子育て通信 #149

聞き上手になりたい

渡辺和子さん

 渡辺和子さん(カトリックのシスター)の本が次々発刊されています。本屋さんでPHP文庫の「愛と祈りで子どもは育つ」という本を見つけました。短い一つ一つの話がどれも心を打ちます。
 その78ページに、聖書の「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」(㈵コリント13:2,3)という箇所が引用され、渡辺和子さんが修道院に入ってすぐ、アメリカの修練院に派遣され、修道者になるための訓練を受けられた時のことを書いておられます。

 130人ほどの人達と一緒に生活をし、朝5時から夜8時まで、朝夕の祈り、黙想、ミサ、講話の他は、ほとんどの時間が草取り、洗濯、洗濯物を干すこと、アイロンがけ、料理の下ごしらえ、後片付け、掃除の繰り返しだったそうです。
 夕食の配膳時にお皿などを並べていた渡辺さんに修練長は「シスター、あなたは何を考えながらお皿を並べていますか」と尋ねられ、「何も考えてはおりません」と答えたそうです。すると厳しく、「あなたは時間を無駄にしています」と言われました。が、次に笑顔で「同じお皿を並べるのだったら、やがて夕食にお座りになるお一人お一人のために、祈りながらお皿を置いていったらどうですか」と言われたそうです。

 草取りの時も、「あなた方は草を取っていません。草というものは、根っこから根こそぎ取らないと、またすぐに生えてきます。なぜあなた方はこの草一本を根こそぎ取るときに、今蔓延している少年少女達の非行が、ひとつ根こそぎ抜かれますように、そういう祈りをこめてしないのですか」と言われたそうです。

 そしてこのお話の最後にはこう書いてありました。
 一人の卒業生の夫が倒れ、今リハビリ中です。この卒業生がこう言ってくれました。
 「私には何もできません。でも、洗濯物を干す時、スナップの一つひとつをパチンパチンとかけながら、夫が少しでも快くなるよう祈ることはできるのです。
 私たちの身近に愛を育てる機会は、気付きさえすれば、いくらでもあるのですね。

祈りは愛

 私は「祈りは愛だ」と信じています(ただ、自分勝手な祈りもありますので、神への心からの祈りというのが正しいかもしれません)。

 子どものために祈る親はどれくらいいるのでしょうか? 子どもが病気で苦しんでいる時「神様、どうぞ癒してやってください」という気持ちが働くのではないでしょうか。その心の思いがすでに祈りです。多くの場合、自分には何もできないから神様にお任せしたいと思って祈るのです。
 しかし、渡辺和子さんが修練中に教えられた話は、食卓にお皿を並べならがも、あるいは草取りをしながらも家族や他の人のために祈るという、「困った時の神頼み」的な祈りを超えています。「愛」だということに気づかれますか。

神に近づく

 祈りを定義するのは難しいことです。しかし、「神」の左側と「近」の右側がくっついて「祈」となったとすれば、祈りは神に近づくものです。それは困った時だけではなく、ごく普通の日常生活の中でできることだということです。もちろん神様がおられることを信じないと変な独り言のように思えるでしょう。
 しかし、口に出そうと、心の中で言おうと、神を信じている人の神への言葉が「祈り」です。

祈りは「聴く」もの

 神は「愛」ですから、神に近づく者は人の愛を越えた高尚な愛に触れることになります。その近道は祈りです。神様に一方的に文句を言うのが祈りでは無く、神の思いを知りたいと思って語り、「聴く」のが祈りなのです。

 この祈りは親子の会話にも当てはまってくるのです。子どもに一方的に語るのは子どもにとって決して良くありません。会話になることが大事であり、時にはしっかりと「聴く」ことが大事です。
 神と多く祈る人は、子どもとも上手くお話ができるのだと思うのです。というのは、神に聴くことを心がけると神に聴くだけでなく、人の言葉にも耳を傾けられるようになるからです。

 幼児期に子どもの話をよく聴いた親は、子どもが思春期を迎え、基本的に親に話さなくなっても、幼児期の「聴いてもらった」という記憶がしっかりと脳にインプットされていますから、ここという肝心な時には話をすることができるのです。また、そういう大事な時に親の方も「聴く訓練(聴く習慣)」ができているので、子どもの話を聴けるのです。

聞き上手

 話を聴いてもらえる子どもは幸せだと思います。「聴いてもらえた」という実感は、皆さんにも経験がおありだと思いますが、心がスカッとするものです。難しい問題を抱えていた時ほど、その話を聴いてもらえると心が落ち着き、平安を得ます。この「平安」というのが人間の心にとても大事なものなのです。
 子どもの心に平安を与えることができたら、子どもは精神的に安定した状態で生活でき、安定した状態で成長できるのです。
 そして、「聴いてもらえた」子どもは「聞き上手」になれるのです。

 親が聞き上手なら子どもは上手く育つのかなと思います。しかし、なかなか親が聞き上手になれないのは、子どもの言っていることが明らかにおかしいと思えたり、反省の色が見えなかったりして、我が子だけに(我が子で無ければまだ聞けるのですが)感情が先に出てくるからです。
 それでも、子どもの話を「聴く」という訓練を少しやってみると、わりとできるようになってくるのです。そのためには「感情的になっている」ということを認めて、一呼吸などの方法でまず気持ちを落ち着けて、「ゆっくり話を聴こう」と心に決めることです。

真剣に聞く

 「勉強しなきゃいけないなあ」と思ったのは中学3年生の時でした。塾に通っている友達が高校受験のことを言い出して、ほとんど考えたことが無かった自分に不安が出てきたのです。幸いそれまでも勉強嫌いでは無かったので、それなりに勉強の習慣はあったのですが、記憶力が弱く、みんなのように覚えられないのです。英語や歴史は大の苦手でした。
 そこで、ある時、私はみんなより劣るのだし、塾にも行っていないのだから、とにかく授業を大事にしようと考え、先生の言っていることを聞き逃すまいと真剣に聞くようにしたのです。するとその日、1時間だけでクタクタになりました。頑張って毎日それを続けてみました。慣れてくると前ほど疲れないで聞けるようになりました。すると以前より勉強ができるようになっていたのです。

 「先生の話をしっかり聞く」というのは本来当たり前のことです。しかし、真剣に聞くとクタクタになるのです。このことは私にとってとても大事な経験となりました。授業も「聞き上手」がいいのです。
 そして、2学期後半からはまた別の勉強方法を思いつき、自主的な勉強ができました。相変わらず、記憶する力は弱かったですが、自分としては行きたい高校に行けたので良しとしています。

 聞く(聴く)のは疲れます。しかし、これが大事な子育てのポイントであり、子どもも聞く(聴く)力をつければすばらしいことです。

 イエス様は私たちの言葉にいつも耳を傾けてくださるお方です。是非ともイエス様に聴いてもらってください。
 祈る人になってください。

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