子育て通信 #35

東京に来て

思いがけない異動

 私(藤井敬朗)は今年の3月に転任が決まり、大阪の高槻市にあります高槻キリスト教会から、東京・中野区の新中野キリスト教会に異動しました。

 正直なところ、あまりに急な話に驚き、しばらくは何も考えられない状態でした。異動に伴う諸準備をしましたが、その忙しさは大変でした。治りかけた風邪が戻ってきたり、胃腸も傷め、体重は4キロほど落ちました。

 思いがけないことだけに、私たち夫婦はもちろんですが、子どもたち、両親、教会の皆さん、子育ての会関係の皆さん、PTA関係で知り合った皆さん、ご近所の皆さんに色々ご心配とご迷惑をおかけしました。本当に申し訳なく思っています。人生にはこういうこともあるのですね。



東京に慣れなきゃ

 新中野キリスト教会に着任して感じたことは、新中野キリスト教会の皆さんが大変優しく心暖かであるということでした。緊張している私たちをホッとさせてくださいました。また、雰囲気が高槻キリスト教会に似ている気がして、気持ちが楽になりました。

 とは言うもののすべてが新しくなりましたので、一から知らねばならないことだらけです。電気のスイッチ一つすらわかりませんでした。

 次に東京という雰囲気に慣れないといけないと思いました。特に大阪弁の私にとって、言葉のことは気になります。とにかく「東京に慣れよう」と努力を始めたのです。

 大変なのは私たちよりむしろ子どもたちでしょう。初めての転校、恥ずかしがり屋でおとなしい3人はなかなか友だちをつくれず苦労しているようです。特に高槻で、教会に楽しく遊んだ友だちがいましたし、学校の友達も毎日のように遊んでいた友だちです。その友だちみんなと別れたのですから、本当に辛かったと思います。今も、思い出しては「さみしー!!」と叫んでいます。

 こういうことを通しても人間は成長するのでしょう。



思春期の子を持って

 転校したのが、長男は中学3年、長女が小学6年、次女は小学4年ですから、上二人は思春期です。私は思春期のことを勉強させていただいて、またこういう時期の子どもたちのことをお話したり、相談事を受けたりしているのですが、今回は私も自分の子どもの辛さを知って、他人の子ではない自分の子の思春期の中での悩みを見ることになったわけです。

 思春期は怒濤の時期、嵐の時期などとも言われますが、それくらい子どもたちの心に大きな変化があり、子どもたち自身でもわけがわからない時期です。それだけに大切に考えてやりたいと思うのですが、こちらも忙しく、そこまで関わり合ってやれません。

きっと自分で成長してくれることでしょう。



思春期はおもしろい

 個人的に思春期に興味を持ったのは大学の勉強の中で発達を学んでいたときです。特に障害児教育を学んでいましたので、障害をもった子どもたちに「反抗期」があるのか気になって調べだしたことがきっかけでした。

 その内、中学生に興味がわき、多くの中学生と接する内に中学校の教師を目指すことにもなったのです。教師時代に中学生と接して彼らの悩みや苦しみなどを見聞きし、また非行に走る子、自殺未遂する子、精神的な問題を持つ子を見て、思春期をうまく乗り越えることが大切だと思うようになりました。



「子育ての会」を通して

 15年ほど「子育ての会」をしてきた中で、思春期をうまく乗り越えるためには、子どもが幼い内にしておくべきことがあるように感じました。それで、私個人は思春期の子どもたちに興味があったのですが、幼い子どもたちのことも調べさせて頂いたり、相談を受けたりいたしました。その中で、嬰児期、幼児期の過ごし方が思春期に大きな影響を与えることがわかってきました。

 そこで思春期を意識した子育てを考えてきましたので、地道ではありますが、子ども たちが元気に育っていくように、お伝えできることはお伝えし、共に学んでいきたいと 思っています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。



聖書の言葉から

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
       マタイの福音書5章3~5節
 聖書の中の不思議な言葉の一つです。心の貧しい者がなぜ幸いなのでしょうか?悲しむ者がなぜ幸いなのでしょうか?柔和な者が幸いなのはわかる気がします。

 聖書の中には理解に苦しむようなことが多々あります。しかし、自分の知識の中で理解できないからといって諦めないでください。聖書はクリスチャンだけでなく、世界の多くの人々に強く影響を与えた書物です。

 人に理解しにくい言葉にもきっと何か大切なことがあると思っていただきたいのです。 「心の貧しい者」とは誰のことでしょうか。貧困な心というよりも、「幼子のような」といった方がいいかも知れません。幼子は色々なものをまだ持っていません。そこには神様の恵みをいっぱいいただくことができる可能性を持っています。イエス様は大人の私たちにもそういうことを願っていらっしゃるのではないでしょうか?自分の心は空っぽ状態で、神様の恵みをいっぱい欲しがっているというような。神様の恵みを求める心は天国を求めているのでしょう。

 現代にも「悲しむ者」はたくさんいます。私も子どもさんを失ったご両親を何人も知っています。本当に辛いですよね。とても幸いとは言えないでしょう。でも、神様は人間の思いをはるかに越えたお方です。悲しみだけで終わらせはなさいません。不思議かも知れないし、わからないかも知れません。しかし、わからないことは沢山あるのではないでしょうか。「宇宙の果てはどうなっているのか?」ということだってわからないのです。

 今はわからないことが後にわかるときがあります。聖書の言葉はそういう部分ももっています。子育てで、子どもがこれからどうなるかわからないけれど、希望を持って子育てするように、聖書の言葉も希望を持って読んでいただきたいのです。



バックナンバー