子育て通信 #139

子どもって、みんな違う

みんな違う

 「ラッキー」という名前を付けた犬を11年間飼いました。病気で死んでしまったのですが、私たちにとっては完全に家族でした。今思いだしても、悲しさがこみ上げてくることがあります。
 この「ラッキー」はミニチュアダックスなのですが、同じ種類の犬が並べられたら、私には見分けがつかないかと思うような、似ている犬が何匹もいます。今でも、同じタイプのダックスを見ると「ラッキー」じゃないかと思うほど似ている犬を見かけます。しかし、その性格はよそのダックスと違うのです。犬でさえ、性格がこんなに違うのですから、人間は当然違います。
 
 人間の指紋はみんな違うといいます。そして、シマウマの縞の模様もみんな違うそうです。もっと驚いたのは雪の結晶です。結晶は六角形ですが、その模様はみんな違うのだそうです。神様の創造のすごさに圧倒されます。
 「みんな違って、みんないい」という金子みすずさんの詩に心打たれる人は多いです。
 わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

 ところが、子育て、教育となると、どうしてみんな同じようにしようとするのでしょうか?
 みんな違うということはそれぞれの子どもにあった子育て、教育があるのではないでしょうか?

男の子と女の子

 権利としての男女平等を疑う気持ちは全くありませんが、誰もが男の子と女の子は違うことは知っています。(確かに「性同一性障害」で自分の性別に悩まれる方はいます。)

 男の子と女の子では育て方に違いはあるのでしょうか?
 あるとも言えますが、男の子と言ってもまたみんな違うものなのです。女の子もそうです。
 私の子ども時代には女の子がサッカーや野球をすることはありませんでした。反対にダンス(フォークダンスではない)を男子はしませんでした。中学生の時には男子は技術科、女子は家庭科と分かれていました。
 近年はこうした違いも無くなってきました。平等に生きるということは基本的に大事なことです。しかし、違うことも認めなくてはなりません。

その子にあった子育て

 男の子でも、元気に走り回る子ばかりではありません。おとなしい子、運動よりも本を読むのが好きな子、女の子で男の子と走り回るのが好きな子、人よりも動物と一緒にいるのが好きな子、実はみんな違うのです。
 教師時代、同じように注意しても全く堪えない子がいて、もっときつく注意しなくてはいけないと思ったことがありますが、それと正反対にちょっとした注意で、自殺してしまうのではないかと思うほど落ち込む子もいました。
 自ずと教育の仕方は違うのです。同じ勉強をしていても、関心の持ち方や、感じ方が違うので、本当はその一人一人の関心・感じ方に合わせた教育ができるのが望ましいのです。当然、子育てもそうです。

社会性が身につく時期

 幼稚園に入ると他の子達との接点が増えます。一気に社会性が増すのです。幼稚園からさらに小学校へと社会性が増すのも当然です
ところが、この時期に他の子達と接触するのが苦手な子もたくさんいます。「苦手」というのにも二面性があり、一般的なのは他の子達の中に入っていきにくい子です。が、もう一方で、どんどん他の子達の中に入っていくのだけれど、自分勝手なふるまいが多く、他の子達が嫌がるタイプの子です。誰もがみんな仲良く遊んでくれることを望みます。
 多くの場合は子どもたちを自由にほおって遊ばせておけばどんどん仲良くなるものです。しかし、誰か大人の手助けによってでないと子どもたちの中に入れない子達もいるのです。
 ここに教育的配慮というものが必要となります。一人一人を大切にする教育、子育て、考えさせられます。

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)と言われた神様の言葉が自分のものになることを祈り願っている一人です。

障がい児学級で得たこと

 私は大学卒業後、教師を目指しましたが、教員採用試験に落ちました。一時、「もう教師にはなれない」と思い、一般職を探し始めたところに、市役所から電話が入り、すぐに教育委員会に行きました。
 すると、中学校の障がい児学級(今の支援学級)の担任の一人として産休講師に入って欲しいということで、喜んで講師として入りました。
 生徒は6人。みんな違うのです。たった6人なのに教師は4人。毎時間4人が授業をするわけではないのですが、それでも1対1で行うことが多々ありました。同じようにできなからです。ここでの8ヶ月間は私にとって教育の原点を直に教わったような気がしました。
 大学生時代に養護学校などで度々実習、ボランティアをしていたのですが、現場はやはり違いました。毎日のように一人の男の子を追いかけて走っていました。「これが教育か?」と、考えさせられつつ、その生徒が危ないことをしないように、見張っていなければならなかったのです。
 しかし、時間が流れると、その生徒が私のことを好いてくれたのか、私に付きまとったり、声をかけてくれたりして、授業も落ち着いてできるようになりました(とはいえ、突然筆箱を投げたり、教科書を投げたりはありましたが)。

 人間関係をつくらないと勉強もできないのだということ、気が乗らないと勉強が進まないのだということ、先生を好きになると勉強が進むこと、楽しいと勉強が進むこと、笑顔が元気を与えること、一緒に食事をすると仲良くなること、よい言葉を与えると勇気が出たり頑張れること等々。このクラスで学びました。

中学校で得たこと

 幸い翌年は採用試験に通り、中学校に正教師として勤めることができました。今度は普通学級で、44名の生徒の担任でした。たった6人でも大変だったあの講師時代に比べて7倍もの生徒です。しかし、授業中にはみんな座ってくれています。そしていわゆる一斉授業ができます。
 私は美術の教師でしたので、絵を描かせたりするわけですが、みんな違います。写実的な絵を描く生徒。絵筆が動かず、ほとんど1時間中絵が描けない生徒。彫刻だと張り切るのに絵画は嫌いな生徒。漫画ばっかり描いている生徒。手よりも口ばっかり動く生徒。美術の時間というのは面白いものです。一斉授業にはならないのです。放っておいてもどんどん作業を進める生徒はそのままでいけるのですが、作業の進まない生徒にはどのようにするとよいのかと考え、横について一緒に考えたり、画用紙にちょっと線を加えてあげたりしました。美術の授業から得たことは、「美術が嫌いな生徒がたくさんいるのだ」ということでした。その日から「どのようにすれば美術を好きになれるか?」が課題でした。
 しかも、それは一人一人ニーズが違うのです。それを見出すのが教師なのかも知れないと思いました。

陸上部で得たこと

 部活動の顧問になるのですが、私は新任。顧問のいなかった「陸上部」をもつことになりました。
 10名弱のこのクラブ。大きな大会に出るような生徒もいましたが、多くは遊び半分でした。
 初めのうちは走らせようとしましたが、いまいち上手くいかず、一緒に走ることにしました。そして、できるだけ彼らと一緒にいるようにし、ただ走るだけでは面白くないから、楽しく練習できないだろうかと考えていく内に、色々な楽しい練習内容が生まれました。すると、タイムも上がり、入部してくる生徒も増えました。
 そして、ここでもやはり、みんな違うことを痛感したのです。同じ練習をしても伸びる生徒と伸びない生徒がいます。そして得意種目がだんだん見えてくるのです。得意種目に集中させると時間も忘れて練習したり、楽しんで練習し、よい結果も出ます。

 みんな違う。その違いを見つけ出し、楽しくできることを見つけると伸びていくのを見つけたことは、大きな収穫だっと思います。

バックナンバー