子育て通信 #40

この時期を逃したくない(2)

(前回からの続き)

 幼い時期からどんどん成長して、子どもは「自分」を持ち始めます。そして「9歳の壁」とも言われる大事な時期を経て、思春期という怒濤の時期へと向かうことになります。ここでかなり「自分」が固まるのですが、そこまでに親として、大人としてしておきたいことは何かを見てきました。さらにその続きを書いてみたいと思います。


他との比較ができる

 「9歳の壁」の時期を別の話で説明しますと、今まで自分の家が一番大きいと思っていたのに、友達の家の方が大きいことがわかったとか、自分のお母さんが一番きれいだと思っていたのに、友達のお母さんの方がきれいだということがわかったという時期になるということです。

これは学級会で自分の意志を通すだけではなく、友達には友達の意見・気持ちがあるのだということを理解していくようになる時期です。つまり、話し合いらしいものができるようになるのです。

自分と他の人とを区別できても、なかなか自分と違う意見があることを理解していません。ところが、だんだん意見の違いがあることを理解し、かつ他の人の意見を尊重するということを覚えていくのです。



難しい分数

 小学生になると算数がどんどん進みます。あっという間に「九九」を覚え、割り算をし、分数に進みます。ところが結構分数でつまずく子が多いのです。中学の教師時代、私は美術の教師でしたが、英・数・国が苦手でこのままでは高校に入れないだろうという生徒対象に「基礎教室」という放課後のクラスが設けられており、それを受け持っていました。その時、数学を教えているつもりなのですが、算数を教えなければならないのです。たくさんの生徒が分数が正しく計算できないのです。中には「九九」も言えない生徒がいました。

 1/2(二分の一)というと一つの物を等しく二つに分けた一つですが、半分というのは幼いときからわりと「分けっこ」していて分かるのですが、1/3になると難しいのです。小数でも表せなくなります。私はよく、幼い内からおやつや食べ物などで「三人に分けて」とか、「五人分けて」と言って分けさせることが、分数を体でつかむ良い体験になりますと言ってきました。

 抽象思考を要するものは、幼いときに十分いろいろな体験をして、具体的なものを知っていることが大事なのです。すぐに数字の計算に入ってしまうと、計算はできてもその意味するところが理解できていなくて、少し進んだ内容になると困惑してしまうという結果を招きやすいのです。



見たまま描ける

 お絵かき・図工の時間に子どもたちを見ていると年齢に応じてその絵の描き方が変わってくることに気がつきます。幼いときは人を描いても頭から直接手や足が出ていたのが、頭に胴体がつき、手足にも肉付けがされます。さらに首ができ、肩ができてきます。

また、「お母さんを描こう」と言うと、みんな喜んで描くのですが、お母さんをじっくり見て描くことはまず無いでしょう。見ないで描けるというか、頭の中に「お母さん」のイメージがあるのでそれを描きます。しかしそれはイメージであり、写実的ではないのです。写実的に描く力は特にこの「9歳の壁」あたりでできてくるのです。ですから、小学1,2年生ではまだ写生が上手くできないのですが、3,4年生になるとできるようになってきます。お母さんを見て描けるようになるわけです。横を向けば横顔を描こうとするわけです。しかし、なかなかまだ斜めの構図とかが難しいのです。つまり、見て理解し始めているのですが、理解していることをそのまま描けるという技術力まではついていないということです。5,6年生になるとこのあたりがかなり上手になります。



観察力・読書力がつく

 同じく理科でも観察することができるようになるので、3,4年生になると観察の授業が入ってくるのです。それは主観的な見方からだんだん客観的な見方ができるようになってきたからです。

 よく読書が大切だと言われますが、この時期の子どもたちは記憶力も優れています。また、記憶力を高める時期でもあるのです。読書は知識を蓄えるだけでなく、他の人の考え、新しい知識をたくさん与えてくれます。主観的にしか考えられない時期ではなく、客観性を持って見ることができるようになった彼らにはとても楽しいことであり、刺激的なのです。



客観性ができるために

 こういう客観性が出てくるためにはそれ以前に十分な蓄えが必要です。どのような蓄えでしょうか?お母さんにはお母さんの考えがある、友達には友達の考えがあるということを理解するために、お母さんやお父さん、兄弟、友達とのぶつかり合いが必要なのです。前にも書きましたが、赤ちゃんの時は過保護なまでに自分のしてほしいことをしてもらってきたのです。それが続けば自己中心の主観性しか育たないでしょう。違う意見とのぶつかり合いによって自分の意見だけが正しいのではないことを知っていくのです。自己中心・わがままを通しても通じないことを知っていかねばならないのです。兄弟げんかは意味があるというのはそういうことです。

 この大切な客観性は知識として頭で覚えさせるだけではとても役に立たなくなります。そこにはわがままを通すと自分もおもしろくないし、友達もおもしろくない、お父さんやお母さんからは叱られるなど、痛い目をして覚えていくものもあるのです。それで、人を思いやる力にもなっていきます。




よーく話をすること

 思春期の前に子どもたちは「質問魔」になります。第一反抗期の時期に「どうして」「なぜ」を連発したり、小学生の時期には第一反抗期よりも難しい質問を浴びせてきます。

 学校のこともいろいろ話してくれるかもしれません。友達とけんかになった話も出てくるかもしれません。「○○ちゃんの方が悪いよね」など同意を求めてきたり、「今度、○○ちゃんと遊ぶことになったんだけど、あまり○○ちゃんとは遊びたくないんだ」とか。

 少し学年が上がると「クラスの男子がうるさいんだよ」「○○が、△△をいじめるんだよ」とか。さらに進むと「どうしてミサイルを飛ばすの?」「戦争するの」「どうして勉強しなければいけないの」「携帯を持ちたい、みんなっているんだよ」「○○君のことが好きになっちゃった」等々、いろいろな話が出てくると思います。

 幼いうちは気楽に聞いて、答える内容も気楽なものが多いかも知れません。しかし、大きくなってきますと、その内容は決して気楽なものではなくなってきます。幼いうちの質問にもまじめに答える努力をしておかないと、大きくなってからまじめには答えられなくなります(ただし深刻にはならないで)。また、子どももまじめに答えてもらえないから話さないようにしよう、という風になってしまいます。

 子どもの話はよく聞いてあげることが必要です。こんなつまらない話と思ってもです。大人にはつまらなく見えても子どもには真剣な話が多いのです。聞き上手なお父さん・お母さんはきっと思春期を迎えた子どもに対しても聞き上手になれると思います。



イエス様も聞き上手

 聖書を見ていきますと、イエス様は聞き上手です。人間のもっとも根本的な問題「罪からの解放」を気付かせるために、相手と会話をなさり、相手の語る中からその根本的なことを引き出して、本人に気づかせるのです。すごいですね。

 皆さんもまず、このイエス様と会話なさることをお勧めします。自分とイエス様との会話を体験して、自分の大事なことを知って、子どもと話をするとなかなかいいですよ。

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