子育て通信 #37

思春期を考えて

叱るということを話し合って

 以前「子育ての会」で子どもの叱り方、ほめ方について互いに意見交換をしました。お母さん方から大変すばらしい発言をいただき、私も大変教えられ、参考になりました。

 叱ることって本当に難しいんですよね。特に思春期に入った子どもたちに対しては本当に気を遣いますね。思春期真っ盛りの中学生あたりの子どもたちには小さな子どものように叱ることはできないですね。新中野キリスト教会での「子育ての会」ではまだ、皆さんの子どもさんが幼いので、思春期の子どもに対してどのような叱り方ができるのかというところまでは話し合っていません。



好きだから

 私は23年前まで6年間中学校の教師をしていましたが、「なぜ中学校の教師になったのですか?」という質問をよく受けました。その度に考えてみるのですが、なかなかよい言い方ができませんでした。「中学生が好きなので」と答えますと「どうして中学生が好きなのですか?」と聞かれます。これが答えにくいのです。「好きだから」としか答えられない部分があるのです。

 「あなたはこの人となぜ結婚したのですか?」と聞いたとき「好きだから」と答えが返ってきて「なぜ好きなのですか?」の答えは「・・・・」。好きなものに理屈はなかなかつけにくいのです。

 私も中学生が好きな理由はよくわかりません。子どもはみんな好きなのですが、中学生ってなぜか好きなんですね。最近は新中野キリスト教会でキッズクラブのスタッフをしたり、子どもセンターと関わったりして、小さな子どもも以前より好きになりました。



理屈ではない

 母親はお腹に赤ちゃんができて、成長していくのを直に感じていますから、子どもに対する思い入れ、好きという感情もどんどん成長していくのかも知れませんが、父親にとっては生まれてくるまではあまり実感として感じられません。ですから、生まれてきてからスキンシップをとり、話しかけていくうちにどんどん好きという感情が高まってくるのかも知れないですね。

 どうして自分の子どもは好きなのでしょうか?理屈では答えられないですね。こういう理屈では答えられないことが、子育て・教育にはたくさんあるのではないでしょうか?理屈で子育てがわかるというのは、人間を軽く見ていることになると思うのです。そして、そのすばらしい人間をお造りになった神様を軽んじているのだと思うのです。

 確かに理論は大事だし、理屈で考えて判断できるところはたくさんあります。ですからそれに従って子育て・教育することも大事です。でも、それを超えるものが人間であり、人間関係です。子育て・教育も理論・理屈を遙かに超えているからこそすばらしいし、楽しいのです。



思春期がおもしろい

  高校3年生で失明するかも知れないという状態になって、血の気のひく思いをした私はその時、クリスチャンの母に祈ってもらって不思議にも失明を免れました。今思い出しても不思議でなりません。あの時私は失明していたかも知れないのに、何の治療もしないうちに癒されていました。母がイエス様に祈ってくれたことしかありません。このことがきっかけになって私は神の存在を感じ、クリスチャンになりました。

 同時にこの失明するかも知れないという実にいやーな気持ちは強く残り、障害を持った方達のことがとても気になったのです。そういうこともあって「障害児教育」を志して、養護学校の教師になりたくて大学を選びました。今のように障害児教育が進んでいる時代ではありませんでしたし、学習障害やADHD、アスペルガー症候群などという言葉も無い時代です。やっと「自閉症」という言葉が出てきたところでした。まだまだ障害者に対する偏見があり、差別があった時代です。  大学での授業は「なぜ障害がもつのか」「脳障害」「染色体異常」色々学ぶのですが、「理由がわからない障害」が大変多いことに気がつきました。また、障害と言ってもひとくくりにはできないことも知りました。みんなそれぞれ違うのです。

 こういう学びの中で「発達」を学び、その中で「思春期」は私にとってとても興味深いところとなったわけです。学生時代にはその部分をほとんど学ぶことはできませんでしたが、中学校教師になってから周りにいる中学生という思春期真っ盛りの子どもたちと過ごして楽しくてたまりませんでした。反抗期と相まって、彼らの言動は腹の立つことがたくさんあるのですが、そのデリケートな心、揺れる心、躁と鬱を短時間の内に繰り返すような心、おもしろくてたまりませんでした。そうして大人になっていくのです。だんだんと一人前になっていくという、とてもおもしろい時期を私は見させていただき感謝でした。

 子育ての会を行っている理由の一つにはこの思春期を上手く過ごして欲しいと願う気持ちがあるからです。思春期には色々なことで悩みます。悩むことはよいのですが、悩みを越える力をつけていない子どもたちもいることに気がつき、いつごろこうした力をつけることができるのか考えてきたわけです。悩まない子どもをつくるのではなく、悩んでもそれを乗り越える子どもを育てたいのです。

 思春期に入ってからいざ何かをしようとしても遅いことがたくさんあります。それ以前にしておくべきことはしておきたいですし、もしできなかった子どもには思春期にどう対応すればよいのかも考えたかったわけです。現実に色々な問題を抱えた子どもたちも見てきましたから、どう乗り越えるか一緒になって考えざるを得ませんでした。決してそれはおもしろいとか楽しいと言えることではありませんでした。大変です。でも、後になってそれらのことも「よかった」と思えて楽しい思い出となっているのです。

 時には思春期を終えていないかのような方が子どもを生み母親に、父親になっています。そうなると子育て自体が大変です。どうしてそうなるのか?ということは今も色々な分野から研究されているようですが、子どもと大人の境目が見えにくくなったことや、子どもから大人になるセレモニーが無いこと、子どもの成長が著しく早くなったのに決して精神面はそうなっていないなど挙げられるでしょう。どれにしても当の本人にとっては辛いことです。思春期の過ごし方はこれからの子育ての課題と言えると思います。



聖書の言葉

実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、世を愛してくださいました。 それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。
        ヨハネの福音書3:16 リビングバイブルより

 神様は全ての人を心から愛しておられます。思春期の苦しみを感じている子どもたちも、そこに至るまでの親の言うことも聞かない、あるいはじっとしていない子でも、みんな神様は大好きなのです。

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