子育て通信 #142

小学生の時期って??

 皆さんは自分の幼いときに描いた絵を覚えておられますか?
 「お母さんを描いたの」と喜んで見せてくれる我が子の絵を見て「これが私?」というような衝撃は、昔、私たちも母親にしたことです。
 髪の毛が突っ立っている絵、顔から手と足が出ているような絵、どう見ても美人に見えない絵。
 しかし、同時に我が子がこんなにも絵が描けるようになったと、喜んだのではないでしょうか。

見たまま描ける

 お絵かき・図工の時間に子どもたちを見ていると年齢に応じてその絵の描き方が変わってくることに気がつきます。
 幼いときは人を描いても頭から直接手や足が出ていたのが、頭に胴体がつき、手足にも肉付けがされます。さらに首ができ、肩ができてきます。
 幼児期には、「お母さんを描こう」と言うと、みんな喜んで描くのですが、お母さんをじっくり見て描くことはまず無いでしょう。見ないで描けるというか、頭の中に「お母さん」のイメージがあるのでそれを描きます。しかしそれはイメージであり、写実的ではないのです。
 写実的に描く力は前に書きました「9歳の壁」あたりでできてくるからです。ですから、小学1,2年生ではまだ写生が上手くできないのです
 それが3,4年生になるとできるようになってきます。お母さんを見て描けるようになるわけです。見たまま描こうとし、しかも、かなり見たままを描けるようになっているのです。横を向けば横顔を描こうとするわけです。
 しかし、なかなかまだ斜めの構図とかが難しいのです。つまり、見て理解し始めているのですが、理解していることをそのまま描けるという技術力まではついていないということです。5,6年生になるとこのあたりがかなり上手になります。

観察力・読書力がつく

 見たまま描けるというのは、「観察力」が着いてきたからです。3,4年生になると理科の授業に、観察の授業が入ってきます。それは主観的な見方からだんだん「客観的」な見方ができるようになってきたからです。この客観的な見方ができるというのはとても大きな発達です。空気が読めなかったのが読めるようになってくるということなのです。

 よく「読書」が大切だと言われますが、この時期の子どもたちは記憶力も優れています。また、記憶力を高める時期でもあるのです。そこで読書は大きな力を持ちます。
 読書は知識を蓄えるだけでなく、他の人の考え、新しい知識をたくさん与えてくれます。主観的にしか考えられない時期ではなく、客観性を持って見ることができるようになった彼らにはとても楽しいことであり、刺激的なのです。

客観性ができるために

 こういう客観性が出てくるためには、それ以前に十分な蓄えが必要です。どのような蓄えでしょうか?
 お母さんにはお母さんの考えがある、友達には友達の考えがあるということを理解するために、お母さんやお父さん、兄弟、友達とのぶつかり合いが必要なのです。
 前にも書きましたが、赤ちゃんの時は過保護なまでに自分のしてほしいことをしてもらってきたのです。それが続けば自己中心の主観性しか育たないでしょう。つまりワガママな子どもになっていくということです。
 違う意見とのぶつかり合いによって自分の意見だけが正しいのではないことを知っていくのです。
 自己中心・わがままを通していては人間関係が上手くいかないことを知っていかねばならないのです。兄弟げんかは意味があるというのはそういうことです。
 この大切な「客観性」は知識として頭で覚えさせるだけでは役に立たなくなります。わがままを通すと自分もおもしろくないし、友達もおもしろくない、お父さんやお母さんからは叱られるなど、痛い目をして覚えていくものでもあるのです。それで、人を思いやる力にもなっていきます。
 道徳の授業は大事ですが、実際に経験していない知識は役に立ちにくいのです。子ども同士のぶつかり合い、意見の食い違いなどを何度も経験して、人を思いやる力が身につくのです。

よーく話をすること

 思春期の前に子どもたちは「質問魔」になります。第一反抗期の時期に「どうして」「なぜ」を連発したり、小学生の時期には第一反抗期よりも難しい質問を浴びせてきます。
 学校のこともいろいろ話してくれるかもしれません。友達とけんかになった話も出てくるかもしれません。「○○ちゃんの方が悪いよね」など同意を求めてきたり、「今度、○○ちゃんと遊ぶことになったんだけど、あまり○○ちゃんとは遊びたくないんだ」とか。
 少し学年が上がると「クラスの男子がうるさいんだよ」「○○が、△△をいじめるんだよ」とか。さらに進むと「どうしてミサイルを飛ばすの?」「戦争するの」「どうして勉強しなければいけないの」「スマホを持ちたい、みんなっているんだよ」「○○君のことが好きになっちゃった」等々、いろいろな話が出てくると思います。

 幼いうちは気楽に聞いて、答える内容も気楽なものが多いかも知れません。しかし、大きくなってきますと、その内容は決して気楽なものではなくなってきます。幼いうちの質問にもまじめに答える努力をしておかないと、大きくなってからまじめには答えられなくなります(ただし深刻にはならないで)。また、子どももまじめに答えてもらえないから話さないようにしよう、という風になってしまいます。
 子どもの話はよく聞いてあげることが必要です。こんなつまらない話と思ってもです。大人にはつまらなく見えても子どもには真剣な話が多いのです。聞き上手なお父さん・お母さんはきっと思春期を迎えた子どもに対しても聞き上手になれると思います。

イエス様も聞き上手

 聖書を見ていきますと、イエス様は聞き上手です。人間のもっとも根本的な問題「罪からの解放」を気付かせるために、相手と会話をなさり、相手の語る中からその根本的なことを引き出して、本人に気づかせるのです。すごいですね。
 皆さんもまず、このイエス様と会話なさることをお勧めします。自分とイエス様との会話を体験して、自分の大事なことを知って、子どもと話をするとなかなかいいですよ。
   愛は寛容であり、
    愛は親切です。
   また人をねたみません。
    愛は自慢せず、
     高慢になりません。
        
聖書

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