子育て通信 #137

成人よ、聖人になれ!

成人の日

 私たちの日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団では、各地区で成人の日に「成人祝福式」を行っているところが多くあります。
 私も教区長という立場になって何度か成人祝福式で司式をしました。
 今年また、私は教区長になりましたので、その司式をするために、横浜の杉田キリスト教会に行きました。

 その日、私は司式後、さらに青年達の集会でメッセージを語りました。どんなことを語ったかといいますと、以下のようなものです。ちょっと臭い話です。

聖書の言葉

詩篇119:9-12
 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。
 あなたのことばに従ってそれを守ることです。
 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。
 どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。
 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。
 【主】よ。あなたは、ほむべき方。あなたのおきてを私に教えてください。

昔のトイレ事情

 私が小学生の頃、「JR」ではなくて「国鉄」と呼んでいたのですが、長距離を走る列車にはトイレがついていました。ところが、昔の列車のトイレというのは、そのまま線路に垂れ流していたのです。そのため線路際の家では困ったことがあったそうです。

 実は、昔のヨーロッパでも似たようなトイレ事情があったようです。このような記事があります。
 中世から近世にかけての数百年間、パリの路上には人や動物の糞尿があふれ、腐った食品のくずが散乱し、セーヌ川には屠殺された牛や豚の臓物や血が途切れることなく流れ込んだ。
 うっかり道の端を歩こうものなら、頭上から容赦なく屎尿がぶちまけられた。街は悪臭に満ち、それは王宮にまで及んだ。ひとたび疫病が発生するや、あっという間にパリを席巻し、数千数万の人々の命を奪った。
 古代ローマ人が創りだした水流トイレは中世ヨーロッパには受け継がれずトイレ文化的には退化した時代だったのだ。
 一般の家にはトイレがなく、住民は「おまる」を使用して、「おまる」が一杯になると定められた場所に捨てるのが決まりになっていたが、定められた場所へは持っていかずに、窓から外へ投げ捨てるのが習慣になっていた。
 という話です。あの美しいパリが昔はこんなにも汚れていたというのです。それも、人間の糞尿でです。恐ろしい話です。
 

自分の道は汚れていないか

 このパリの話は、これから歩いて行こうとしている自分の行く道が汚れていることです。慣れてしまうとさほどでは無いのかも知れませんが、上から降ってくることだってあったのです。
 これは道路ですが、皆さんの人生の道がこんなのだったらどうでしょうか? 自分の出したものだけじゃ無い、誰かわからない色々な人や動物の出したものが匂う汚い道だったら。
 しかし、今日の日本の若者も案外気にせず歩いているのかもしれませんよ。インターネットや人々からののうわさ話、良くない映像等々。あなたの道は果たしてきよいですか?
 私たちは目に見える汚い道は気になるものの、目には見えていない自分の人生の道に関しては、あまりにも無頓着ということは無いでしょうか?
 相当汚いものですよ。

神を尋ね求める生き方

 どのようにして若い人は自分の道を きよく保てるでしょうか。という聖書の言葉に対して、その答も聖書に書かれています。あなたのことばに従ってそれを守ることです。 と、神の言葉、聖書に従って守ると教えられています。

 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。の「心を尽くして」は、旧約聖書にあるとても重要な言葉です。
申命記 6:5
 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
です。

 また、イエス様も弟子たちにこう言われています。
マタイ22:37
 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
と。

 果たして、私たちは「心を尽くして」、神を尋ね求めているでしょうか?
 好きな人、好きなタレントのために「心を尽くす」人は多いのではないでしょうか?
 しかし、本当に心を尽くすべきは神様なのです。

聖書を生きる生き方

 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。
 とありますが、私たちは罪を犯さないことをどれくらい意識しているでしょうか?
 「これくらいなら大丈夫だろう」という思いがもたらす悲劇は多くの方がご存知と思います。
 多くの依存症患者さんに聞いて驚いたことがあります。アルコールも、薬物も、ギャンブルも、最初はほんのちょっとからです。「これくらいならすぐ止められる」と悪いとわかっていて、少しだけから始まり、それがちょっとで済まなくなるのです。気がつくと依存症になっていたというわけです。

 私たち人間は楽なこと、悪しき事にはどんどん惹かれていく者なのです。つまり、正しいこと、善なる生き方をするためには、常にその意識を持たねばならないということです。
 正しい生き方、善なる生き方は聖書にあります。神の言葉(聖書)に生きるのはちょっと面倒くさいのです。その面倒くさいことをすることが大事なのです。

神の言葉を心に蓄える生き方

 成人というのは単に20歳になった、大人になったということではないと思います。
 人に対してもですが、神に対しても罪を犯さない生き方をする人になることではないでしょうか。
 あなたに罪を犯さないため と詩編の著者は言っています。
 この著者はそのために 私は、あなたのことばを心にたくわえました。 と言っているのです。これは知識を増やすだけのことを言っているのではなく、神の言葉(聖書の言葉)に、心を尽くして生きることなのです。

  • 人としての原点に返りましょう。
  • 皆さんは神の言葉を愛していますか?
  • 礼拝を大事にしていますか?
  • 人が救われる事を願っていますか?
  • 教会で奉仕していますか?
  • 御言葉を心に蓄えるとは、心から喜んでこうした生き方をすることです。

 「成人」とは「聖人」となることなのです。

 私が小学1年生の頃だったか? 真冬に耐寒遠足なるものがありました。数時間歩いて学校に戻るだけのものですが、昔のことなので、行き帰りの道の横には畑がたくさんありました。
 その畑には入ってはいけないと言われていても、垣根はありません。先生は「絶対に畑に入ってはいけません」と何度も言われました。
 しかし、帰り道、K君はその言いつけを守らず、畑の中へと入っていったのです。すると、彼の姿が消えたのです。何と「のつぼ(肥だめ)」にはまり込んだのです。先生方が急いで引き揚げましたが、その臭さはすごいものでした。近所の学校に頼んで水で洗いましたが、それでも臭いは恐ろしいくらいです。

 神の言葉に従わないとはこういうことです。聖人ではなく、臭い人「臭人」です。皆さん、聖人になってください。

 この時、私は彼を助けた担任の先生をすごいと思いました。先生は自分の汚れをものともせず、彼を助け出したのです。まるで、罪の汚れの中にいる私たちを自らその中に飛び込んで助けてくださったイエス様のようだと、クリスチャンになってから思いだしたのです。

 こんな話をしたのでした。
 成人するには、幼い内から神様の言葉に親しむことが大事です。

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