子育て通信 #132

一緒に過ごす

危ない9月1日

 夏休みは無事に終わりましたでしょうか? 家族で一緒に過ごす時間はどれほど持てましたでしょうか?
 しかし、暑い夏でした。新聞やテレビでは熱中症患者が多数出たことを取り上げていました。寝屋川の中学1年生男女が殺された事件にショックを受けました。
 別の記事では、子どもの自殺が9月1日に一番多いと書いていました。その記事を読んだとたん、夏休みの終わる頃の学校を思い出しました。「始業式にみんな元気な顔を見せてくれるだろうか?」と少し不安を覚えたものです。

9月1日、始業式。「全員いる!」ホッとしました。教室に入ると、夏休みの出来事を色々語ってくれる生徒もいます。真っ黒に日焼けした生徒もたくさんいます。私の教師時代にはまだ長期の休み明けに自殺する子ども、学校に来ない子どもも少なかったのは事実です。とは言え、無かったわけではありません。子どもたちの元気な顔を見るまではやはり心配でした。

20日間の学級登校

 3年生を担任した時は、夏休みの20日間を自由な学級登校としました。20日間も学級登校日を設けたのは、生徒達が新学期に学校に来にくくないようにしたかったからです。この20日間は「自由な」ということで、来ても来なくても良いとしました。でもほとんどの生徒は10日以上登校しました。
 班ごとでテストを作成し、それをみんなが解くようにしました。高校受験を控えているので、結構真面目に勉強しました(自分たちで問題を作ると勉強ができるようになるのです)。
 20日間の学級登校は、受験勉強を定着させたかったという側面もありました。一人ではなかなか勉強できなくても、みんながいるとできるものです。
 それと私の個人的なことですが、私が生徒達と会いたかったからです。長く生徒と離れているのがさみしかったのです。
 学級登校は午前中です。午後からは陸上部の活動にしました。

水泳大会のために

 この3年生のクラスではもう一つ楽しいことがありました。私の勤めた学校では、9月初めに水泳大会がありました。1学年11クラスありましたので、1学年だけの水泳大会ですが、それでもプールサイドは満杯状態です。
 私のクラスには、体が弱くて水泳の授業に出たことの無いMさんがいました。彼女を出場させたいというクラスメイトの強い思いがありました。
 このMさんは28歳で亡くなりましたが、子どもの頃から体が弱くて、年間の半分以上を欠席する生徒でした。高校には行けないということで、3年生のこのクラスが彼女の最後の学校生活なのです。そのことを重く受け止めてくれたみんなは、修学旅行に行けそうに無かった彼女にも修学旅行に行けるように頑張ってくれたのです。ご両親も医師に許可を得てくださり、初めての宿泊行事に出席できました。このことはMさん自身の自信にもつながりましたし、クラスのみんなにも大きな喜びとなりました。
 そこで、水泳大会にも出てもらいたい、体育祭にも参加して欲しいと願ったのです。
学級登校日はできるだけプールに入れるようにしました。Mさんはプールに入ってもどうしてよいのか全くわからない様子でした。しかし、みんなが水に顔をつけることを教え、ビート板につかまってバタ足をすることなどを教えてくれました。こういう光景は教師として本当に嬉しくてたまらない光景です。

水泳大会当日の感動

 練習の成果は! 大会当日、Mさんは25m自由形に出場です。前もって先生方にも体育委員会にも了解を得て、Mさんの出場を認めてもらっています。
 飛び込めないMさんはプールの中で、ビート板につかまってスタートしました。とっくに他の選手はゴールしていますが、彼女はまだバタバタしています。何度も立ち止まって顔を上げ、また出発です。途中で止めるかなと思いましたが、なんと彼女は何度も立ち止まったものの最後まで行きました。11クラスみんなから拍手喝采です。あ-、今思いだしても心が熱くなります。
 こんなクラスでしたので、9月1日は不安と共に、すごく楽しみな日でもあったのです。

炎天下の陸上部練習

 一方、20日間の学級登校の午後は陸上部の練習日です。マンモス校だったので、グランドを自由に使える時間は少なく、自由に使える夏休みの部活はありがたかったのです。
 とは言え、午後1時頃から炎天下のグランドでの活動は大変なものです。熱中症になった生徒がいなかったのは不思議です。あの頃の気温は今ほどでは無かったのでしょうね。
 その頃はまだスポーツも根性ものの時代です。「喉が渇いても水を飲むな!」というようなことが普通に言われていました。また、今では何の効果も無い、ただ膝を痛めるだけというウサギ跳びをどれほどさせられたでしょうか。
 幸い私の勤めた学校の近くに整形外科があり、その医師の子どもが陸上部にいました。そのお医者様から中学生の子どもには「ウサギ跳びは膝を傷めるだけで、鍛える効果は何も無い」ということなどを、教師対象のセミナーを開いて教えていただいたのです。中学生といえばすぐに成長痛として膝の痛みを訴えるものですが、こういうセミナーがあったお陰ででしょうか、痛みを訴える生徒は少なかったと思います。

飲まずにおれない

 さて、水の問題ですが、これはすぐに解決しました。私は体育の教師でも無ければ陸上の専門家でもありません。ただ、陸上部の顧問をしているだけでした。しかし、生徒の安全を見守らねばなりません。ですから私は常に生徒と一緒に走りました。
 炎天下のグランドはとても長時間居続けられるものではありません。喉がすぐに渇きます。私も喉がカラカラになります。自分が飲みたくてたまらないので、生徒達にも自由に飲ませました。そんな頃に「ポカリスエット」などが登場するのです。水だけで無く、塩分の必要などを知り、塩を持って来させたこともあります。そして、さらにみんなで色々工夫してみました。自分にあうドリンクを考えたのです。レモン入り、ハチミツ入り、色々考え出しました。それは陸上の大会の当日も大変役に立ちました。各自が自分に合うドリンクを持ってくるのです。お母さんの愛情を感じている生徒もたくさんいました。
 陸上の練習を、あの炎天下でよくやったなあと思います。とても今ではできないですね。23~28歳の若い私だからできたと思います。しかし、生徒達もよく耐えたと思います。あの時にもう一度戻りたいですね。

待ち遠しかった9月1日

 私はなぜこんなにも楽しく教師をさせていただけたのでしょうか? 校長先生はじめ、先生方がとても良かったですし、生徒達も気持の通じ合う、楽しい生徒達でした。だから私は9月1日が待ち遠しかったです。みんなと会えるし、またみんなと毎日、色々な活動ができるのです。
 私が子どもだった時は、夏休みが終わる頃、「アー、もう夏休みが終わる! もっと、休みが欲しい!!」と言っていました。

 この夏、子育ての本を何冊か読んでいて、「子どもたちは一緒に遊んでくれることを望んでいる」という内容に出くわしました。この遊ぶというのは、親が子どもの遊びに付き合うという程度ではなくて、親も一緒に遊ぶことを楽しむということでした。
 このことを学んでいて、ふと、私が教師時代に色々な思い出深い楽しいことがたくさんあった理由がわかりました。
 私は生徒達の活動に付き合っていたというより、確かに一緒になって活動していたと思うのです。それが嫌な生徒もあったと思います。そういう生徒達には本当に申し訳ないのですが・・・(^^;) 私は楽しかったのです。私は教師時代、そうすることで生徒達に良い効果が表れるというような教育的な事を考えてはいませんでした。そんな教育学的な頭を持っていませんでした。ただただ、生徒達が好きで、一緒にいたかったし、一緒に色んなことをしたかっただけです。今になって、子育ての本を読んで、その「一緒に遊ぶ」ということの効果があることを知るとは・・・

共にいる神様

 皆さん、子どもの「子ども時代」はそんなに長くありません。子どもたちが願っているのは「一緒に遊んで!」なのです。「一緒にいたい!」なのです。

 イエス様が偉いラビ(当時のユダヤの指導者である「教師」)のように、お高く良いことだけ言っていたのではなく、民衆の中に入って行かれ、辛い思いをしている人達に直接触れられたのです。
 イエス様の周りには子どもたちも集まったようです。イエス様の事が旧約聖書で「インマヌエル」と預言されて紹介されています。「インマヌエル」とは「私たちと一緒にいてくださる神」という意味なのです。

 この夏、この事だけを学んだのではありませんので、また別の機会にお伝えしたいと思います。

 夏の疲れが出ませんように!

バックナンバー