子育て通信 #42

愛について思う

病院で聖書を読んで

 昨年(2006年)、私は入院して腰の手術を受けるという予想外の体験をしました。ところが、たった半年でまた入院するというはめになり、3月の「子育ての会」をお休みにしていただきました。私としては本当に辛い状態でした。
 そんなときに病室で聖書を読み、いつもとは違う発見をしました。その一つをここに紹介したいと思います。

 それは新約聖書・ルカの福音書というところにあるのですが、「イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。『あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。』 しかし、イエスは言われた。『いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』」(ルカの福音書11:27-:28)という箇所でした。

 イエス様は当時、短期間にユダヤの地方でとても有名になった方です。それは、その教えがとても人々の励ましになるものであったばかりか、実際に病気の人を癒したり、悲しむ人々に慰めを与える愛に満ちた方だったからです。このすばらしいイエス様を見て、一人の女性が「あなたのようなすばらしい人を産んだお母さんはなんと幸いでしょう」と言ったわけです。

 私たちも、我が子はどこの子どもよりもかわいく大切です。しかし、ふとした拍子に「あー、あの子のように勉強のできるこだったら・・」とか「あの子のように運動ができたら・・」などと子どもを比較して、よその子をうらやましく思うこともあります(無い人は幸いですが)。

 でも、ここでイエス様はすごく本質的なことを言われました。イエス様を産んだ母マリヤは幸せな人です。しかし、「私の母マリヤは幸せです」とは言われず、「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たち」だと言われたのです。

 私は18年ほど子育ての会をしてきて、色々なお話しもしましたし、相談も受けてきました。でも大事なのは、どの子もどの家庭も幸せになって欲しいということです。今だけ幸せなら良いのではないのです。ずっとです。愛は永遠といいます。永遠に幸せな家族であって欲しいのです。自分の代だけではない、子ども、孫、子々孫々です。

 その根本的なことをイエス様は言われました。「神のことばを聞くこと」と「神のことばを守ること」なのです。私の子育てもそうでなくてはならないし、どなたの家庭においてもそうあって欲しいわけです。

 病院のベッドで痛みのために、点滴をずっとうちながら、ほとんど身動きできない中、この聖書のことばは響いてきたのです。


イエス様は子ども好き

 私は聖書を読んでいて、「イエス様は子どもが大好きなんだろうなあ」と、よく思うのです。その一つにこういう話があります。
 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。  
(マタイの福音書19:13-19:15)
 イエス様はあちこち回ってお話ししておられたので、忙しかったし、疲れも覚えておられました。ですから、弟子たちはイエス様のお話のじゃまにならないよう、イエス様を煩わせないようにと、うるさい子どもたちを遠ざけようとしたのですが、イエス様はそうする弟子たちの方を叱り、子どもたちをご自分の近くに寄せられたのです。子どもたちがイエス様の邪魔をすると弟子たちは思ったのですが、イエス様は弟子たちに「邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。」と、弟子たちの方が邪魔をしているような言い方をなさいました。そして、子どもたちを大人と同じように一人格者として扱い、祈ってくださったのです。子ども好きでなければ、うるさい子どもたちが自分のそばに来るのを許しませんよね。

 また、子どもたちもイエス様のことが好きだったと思います。ある時、イエス様がいつものようにお話をされていて時間がどんどんたって、みんなおなかがすきました。でも食べ物がないのです。

 一人の少年がイエス様のためにとパンと干し魚を差し出しました。きっとこの子のお弁当でしょう。でも、それを差し出したらその子は食べ物が無くなっておなかはペコペコになります。でもこの少年はイエス様のところにそれを持ってきたのです。

 この後、イエス様は奇跡を行ってこのパンと干し魚を増やされて、2万人くらいいたといわれる人々みんなに満腹になるまで与えたのです。そのきっかけをつくったこの少年、イエス様が好きだから、自分は食べなくても良い、ずっとお話ししてくれておなかのすいているイエス様に食べていただきたいと思ったのでしょう。本当にイエス様のことが好きだったと思いますよ。




人間大好きイエス様

 イエス様は子どもが好きだったというより、人間が好きだったのです。人間は神様によって、神様に似せて造られた特別な存在です。いわば人間はご自分の子どもみたいなものなのです。

 親は自分の子が親を親とも思わないような行動をとったり、ひどいことを言うのを喜びはしません。私たち人間の親である神様は、私たちが神様をないがしろにするようなことを喜ばれません。神様の言いつけを守り、正しい生き方をするように願われます。

 ここに、私たちも子どもに対してすべき「しつけ・教育」があるのです。単に子どもは親から生まれて、かってに自分の人生を歩むだけなら、親のことをないがしろにしようと文句も言わないでしょう。しかし、人間は色々な動物と違って、長い時間かけて大人へと育てていきます。その間に、親の持つ価値観を子どもに継承していくのです。親が間違った価値観を持っていれば、それが子々孫々継承されるわけです。ですからユダヤ人は幼い内から聖書(彼らの聖書は旧約聖書のみ)を丸暗記させるのです。

 聖書には神様が人間を愛していることが本当にものすごくたくさん書かれてあります。神様って本当に人間が好きなんだなあと思います。つまり、私のことを本当に好きなんだということです。

 病院で寝ているとき、私は自分が何もできなくて、本当に虚しさを感じました。昨年からたいした仕事もできなくなって、腰の辛さのためキッズクラブでも、子どもセンターでも、子どもたちを抱きかかえることさえできなくなって、おもしろくない日々でした。
でも、病院で聖書を読みながら、こんな何もできない自分のことを神様は本当に愛してくれているんだと痛感し、嬉しくなったのです。

 子どもたちは何かができるから親に愛されているわけではありません。その子が「我が子」だから愛されています。同じく私も何もできなくても神様には愛されているのです。嬉しい話です。




「愛する」って

 「愛する」というのはとても大事なことですが、なかなかどうすることが「愛すること」なのかわかりにくいものです。言葉で「愛しているよ」と言うのは簡単かも知れません。でも、どうして愛しているのかと問われると「自分を愛してくれるから」とか「自分の必要を満たしてくれるから」といったような自分中心の思いがあると果たして本当に「愛」といえるのか考えてしまいます。

 イエス様は、イエス様のために何もできない、イエス様の必要を満たすこともできないような私のことを無条件で愛してくださっています。本来の「愛」はここにあるのでしょう。私たち人間の「愛」は「愛のようなもの」程度なのかも知れません。それでも、それをもって神様から与えられた「我が子」を命をかけて愛していくのは私たち人間の使命なのだと思います。

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