子育て通信 #152

父親の仕事って?

絵本「むすこよ」

 前に教会で「むすこよ」(いのちのことば社 フォレストブックス)という絵本を紹介しました。とてもかわいい絵に感動する文章が続きます。
とうさんは、今夜おまえにすまないという気持ちでいっぱいだ。
さっきのことを考えると、胸がしめつけられるような気がする。
だからこうして、そっとおまえの部屋に入ってきたんだ。
昼間よく遊んだおまえは、ぐっすり眠っている。
こうしてみると、まだまだ小さな子どもなのだね。

とうさんは、おまえにほんとうに意地悪だったね。
朝のしたくをしているとき、
それじゃタオルで顔をなぜているだけだとしかった。

 中略

夜、部屋で仕事をしていると、
ドアがそっとあいた。
ふりむくと、おまえはわたしのほうを
おずおずと見ていた。
じゃまをされ、いらいらして、
思わず「何か用か!」と
しかりつけるように言った。

おまえは一瞬ためらったが、
それでも、明るい顔でわたしの胸にとびこんできて、
小さなうでを首にまわし、「おやすみ!」を言ってくれたね。
それには、どんなにじゃけんにされても変わることのない、
神様から与えられた愛がこもっていた。

おまえはすぐに階段をあがっていってしまった。
その時、全身から力がぬけ、
わたしはどうしようもないおそれを感じたんだ。
なんという習慣を、とうさんは身につけてしまったのだろう。

 中略

おまえの性格にはすばらしいところがいっぱいある。
小さなおまえの心は、とうさんやかあさんをもつつみこむほど大きいよ。
おまえの真実の心は、太陽のようにあたたかい。
おまえの「おやすみ!」にそれがよくあらわれていたよ。

とうさんはそのことを忘れていたのだね。
今夜はそれに気づいたんだ。
だから今、こうしてひざまずいているのだよ。

小さなおまえに明日こうしたことを言っても、
理解してもらえないだろう。
でもとうさんはこの瞬間から、
ほんとうの意味でおまえのとうさんになるよ。
つらいことでも、うれしいことでも、
おまえが気軽に話せるようなとうさんになろう。
とうさんはおまえのことが大好きなのだ!
  (いのちのことば社フォレストブックス)

 何度読んでも心にグッとくるものがあるのはなぜでしょう? 父親の子育ては母親とは一緒では無いことはわかっています。
 子どもが幼いうちは父親はいらないとさえ言われます。しかし、私は父親の出番が来た時のために、子どもが幼い時から父親としての子どもとの触れ合いがあると思っています。

長男誕生

 私は自分ではこの絵本の父親のようでは無かったと思っています(勝手に思い込んでいるだけで、息子や妻に言わせれば同じかも知れません)。

 長男が生まれて29年近くたって、この絵本を読んで、懐かしく昔のことを思い出したのです。
 まず思ったことは、なんと月日の経つのは早いものかということです。
 長男が生まれそうになって明け方にタクシーを呼んで病院に行きました。すぐにでも生まれるのではないかとずっと待合室で待っていました。
 夜になっても生まれず、看護師さんから「面会時間も終了ですのでお帰りください」と言われ、しかたなく家に戻りました。
 この日は長い一日でした。ほとんど何も食べずに一日待っていました。

 真夜中に電話がかかってきて「生まれましたよ。男の子です」と言われ、朝一番で息子に会いに行きました。
 ガラス越しに見た息子は他のどの子よりもかわいらしく見えました。
 元気な息子と妻を見てホッとして家に戻り、仕事をし始めましたが、何をしても嬉しかったです。

 家に戻ってきた妻と息子、私の出番はほとんど無くて、お風呂に入れることが一番の仕事だったように思います。左手で頭を支えて耳にお湯が入らないように軽く押さえベビーバスに浸けるのですが、予想していたのと違って、プカーッと浮くので最初はとまどいました。その内、これも慣れてしまいました。

3人の父親になった

 次に長女が生まれました。女の子は抱っこしたときにフワフワした感じで、男の子とは違いました。男の子とは違うかわいらしさがあって「目の中に入れても痛くない」というのがよく分かりました。
 そして次女が生まれました。この子は大変大きく生まれました。産院に10人赤ちゃんがいましたが、絶対に間違えることの無い大きさで、両親にも「一番大きいからすぐわかるよ」と言っておいたくらいです。

 そこから3人の父親となって楽しい、大変な日々は続きました。
 牧師という仕事は一般のお父さんとは違うところがいっぱいあって、仕事の時間が決まっていない、ある意味24時間が仕事と言われます。
 逆に一般のお父さん達が子どもと会えない時間に私は会うことができました。
 こういう牧師ならではの時間を使って子ども達と楽しく過ごしたのは幾つもあります。

楽しかった思い出

 その一つは、3人を自転車に乗せて4人乗りで公園に行ったことです。公園で、年齢差のある3人の安全を見ながら一緒に遊びました。次々違う公園を開拓していくのもまた楽しいものでした。
 そして、自転車に乗れるように指導もしました。

 二つ目は3人を連れて散歩に出かけたことです。近くの田んぼ、あぜ道、堤防、等々を歩いて、花や虫を見ながら色々お話をしました。そして、いつからか駄菓子やさんに立ち寄るようになってしまいました。「何円まで?」と聞かれ、その答えにいつも困っていました。「ちょっとオーバーしてもいい?」「・・・」甘い父親でした。

 三つ目は私が車の運転ができないため、家内が免許を取り、子ども達もだいぶ大きくなって来た頃、オートキャンプ場に泊まりに行ったことです。運転のできない父親としては、テント張りや飯ごう炊さんで頑張りました。
 鉈で木を割ったり、火をつけて飯ごうでご飯がうまく炊けることを教えたり、ちょっと親父らしく感じた時でした。小さなテントに5人がぎっしり寝て、翌朝、私は腕や腰が痛かったりしましたが、今となっては楽しい思い出です。

父親の仕事

 子ども達が大きくなってしまうと、私の存在はどんな意味があるのだろう? と感じる最近です。それでも何か意味があるはずです。
 教師時代、参観日にお父さん達はほとんど来ませんでした。私は「出席してみよう」と頑張ってみましたが、子どもが中学生になると恥ずかしさがあってちょっとしか出席できませんでした。教育パパにはなれませんでした。

 今の私は、3人の子ども達のために祈っています。色んなことを祈っています。単に「健康で、幸せにしてやってください」というものではありません。
 祈りは私の天の父(神様)とのすばらしいつながりなので、これを止めることは無いでしょう。これが父親の仕事かなと思っています。

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