子育て通信 #148

ほめて育てるのは正しいか?

叱っていいのですか?

 子育ての相談を受けていますが、そういう時によく聞かれる質問の一つに「叱ってもよいのでしょうか?」があります。
 同じように、「どうしても叱ってしまうのですが、どうしたら叱らないでほめられるでしょうか?」とか、「ほめて育てるように言われるのですが、どうしても叱ってしまいます」というようなものです。
 いつの頃からか、「ほめて育てなさい」という子育て論が中心になりました。全く叱らないのがよいというような言い方です。挙げ句の果ては叱っている親を見るとまるで虐待でもしているかのように見られてしまうという始末です。

対極者が必ずいる

 当然のことなのですが、「ほめて育てよ」論が広まると、反対に「ほめているから日本の子どもはダメになった」というような反対論が出てきます。すると叱ることが好きな人は、この時とばかりに自分の教育論が正しかったと、叱る自分が正しいと誇ります。
 そして、また叱ることが正当化されるかのように見え始めると、「ほめて育てること」を推進している人から反論が出てくるのです。
 このような話は教育・子育ての世界に多々あります。ゆとり教育が出た時もそうでした。それが間違いだったとその反動が現在大きくなっていると思います。ゆとり教育の全てが間違っているわけではないと思うのですが・・・

惑わされている親

 こういうことを見ているといつもイソップの寓話を思い出します。
 ロバを飼っていた父親と息子が、そのロバを売りに行くため市場へ出かけます。
 2人でロバを引いて歩いていると、それを見た人が、「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいない事だ」と言いました。
 なるほどと思った父親は息子をロバに乗せました。
 しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がロバにまたがり、息子が引いて歩きました。
 また別の者が、「自分だけ楽をして子どもを歩かせるとは、悪い親だ。一緒にロバに乗ればいいだろう」と言いました。それはそうだと思い、親子2人でロバに乗ることにしました。
 するとまた、「2人もロバに乗るなんて、重くてロバが可哀相だ。もっとロバを楽にしてやればいいのに」と言われました。考えた父親と息子は、こうすればロバが楽になるだろうと思い、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩き出しました。
 しかし、不自然な姿勢を嫌がったロバが暴れだしたのです。不運にもそこは橋の上だったため、暴れ出したロバは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られませんでした。
 そうなのです。善良な親は周りの人の意見に惑わされてしまうのです。どちらが正しいのか自分で答を持っていないために、言われる度にそれが正しいと思い込み、それを実行するのですが、一貫性が無く、子どもも戸惑い、親も信念の無い自分に苦しみます。

叱ることが普通だった時代

 子どもを叱ることに関しては、昔はごく当たり前だったと思います。体罰さえも当たり前でした。
 先日、私が中学生の頃のことを話しましたら、若い人からはビックリされ、年配者からは懐かしがられた話があります。
 それは、生活指導の先生が竹刀をもって校門の所に立って、遅刻してくる生徒のお尻を叩いていたこと、教室に入るのが遅かった生徒たちが出席簿で頭を叩かれたことなどです。
 私もひどいと思ったのは、体育の先生が授業中にふざけた生徒を靴で殴りつけたことです。もちろんこんなことがごく普通だったというのではありませんが、叱ること、体罰はごく普通でした。
 それも親が我が子を叱るだけでなく、他の子どもも叱りました。また、近所の大人が、あるいは全く知らない大人が子どもを叱ることも当たり前だったように思います。

叱れない時代

 それが、世の中が変わってしまったために、よその子を叱ることができなくなりました。町でマナーを守らない少年を叱ったら、逆に殴られてケガをした大人の話もよく聞きます。大人も知らない子ども達には叱らないで見過ごすようになりました。仕方のないことと思います。
 一方、家庭において、子どもを虐待している親が増えたことで、子どもが死んでしまう事件も多く出てきました。体にあざが一杯の子どももいます。

 そういう中で、子どもの精神面と脳の働きなどが科学的に研究されるようになり、「ほめて育てられた子ども」と「叱られて育てられた子ども」では、セルフイメージに大きな差が出ることや精神的な病気のかかりやすさにも差が出ることなどがわかってきました。当然「ほめて育てた子ども」の方が良い結果が出ます。
 しかし、ハウツーものの勉強に慣れ親しんだ近年の人達にとっては「ほめるのがよい」と言われると、とにかくほめることだけをしようとします。しかも、本で学んだ「ほめ方」を教育実習のようにしようとします。
 つまり、愛情の無い「ほめ方」が実行され、愛情のある「叱り」が無くなってきたと思うのです。

 また、子ども達も叱られ慣れていないために、愛情をもって叱られても、その愛情を感じることができず「怒られた!」と、叱った人を恨んだりするようになっている時代です。ですから、周りの大人も昔のように気楽に叱ることができない時代になったと言えます。

子どもの心に響く言葉を

 教育的配慮から言うと「ほめる」ことで子どものやる気は確かに出てきます。特に幼い子どもはそうです。幼い内から叱られすぎると心が萎縮したり、反抗心が強くなったりするでしょう。
 しかし、ほめられると頑張るのは多くの親が見ているとおりです。特にお父さん、お母さんからほめられるとやる気が出るのは当たり前です。

 反対に叱られても「かつ」が入ってやる気が出ることだってあります。それはやはりやや大きくなってからのことでしょう。精神的にも成長してくると、叱る人の愛情や言っていることの正統性をしっかり理解できるからです。
 そういうことが理解できない幼い内から叱られてしまうと精神的には萎縮した子どもが増えるのは当然と言えます。

怒ることと叱ることは違う

 「最近の大人は怒りやすくなった」というデータがあるらしいのです。大人自体、イライラしていることが多い、ストレスが多く、常に怒りっぽいのです。怒ることと叱ることは違います。ここを勘違いすると「叱る」ことが危ないです。

 普段穏和で優しい、笑顔に溢れた大人の人が、ある時「叱る」とすると、それを見た子どもは当然いつもと違うことに気がつきます。子どもはハッとします。「いつもと違う!」「とてもまずいことをしたのではないか。」と心にビーーンと響いてくるのを感じ、「悪いことした」と反省し「もう二度としない」と心に誓うのです。

怒りを遅く

 聖書を読んでいると、神様が愛しているユダヤ人がまずいことをして神様から罰を受ける話が出てきます。しかし、神様は怒られる前に注意をされていまして、「悔い改める」なら赦してくださっています。
 ところが、言い訳をしたり、悔い改めが無いと神は怒られるのです。そして、罰を与えたとしても、神様は尚も人が悔い改めて正しい行動をとるように願っておられ、回復の道をも備えておられます。

 聖書に、こんな言葉があります。

 箴言12:16
 愚か者は自分の怒りをすぐ現す。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。

 箴言14:29
 怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。

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