子育て通信 #36

気持ちが通じ合う

うろたえる時期

 思春期を迎えたお子さんを持つ親御さんがうろたえる場面を見ることがよくあります。もちろんおとなしい、反抗期も無いようなお子さんをお持ちの方は「うちは何も心配はありません」と言われますが・・・

 私は心配の無いと言われる子どもさんは本当に大丈夫なのかといつも考えます。うろたえておられるところはたいてい「思春期」「反抗期」についてよくご存知ないことが多いだけです。

 子どもが小さい内は親の言うことにたいてい従いますからそんなにうろたえることもないのですが、大きくなっていきますとその行動、言葉に親も驚くことが増えるのです。思春期はそういう時期です。

 では、そういう思春期にうろたえないようにするにはどうすればいいのでしょうか?


知識だけではない

 私は「思春期」「反抗期」ということに興味を持ちましたので、この事については自分でもかなり学び、調べてみたつもりです。しかもそういう時期である子ども達を、中学校の教師をしてたくさん見てきましたので、大変大きな収穫をいただきました。だからといって、我が子が思春期に突入して平然としておられるかというとそうはいきません。ダメな親であると思います。

 学んだことで、確かに冷静に子どもを見つめる目を持つことができるのですが、知識は一般的であって、決して我が子にすべてが当てはまっているわけではありません。

 我が子のことを私がよく理解するためにはこうした知識だけでは役に立たないのです。いやむしろ、こうした知識を持っていることで「私は親として大丈夫だ」と自信を持つようであれば、それはかえって子どもを正しく理解するための壁になってしまいます。


100人100様

 子どもを正しく理解するためには一般的知識だけではなく、その子・その子の特徴を知らねばなりません。まさに個性です。しかし、個性は生まれた時に完成しているのではなく、生まれ持っているものに色々なものが付随して個性が形成されていきます。もちろん親の遺伝もあるでしょう。これは100人の子どもがいれば100種類の個性があるということです。分類していくつかのパターンに分けることは可能です。ある人は血液型で大きく分けます。それもいくらか当たっているのかも知れませんが、個性はその程度のものではありません。

 ここに親が我が子でありながらも「子どもの考えていることがわからない」という時をもつことが起こってくる一つの原因があるのです。我が子はどうしても自分が一番よく知っていて、自分と同じような考え方をしているものだと、どこかで思いこんでいるものなのです。

 それが、思春期にはいると急に親に反抗的に出たりして、親をうろたえさせたりするのです。


子どもは発達している

 それではこういう時期に子どもを正しく理解するためにはどんなことに気をつけるとよいかといいますと、思春期の時期になってからでは遅いということです。

 こう言うと思春期に入っているお子さんをお持ちの親御さんは手遅れかと思ってしまわれるかも知れません。それでは申し訳ないので、もう少し説明します。

 子どもは発達しています。その過程で子どもは自分を自分として認識する時期が来るのです。つまり、赤ちゃんの時はお母さんと一体で、赤ちゃんはお母さんが自分と別の存在だとはわかっていません。それが、お母さんと自分とは違う考えを持っているとわかる時が来るのです。さらに発達しますと、「自分とは何者か」(アイデンティティーの確立という人もいます)ということを考える時期に来るのです。こうした時に親や大人に反抗的に出てくるのが反抗期です。


早い時期から

 反抗期にはいると自分で考え悩みますから、親が聞いたり、話をしようとしても、反抗ばかりしてくることがあるものなのです。そのためになかなかこの時期になってから話し合おうとしてもできないものなのです。そこで、この時期がどういう時期なのかを理解した上で、子どもがそういう時期に入るまでに子どもの姿を心に留めておくのです。

 幼い時からよくお話をしていると子どもは親に対して「私の親は私の話を聞いてくれる」と覚えます。また、言葉だけでなく、スキンシップをしっかり持っていれば、言葉にできない苦しみなどを持っても、親へのスキンシップを求めてきてそれで心を安らげることもできます。

 つまり、幼い時期にいかに子どもと接しているかが思春期の時期の問題に対処する力となるのです。ですから、思春期を迎えて急に子どもを理解しようとして、話をしようとしたり、スキンシップを持とうとしてもなかなかできるものではないのです。



共通体験

 親子の気持ちが通じ合うためには、話をするだけではだめでしょう。共通の体験をすることが大切なのです。幼い時はよく一緒にお出かけをしているかも知れません。こういうことの積み重ねが大事なのです。何もテーマパークへ行く必要はないのです。一緒に何かを体験するのです。魚釣りをしてもよいし、山登りをしてもいい、ハイキングでも、買い物でも、散歩でもいいのです。一緒に何かしながら、他愛もない話をして、そういう中でいつしか互いの心につながりができるのです。ですから思春期になってこれを築こうとするとなかなか大変なわけです。



通じ合う心

 心が通じ合うというのは宗教的なものだと私は考えています。宗教というのは決して理屈で説明しきれるものではありません。何かわからないけれど、心から(心というものが存在することにも気付き)喜びや安心感がわき出てくる、というような体験を伴うものです。子育ては理屈ではありません。どんなに立派な子育てをし、教育書に従って育てても、子どもはそれぞれ違ってきます。親の直感というもののほうが役に立つことが多いのです。「この子にはこのほうがいい」とピーンと来たら、それが正しいことが多いのです

 そのように通じ合うのは一緒にいる時間が多いことと、時間に限らない「愛」(聖書に「愛は永遠です」と書いてあります)の力だと思います。これによって何か通じ合うのです。通じ合っていれば、話そのものができなくても大丈夫なことは多いですよ。通じ合っていれば、子どもが間違ったことをしても取り返すことは早いです。



時間がかかるかも?

 通じ合うために早い時期から共通体験を持ったり、話をしたり、スキンシップを持ったりして頂きたいのですが、大きくなってからではもう取り返しがつかないかというとそうでもありません。親の子に対する愛は通じます。もちろん通じるのに時間のかかることはあります。

 わたしはイエス・キリストに愛されていながらも理解するまでにすごく時間がかかりました。そのイエス様の愛をある時ハッと気づかされたのです。でも、イエス様は決して私を見捨てなかったですし、愛を減らすこともなさらなかったのです。気づいた時、私の心は今までに無かったすばらしい平安の体験をし、最高の喜びを感じました。

 親の愛も同じようなことがあります。すぐには通じないかも知れません。しかし、イエス様が失望せずに私たちを待っておられ、愛しておられるように、通じなくても愛し続けましょう。

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