子育て通信 #46

自然を愛する心

どんな夏を

 皆さんはどのような夏をお過ごしになったでしょうか?

 夏休み前に、新聞・雑誌・テレビでは「夏休みこそ自然に触れる体験をさせて欲しい」というようなことが多く言われていました。私も「子育ての会」で毎年言ってきたのかも知れないなあと思いました。

 最近、特に子育てや教育の雑誌が増えたので、具体的にどこに行けばよいのかとか、どんなことをすればよいのか、大変詳しく書いてあってすごく参考になると思います。反面、それができないと良い子育てができていないのではないかと不安になる方も多いようです。



アウトドア派

 アウトドア派の親を持つ子どもは幼いうちから自然に触れる機会が多く、魚や虫に触ることもでき、どろんこになることも平気でしょう。

 反対にあまり外に出たがらない親、あるいは外といってもショッピングを好む親だと、子どもも外に出たがらなくなり、クーラーの効いた建物を好むようになるらしいです。

 私が子どもの頃(今から40-50年前)はまずクーラーがありませんから、家にいても暑いのです。と言っても、真夏に32度を越えることってほとんど無かったように思うのです。私のいたところは高槻市といって大阪と京都の中間にあり、我が家は高槻駅から歩いて数分という所です。決して山の中とかではないのですが、近くには田んぼや畑はありました。近くの川に行けば小魚も捕れましたし、池にはゲンゴロウなどの水中生物が結構いました。

 小学生の頃は夏休みには早くから起きて、友達と昆虫採集に行ったり、空き地で遊んだり、ほとんど外で過ごしたように思います。学校のプールや市民プールに午後の暑い時間に行くこともありました。アサガオやヒマワリなどの夏の花を楽しんでもいたようです。

 親がどこかに連れて行ってくれることはほとんどありませんでしたが、子どもはみんなアウトドア派になっていた時代なのかも知れません。

 今は子どもたちだけで外で過ごすことができない時代になり、親が連れ出さないとなかなかアウトドア派になれないでしょう。そういう点では嫌な時代になったなあと思います。



自然の持つ力

 聖書の創世記の一番最初にあの有名な「天地創造」の場面が出てきます。第1日目に「光」を造られて、第5日目までに地球上に植物、魚、鳥、獣を造られて、最後に人間を造られたという、あの場面です。それはそれは美しかったようですよ。

 全ての状況を人間が生活するのに良いように整えられて、人間は誕生したのです。人間は最初から自然の中で生活し、自然を楽しんできました。どうやらその頃は木の実などを食べるだけで良かったようで、肉食ではありませんでした。(余談ですが、当時はそれで十分タンパク質を摂取できたといいます。また、ノアの大洪水以後、神様は肉を食べることを許されているのです。)こうした自然の中で過ごすことは精神衛生上とても良かったようです。

 今も、ストレス解消のために自然に触れることが勧められています。森林浴や落ち葉の中に埋もれるなどは、気持ちがグッと前向きになるようです。鳥の声を聞き、虫の音を聞き、木々の葉のふれあう音、小川のせせらぎ、森の中・野原を吹き抜ける風に当たるだけで気持ちが楽になるのです。人間には自然に触れたいという欲求があるようです。

 精神的に落ち着きを失った子どもたちや沈み込んでいる子どもたち、人間関係にトラブルを感じた子どもたちに、自然に触れさせ、あるいは畑仕事をさせるとぐんぐん回復するのです。自然のもつ力はとても大きいことを認めなくてはならないと思います。



残念な出来事

 だいぶ前に友達家族と一緒に山の中にある自然公園に行きました。そこには自然の地形を利用したかなりやりごたえのあるフィールドアスレチックがあったのです。子どもたちとそこに入ることにし受付でチケットを買おうとして並びましたら、私たちの前の家族(父親と男の子2人、幼稚園と小学校低学年くらいでした)が受付のおじいさんに「何、やってるんや。早くしろ!」というようなひどい言葉を吐き捨てているのです。おじいさんも恐くて言い返せなかったようです。それも、私が驚いたのは、2人の子どもたちも同じように言っていることでした。初めは何を言っているのだろうと思っていただけなのですが、聞いているとそのおじいさんにひどいことを言っているのだとわかったのです。ショックでした。こんな小さな子が・・・

 せっかくすばらしい自然の中に来て、丸太で組まれた遊具を登ったり、岩肌をロープを伝って降りたり、楽しもうと思ったのに、気持ちが沈みました。自然は私たちを喜ばせてくれるのですが、そこに行く人間の言葉は私たちを重い気分にさせるのですから。



無理のないアウトドア

 現代の子どもたち、特に都会の子どもたちは普段も忙しく、近くに豊かな自然が無いので、夏休みなど特定の時期に自然に触れる機会を持たないと、自然と遠い生活になっていきます。それは同時に心の癒しを受けにくくなるということでもあるのです。

 田舎の子どもたちは普段の通学路が自然に満ちていることもありますから、通学だけで自然に触れて癒し効果を得ているのです。とはいえ、子どもを誘拐するなどの事件の多い時代、都会も田舎も変わらなくなりました。自然に触れる以前の問題があります。

 ですから、今は大人によって子どもが自然に触れる機会を持つことが多くなっていますし、またそうせざるを得ない状況にもあります。それを一家団欒のチャンスととらえられればよいのですが、普段から忙しいお父さんやお母さんにとっては逆にストレスになる可能性があります。

 かくいうお父さん、お母さんも自然によって癒されることは色々なところで体験してこられたと思います。

 無理のない程度のアウトドアに挑戦してみては。



身近なところで

 普段歩いている道でも、自然はいっぱいあります。子どもたちはちょっとしたところにも発見しています。ダンゴムシを見つけたり、アスファルトの破れに咲く雑草の花、どなたかの玄関に置いてある水槽の中のメダカや金魚、庭にできた柿の実等々。

 私はアウトドアで、山や野原、海や湖、川や池、沼に行ければそれはすばらしいと思います。川にカヌーを浮かべて流れていく、湖畔や山の中でテントを張る、とても良いことだと思います。

 しかし、「残念な出来事」で書いたように人の心を平気で傷つけるような言葉を吐き捨てるようなことであれば、神様のくださったすばらしい自然を楽しむことにならないと思うのです。反対に身近なところででも小さな花を見て、それこそ花屋さんの花を見て「きれい」と素直に言えることの方がすばらしいと思うのです。



愛する心

 子ども達には自然は必要です。造られた公園は飽きてきます。大人は子どものために公園に滑り台やブランコを置いておけばよいと思っていますが、子どもたちはそれよりも木登りできるような木、裸足で遊べるような砂山、泥んこになってもよい土、水、なんかがあると大喜びなのです。

 その自然の感触を幼いうちに覚えておくことが、大人になってからのストレス解消につながるのです。

 そして、何と言ってもその自然を大切にする、大切に思う親の気持ちなのです。自然を大切にする人は、きっと人をも大切にすると思います。「きれいな花だね」「虫が一生懸命歌ってるよ」といった言葉かけが子どもの心を開き、夢を持たせ、自然を愛する人へとなっていくのです。



聖書の言葉


 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
マタイの福音書6:26
 イエス様は弟子たちに、空の鳥や野の花を見させて、このように語られました。空の鳥も野の花も神様が守っておられる。まして、私たち人間が神様に守られていないわけがない、神様は一人一人をとても大切に思ってくださるのだ、と教えられたのです。

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