えるわけです。私は未だに関西弁が抜けないので、関西弁で考えているのだと思います。頭に無い言葉で考えることはできません。「落ち込む」という言葉が入り込んだ時から、子ども達はその言葉に動かされるようになったのです。今度は「じゃまくさい」という言葉に動かされるのでしょうか?

ダメな子

 「ダメ」という言葉が多いと「ダメだ」と思いやすいということです。「あんたって、ダメねえ!」「何度言ったらわかるの!」「こんな点数しか取れないの!」など、子どもに対して否定的な言葉を語ることって結構あるのではないかと思います。「ダメな子」と言われ続ける子は、自分のことを「ダメな人間だ」と思い込むようになると言われています。それほどに言葉には力があるのです。

元気になる言葉

 元気な生き生きした言葉を蓄えて欲しいなあと思います。
 ときどき、子どもが「ファイト、ファイト」や「がんばる、がんばる」と自分を励まして何かをやろうとしている姿を見ることがあります。言葉が身体を動かすのです。やはり、言葉とは大きい存在です。
 子どもはほめて育てるのが良いと言われますが、反対にほめすぎによる問題も言われています。確かにかつて「ほめ殺し」という言葉が流行りました。ほめることは良いことですが、気持がこもっているのかどうか?
 私は「愛の言葉」を語るべきだと思っています。私自身、自分が努力してもできなくて叱られると腹が立ちましたが、失敗して叱られてもその叱った方に愛があると、叱られたこと自体が感謝でした。
 反対にほめられても心がこもっていない言葉には嬉しさはありませんでした。

美しい言葉・生かす言葉

 美しい言葉を蓄えると生き方が美しくなると言われます。反対に汚い言葉、乱暴な言葉が多いとそのようになってしまうものです。
 また、言葉の力は生死にも関係すると思います。ひどい一言で死んでしまう人もいます。肉体的には死を免れても、精神的な死に追い込まれる人もいます。
 子ども達の中には、幼い時に親や大人のきつい言葉にトラウマ状態になってしまい、元気に活動する力を持てなくなる子も大勢います。
 お父さんとお母さんの口汚いののしり合いを聞いた男の子が、女性に対して恐怖心を抱き続けたケースや、同じようにして男性を好きになれず、恋愛も結婚も考えられなくなった女性のケースなど、大人の言葉にマイナスの影響を受けた子ども達が多くいるものなのです。
 反対に言葉数は少なくとも、一言一言に愛情がこもっていて、元気になった子ども達も数知れずいます。

イエス様の言葉

 イエス様の言葉を聞いた人達が、イエス様のファンになり、追っかけをしました。当時のイエス様の語られた言葉が音声として残っていればとても参考になると思うのですが、残念ながらありません。記録を読んで想像するしかありませんが、少なくとも生きる意欲を失っていた人々が元気をもらったことや、希望が湧いてきたのは事実です。そして、その元気の出る、希望をもてるイエス様の言葉をもっと聞きたいと思って追っかけをしたわけです。
 基本的に聖書の言葉は私たちに生きる力を、勇気を与えるものです。将来に希望を持たせるものです。イエス様の時代の指導者がそれを間違えて、厳しさばかり語り、人々から希望を奪いました。そこで、イエス様は本来の聖書の言葉の意味を語り、神様の愛を語るばかりか、実行されたのです。それによって人々に笑顔が戻り、生きる意欲に満ち、愛する力を得たのです。

 私たちも人を元気にする言葉、生かす言葉を語ることができたらどんなに良いだろうかと思います。そこには語るだけでは無く、話を聴くこと(傾聴)の大切さも含まれていると思います。

 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」マタイ 4:4

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