子育て通信 #141

子どもらしい成長

親から離れて友達と

 幼児期から小学生の低学年の時期の子どもは、親との交流だけの時期から、異年齢の子どもや、同年代の子ども同士の交流が始まる時期へと入ります。子どもは本能的に遊びたがります。しかも、一人遊びではなく、誰かと遊びたがるものなのです。
 ところが、幼児期初めの頃は友達との遊びができないで、一人遊びをします。友達と一緒にいるようであっても基本的には一人遊びで、ほかの子達のことは仲間というよりも、遊びの道具のような感覚でいるといわれています。

衝突も良い勉強

 赤ちゃんを抜け出してだんだんと「子ども」になっていくのですが、赤ちゃんの時にはお父さんやお母さんにチヤホヤされて(これは悪い意味ではありません)、自分のしたいことをさせてもらえたし、楽しませてもらえました。ですから、お父さんやお母さんにあわせる必要がありませんでした。むしろ、お父さんやお母さんがあわせてくれたのです。
 この自分中心の感覚で友達と遊ぼうとしますが、友達は友達で同じように自分中心の感覚を持っているのですから、当然そこには衝突が生じます。どうして自分の言うことを聞いてくれないのか、初めはびっくりするのです。そして、だんだんその衝突経験から、譲ることや仲良くすることを学んでいきます。保育園や幼稚園の良いところは、こういう部分(衝突すること)だと思っています。

 こういう時期はよそのお子さんと遊ばせたりするときに気を遣います。必ずといってよいほどケンカになったり、泣いたりするわけです。実はそれがとても良い体験になっているのですが、よその子を泣かしたりするとお母さん方は、「(相手の親に)申し訳ない」という気持ちが働いて、すぐにケンカを止め、謝らせようとしたり、オモチャの取り合いなら「貸してあげなさい」と強要したりします。それが悪いのではないのですが、もう少し様子を見て待てるといいんですよね。
 子ども同士で成長しあっている時期なんです。それが「自分」を確立していくための準備をしていることになるのです。

 「自分と、お父さん・お母さんとは同じことを思っている(考えている)」と思っていたのが、違うのかも知れないと気付いてくる時期です。「友達も自分と同じ事を思っている」と思っていたのが、どうも自分の気にくわないことをしてくるので、「自分とは違うのかな?」と思うようになってくるのです。でも、まだまだ自分勝手な時期ですね。

9歳の壁(10歳の壁)

 「9歳の壁」という言葉はそんなに一般的ではないと思います。聴覚言語障害の子どもたちの教育現場で「9歳」の時期に発達の節目があることが見いだされてから「9歳の壁」という言葉が出てきました。最近では「10歳の壁」という言い方の方が多くなったのかも知れません。

 この時期(小学3-4年生)は思考形態が変化する時期といわれています。今までは、見えるもの、触れるものでしか考えることができなかった子どもたちが、抽象的思考を持ち始めるのです。
 そこで私は「愛」をよく引き合いに出してきました。「愛」という言葉は抽象的です。ですが、すごく現実的です。子どもがこの抽象的な「愛」を正しくとらえることができるようになるためには、「愛」の現実、具体的な「愛」の形をよーく味わっておかねばならないのです。
 「愛する」というのは「だっこする」とか「なでなでする」とかいうものではないのですが、それが愛から発する表現であるわけです。大人は子どもを愛して抱っこしたり、なでなでしてあげます。子どもがそれを「愛」の表現として体験して育つので、「だっこ」「なでなで」そのものが「愛」だと思っているのです。
 しかし、もう少し成長して、「愛」が身についてきますと、優しく、親切にしてあげたいという「愛」の心がわかってきます。最初は赤ちゃんを「だっこすること」や「なでなでしてあげること」自体が「愛」と思っているようですが、成長してくると、「愛する」から「だっこ」「なでなで」をしてあげたくなることに気付くのです。
 別の言い方をすると、今まで「1」という抽象的な数字は「りんご1個」というふうに具体的なものを通して理解していました。それが、「1」は「1」として理解できる力を持つ時期だということです。しかも、その「1」から、脳に記憶されている感情、行動記憶から、もっと複雑に色々な感情や行動が生まれる時期なのです。

他との比較ができる

 「9歳の壁」の時期を別の話で説明しますと、今まで自分の家が一番大きいと思っていたのに、友達の家の方が大きいことがわかったとか、自分のお母さんが一番きれいだと思っていたのに、友達のお母さんの方がきれいだということがわかったという時期になるということです。観察、比較、検討ができはじめ、物事を総合的に判断する力が芽生えてくる時期です。
 これは学級会で自分の意志を通すだけではなく、友達には友達の意見・気持ちがあるのだということを理解していくようになる時期です。つまり、話し合いらしいものができるようになるのです。
 自分と他の人とを区別できても、なかなか自分と違う意見があることを理解していません。ところが、だんだん意見の違いがあることを理解し、かつ他の人の意見を尊重するということを覚えていくのです。

難しい分数

 小学生になると算数がどんどん進みます。あっという間に「九九」を覚え、割り算をし、分数に進みます。ところが結構分数でつまずく子が多いのです。
 中学の教師時代、私は美術の教師でしたが、英・数・国が苦手でこのままでは高校に入れないだろうという生徒対象に「基礎教室」という放課後のクラスが設けられており、それを受け持っていました。その時、数学まで到達しないで算数を教えなければならない生徒達が何人もいました。たくさんの生徒が分数を正しく計算できないのです。中には「九九」も言えない生徒がいました。

 1/2(二分の一)というと一つの物を等しく二つに分けた一つですが、半分というのは幼いときからわりと「分けっこ」していて分かるのですが、1/3になると難しいのです。小数でも表せなくなります。
 私はよく、幼い内からおやつや食べ物などで「三人に分けて」とか、「五人に分けて」と言って分けさせることが、分数を体でつかむ良い体験になりますと言ってきました。
 抽象思考を要するものは、幼いときに十分いろいろな体験をして、具体的なものを知っていることが大事なのです。すぐに数字の計算に入ってしまうと、計算はできてもその意味するところが理解できていなくて、少し進んだ内容になると困惑してしまうという結果を招きやすいのです。

知識と体験

 基本的に大事な知識を子どものうちに与えておくことの必要性は聖書にも書かれています。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。
あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
(申命記6:6-7)
 しかも、「頭」に刻み込むのではなく、「心」にです。つまり、単に知識として叩き込むのではなく、神様を正しく礼拝することや、良きマナーの中で人間関係を築くこと、生活体験の中でその知識が結実していくようにと言っているのです。
 知識は単に知識だけでは無意味です。生活の中で生き生き活用されるためには、子ども時代には子どもとしての体験の中で知識を蓄え、使いこなしていく力を身につけることです。

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