子育て通信 #158

直感力が遊びから

水たまり遊び

 水たまりを見つけると喜んでバシャバシャ遊ぶ子ども達を見かけます。長靴を履いたのがうれしいのか、何度何度も水たまりでバシャバシャやります。子ども達にとっては水たまりも遊び道具です。
 お母さんが「早く行こうよ」と言っても、水たまり遊びは楽しいもので、なかなかそこを離れません。離れてくれたと思ったら、また次の水たまりを見つけてバシャバシャやります。

水たまり飛び越え

 少し成長すると、大きな水たまりを跳び越えようとし、走ってきてジャンプします。ギリギリ水を踏んづけて「あーー!」と悔しがる子ども。
 ところで、水たま跳び越える力がついてきて、この大きさの水たまりなら飛び越えられるということはどのようにしてわかるようになるのでしょうか?
 お兄ちゃんが跳び越えた後、弟も「自分だって跳び越えられる」と思い込んで飛び越えようとするのですが、脚力不足で水たまりの中にボチャンとはまって泥水を跳ね上げてしまう子もいます。実はこの失敗体験こそ大事なのです。

職人技も

 人間には直感力があります。しかし、これは生まれつき持っているものだけではなく、習慣によって、訓練によって培われてくるものです。
 色々な職人さんは少し触っただけでその表面のいびつさや傷を見つけます。また0.1mm単位でその厚みを判断することもできるようになります。
 引っ越し業者さんはトラックの荷台に荷物を詰め込むときに、見ただけでどの荷物をどのように積めば効率よく詰めるかわかるといいます。
 これらの感覚は長年培われた力であり、直感力が鍛えられていると思われます。

何度もやっているうちに

 子どもには長い年月はないですが、それでも何度も水たまりや、色々なところを飛び越えているうちに「これくらいなら飛び越えられる」ということを直感的に見極めることができるようになるのです。
 水たまりや溝などを見て「これは飛び越えられる」と直感的にわかるようになるので、遊びも発展します。そして、かなり危なっかしいと思えることでも「できる」という自信が着いてやってのけるのです。

鉄棒歩き

 私は小学生の時、友だちと鉄棒の上を歩くことに挑戦したのです。
 はじめは一番低い鉄棒を歩きました。最初はすぐに落ちました。でも、低いですからそんなに怖くはありません。
 この低い鉄棒を全部歩いて渡れるようになると、その続きにある中くらいの鉄棒に登ります。そして、やや高くなったために少し怖さを感じながら歩くのです。これは比較的早く歩けるようになりました。
 さらにその続きのもっと高いのに登ります。問題は立ち上がるときなのです。高いだけに怖くて何度も失敗します。しかし、できるようになるのです。

 さて、当時の私の小学校にはこの連続した鉄棒の他に中くらいの鉄棒がもう一箇所、そして、砂場の所にぶら下がると足が着かない高さの鉄棒がありました。
 最後はこの一番高い鉄棒を制覇することでした。どうしたら鉄棒の上に上れるかが最大の課題です。逆上がりをして次に片足を鉄棒に乗っけてグッと上がるのですが、なかなか上手くいかず失敗の連続でした。もうこの高さはやはり無理かなと思ったのですが、友だちがある日登ったのです。でもまだ全部歩ききれません。途中で落ちるのです。
 「よし、オレが先に歩くぞ!」と何度も鉄棒の上に立つことをやって遂にコツをつかみました。今度は怖さを抑えて歩くことです。手を広げてバランスを取り、ゆっくり足を出し、全部歩ききった時は感動でした。
 「小学校の鉄棒を全部歩いた」というくらいしか私には小学校での良い成績はないのですが、これが結構自信につながったのです。

聖書を覚え込む訓練

 ユダヤ人は子どもに幼いうちから聖書を覚えさせます。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
(聖書 申命記6:6-7)
 とあるように、色んな時に口ずさみ、覚え込ませるのです。
 なぜでしょうか? 神様に罪を犯さないためなのです。

 日本人は子どもに早くから教育し、色々な事を覚え込ませますが、「神様に罪を犯さないため」というものはあるでしょうか? 神様に罪を犯さないとは、人間関係においても大事なことです。神様の教えには人に対する大事なこともたくさんあるからです。単に道徳、倫理というだけでなく、人間として最も大事なことを教えている聖書を覚え込むのです。
 幼いうちから何度も何度も唱え、幼いうちはただ覚えてしまうだけに過ぎないのですが、その知識を年齢が上がってからしっかり応用、活用できるようになっていくのです。
 それは大人と一緒に礼拝したり、教会で奉仕したりするという活動がとても大事なのです。

くり返すことで鍛えられる

 覚え込んだ聖書の知識が日常生活の中で訓練されていると、「これはしても良いのか?」という大事な判断をする時に「して良い」「してはいけない」と正しい判断力を与え、その正しいことを実行する力を発揮するのです。こういった善悪の判断にも直感力があります。
 ダイヤモンドの鑑定士が本物のダイヤと偽物のダイヤを見分けるための訓練、銀行員が本物のお札と偽札を見分けるための訓練で、本物と偽物を比較する訓練も大事なのかも知れませんが、とにかく長い時間本物に触れる、本物を見続けるのだそうです。そうすると自然と偽物がわかるそうです。直感的に「これは違う」とわかるということです。

 人も正しい生き方と偽物の生き方をどのように見極めるのかは、幼い時から正しい生き方を多く見つめていること、正しい生き方の中に入っていることです。
 「継続は力」と言われるように、習慣化されたものは良きにつけ、悪しきにつけ大きな力になるのです。

遊びの力、侮るなかれ

 水たまりを跳び越える力と「これくらいなら跳び越えられる」という直感力は、幼い時の遊びの中で、何度も何度も跳んだり、はねたりしながら身に着けていくのです。
 脳が、跳ぶ力と、この距離は跳べるという経験から来る判断の上に、「跳ぶぞ!」という意志(勇気)を持つことで実行に移せるのです。

 「跳ぶぞ!」という意志を持っても、跳べる力が無いと結果は水たまりや溝にはまってしまうことになります。友だちが跳んでいるのを見ると自分もできるのではないかという錯覚は、そういう経験をあまりしたことの無い子どもだと思います。あるいは無謀なことをしたがる子どもかも知れません。

 遊びは子どもにとって本能的に欲求する活動です。つまり、神様が人間の発達において大事なものとして与えられたものです。
 赤ちゃんの時に、ティッシュペーパーを箱から全部出したり、棚のものを全部出したりする事に始まって、次々楽しいことを探します。子どもは色々な遊びを考え出す天才です。それによって身を守る直感力も鍛えられているのですね。

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