子育て通信 #39

この時期を逃したくない(1)

愛を覚える時期

 愛情たっぷりに育てられてきた赤ちゃん。赤ちゃんは「愛」を知的に理解していませんから、「愛」を理解するには現実に自分に関わってくれる人の行動が必要です。

 赤ちゃんは泣くことしかできません。でも、泣けばお母さんが飛んできておっぱいをくれたり、おしめを替えてくれたり、だっこしてくれたりして嬉しくなるのです。心地よくなるのです。こうしたお母さんの行動から、或いはお父さんの行動から「愛」を蓄積しています。

 ですが、こういう行動でも機械的にすると赤ちゃんは元気を失います。ある場合には死に至ったり、精神的におかしくなったりするという報告があがっています。つまり、親の愛からの行動が必要なのです。愛情たっぷりのだっこ、愛情たっぷりのミルクタイム、愛情たっぷりのおしめ替え、愛情たっぷりのお風呂タイム等々が大事だということです。



おっぱいを終えて

 そして、そういう時期もしばらくすると無くなっていきます。まず最初は、おっぱいでしょうか?おっぱいを終えると、赤ちゃんとしてはそこからお母さんの愛情をたっぷり感じていたのですから、それが欠落することになります。それは欠落というより赤ちゃんの発達による結果です。だんだん自立していくというわけです。自立していくというのはだんだん親の愛情が減っていって良いというのではないと思っています。おっぱいを通して愛情を注ぐことが無くなっただけで、赤ちゃんは次のかたちで愛情をもらいたいのです。まだ、おしめ替え、だっこは残っています。さらに次のかたちは何でしょうか?

 赤ちゃんの時にもいっぱい話しかけてあげることが大事なのですが、お話しをするというのはとても大事な愛情表現です。第一反抗期の時期に最初の「親からの自立」を試みています。この時期は同時に親から愛されていることをしっかり確認してこそ、その自立心が養われ、赤ちゃんから子どもへと成長できます。お父さんやお母さんといっぱいお話しして、ダメなことをしたら「ダメ」と言われ、良いことをしたら「いい子ねえ」とほめてもらうのです。



おしめも終えて

 子どもの成長は早いものです。あっという間におしめの時期も終わります。もちろん、個人差は大きいですから、なかなかおしめのとれない子もいますが、その時は「まだおしめ替えからの愛情が欲しいんだな」と思っておけばよいのかも知れません。

 このおしめを替えるという愛情表現も終わりを迎えると後は抱きしめなどの方法で愛情を伝えていくことになりますが、一緒に過ごす時間が大切になるようです。食事を一緒に採るとか、一緒にお買い物に行くとか、散歩するとか、絵本の読み聞かせをするとか、お手伝いをするとか等々考えられます。つまり、おっぱいもおしめも終わっても、次々発達に応じた愛情表現があるのです。そうした愛情表現の積み重ねで子どもの人格が形成されていくのです。

一般的に「絵本の読み聞かせが大事」などと言われるとそればかりしてしまう方もありますが、読み聞かせだけが大事なのではないのです。読み聞かせは良いものですが、「読み聞かせ」はテレビやビデオと何が違うのでしょうか?ただ絵本を読むだけなら、テレビやビデオの方が優れています。大事なのは「読み聞かせ」の時のコミュニケーションです。子どもはそこから愛を受けているのです。テレビやビデオからは愛を受けません。

 先日テレビで、中国語の教師がビデオで赤ちゃんに教えても赤ちゃんの脳は反応せず教育的効果は無かったけれども、その教師が同じ内容をビデオではなく、直に赤ちゃんの前ですると脳は活発に反応し教育的効果があったというのを報告していました。機械的なものでは赤ちゃんの脳は活動しないのですね。いかにコミュニケーションが大事かと言うことだと思います。



友達遊び

 親との交流だけの時期から、異年齢の子ども、同年代の子ども同士の交流が始まります。子どもは本能的に遊びたがります。しかも、一人遊びではなく、誰かと遊びたがるのです。ところが、しばらくの期間は友達との遊びができないで、一人遊びをします。友達と一緒にいるようであっても基本的には一人遊びで、ほかの子達のことを仲間というよりも遊びの道具のような感覚でいます。

赤ちゃんを抜け出して子どもになっていくのですが、赤ちゃんの時にお父さんやお母さんにチヤホヤされて(これは悪い意味ではありません)、自分のしたいことをさせてくれたし、楽しませてくれたのです。ですから、お父さんやお母さんにあわせる必要がありませんでした。むしろ、お父さんやお母さんがあわせてくれたのです。

 この感覚で友達とも遊ぼうとしますが、友達は友達で同じような感覚を持っているのですから、当然そこには衝突が生じます。どうして自分の言うことを聞いてくれないのか初めはびっくりするのです。そして、だんだんその衝突経験から、譲ることや仲良くすることを学んでいくのです。

 こういう時期はよそのお子さんと遊ばせたりするときに気を遣います。必ずといってよいほどケンカになったり、泣いたりするわけです。じつはそれがとても良い体験になっているのですが、よその子を泣かしたりすると申し訳ないという気持ちが働いて、お母さんたちはすぐにケンカを止め、謝らせようとしたり、オモチャの取り合いなら「貸してあげなさい」と強要したりします。それが悪いのではないのですが、もう少し待てるといいんですよね。

子ども同士で成長しあっている時期なんです。それが「自分」を確立していくための準備をしているわけです。自分とお父さん、お母さんとは一緒、と思っていたのが、違うのかも知れないと思ってくる時期です。友達も自分と同じ事を思っていると思っていたのが、どうも自分の気にくわないことをしてくれるわけで、自分とは違うのかなと思うようになってくるのです。でも、まだまだ自分勝手な時期ですね。



9歳の壁

 「9歳の壁」という言葉はそんなに一般的ではないと思います。聴覚言語障害の子どもたちの教育現場で「9歳」の時期に発達の節目があることを見いだされてから「9歳の壁」という言葉が出てきました。

 この時期(小学3-4年生)は思考形態が変化する時期といわれています。今まで見えるもの、触れるものでしか考えることができなかった子どもたちが、抽象的思考を持ち始めるのです。ですから私は「愛」のことを強調してきたのです。「愛」という言葉は抽象的です。ですが、すごく現実的です。子どもがこの抽象的な「愛」を正しくとらえることができるようになるためには、「愛」の現実、具体的なものをよーく味わっておかねばならないのです。

 愛するというのは「だっこする」とか「なでなでする」とかいうものではないのですが、それが愛から発する表現であるわけです。子どもは誰かを「だっこ」すればその子に対して親切にしていると思っています。しかし、もう少し成長して、「愛」が身についてきますと、優しく、親切にしてあげたいという「愛」の心から「だっこ」してあげられるようになります。

 別の言い方をすると、今まで「1」という抽象的な数字は「りんご1個」というふうに具体的なものを通して理解していました。それが、「1」は「1」として理解できる力を持つ時期です。
          (続く)

  愛は寛容であり、愛は親切です。
   また人をねたみません。
    愛は自慢せず、高慢になりません。
聖書       

バックナンバー