子育て通信 #47

やっぱり愛情でしょう

ちょっぴりいい気分

 9月15~17日に兵庫県の三田というところに行ってきました。実家のある大阪の高槻からは新三田行きの普通電車があるのですが、時間がかかるので新快速で尼崎に出て、そこから快速で行きました。何年か前に行った時はまだ、電車の本数が少なく、遠く感じたのですが、今回は早く着いたように感じました。それでも1時間近くかかっているのです。
 尼崎から三田に向かう福知山線は前に大きな脱線事故のあったところです。そのマンションの1階部分には大きな傷跡が今もありました。

 宝塚までは都会なのですが、そこを過ぎると急に山になり、田舎の風景になります。トンネルを抜けると渓谷があり、田んぼがあり、本当に気持ちが安らぎます。しばらくそんな風景の中を走り、三田駅に着きました。駅前はビルが建ち並び都会に見えますが、少し離れると田んぼがいっぱい、山も近いという気持ちのよい風景です。空気が違います。久しぶりにおいしい空気を吸った気がし、ちょっぴりいい気分になりました。

 頼まれていた礼拝とセミナー、個人面談をして、翌18日は高槻の幼稚園で定例の講演会を行ってきました。たくさんの方が来てくださっていたのに驚きを覚えつつ、講演をさせていただきました。



ゲーム脳のこと

 幼稚園の講演会で「依存」に関して語ったのですが、脳のこと、ゲーム脳・携帯脳のことも語りました。思い起こすと、数年前に「ゲーム脳」という言葉を聞いて調べたことを幼稚園でお話ししたのです。その頃はまだその言葉が出て間が無く、詳しいことはわかっていませんでしたが、「ゲームのしすぎで前頭前野部が働かない状態になる可能性が高いので、できるだけ幼い子どもはゲームをさせない方がいい」と言っていました。

 それから数年経つと色々なことがさらにわかってきて、やはりゲームのしすぎは危ないということがはっきりしてきました。ゲームに限らず、携帯メールも同じです。

 これはゲームや携帯メールを長い時間続けてしている子どもたちに同じような症状が現れて問題になったことがきっかけで調べられたようなのです。元気さに欠け、コミュニケーションがうまくとれなかったり、心身に異常が起こったり、犯罪事件につながったりしてきたのです。これを調べると脳の前頭前野部が活動していないことがわかり、すぐに回復プログラムも考えられたわけです。しかし、ゲームや携帯も依存症のようなもので、子どもたちはなかなか手放さないわけです。問題は終わらなかったのです。



まだまだわからない脳

 このゲーム脳のことと前後して「脳」のことがけっこう話題に上っていました。一つには老化現象やアルツハイマーなどの病気に関すること、鬱病や統合失調症などに関する精神病に関すること、ADHDやアスペルガーなど子どもの脳障害の可能性に関すること、等がありました。そうした研究のおかげで、ゲームのしすぎ、携帯メールのしすぎ、インターネットのしすぎ等々の問題がやはり脳と関係しており、発達や人間関係に関して大きな問題を引き起こしていることがわかったのです。

 同時に、同じように長時間ゲームをしたり、携帯メールをするけれども異常を来さない子どもがいることにも着目されました。前頭前野部がどの程度使われているかを見る機械を付けて検査すると、明らかに前頭前野部が働いていない子と、それでも働いている子があるのです。
 詳しいことはわからないのですが、ゲームのしすぎ等はやはり注意が必要だということだけは言われています。それも脳がまだ発達途中にある幼児はやらない方がよいということです。

 前に、ビデオを見て育った子どもの話もしましたが、これも同じ事が言われていました。ビデオで外国語の勉強をするのですが、そのビデオを見入っている赤ちゃんの前頭前野部は働いていなかったという話です。その同じ内容を実物の人間が直接赤ちゃんの目の前で行うと、赤ちゃんはその人を見つめて前頭前野部も活発に活動しているというのです。

 同じ事がゲーム、携帯メールに言えるのです。ゲーム脳になっていない子ども、つまり前頭前野部が活動している子どもというのはゲームやメールもするけれども、コミュニケーションもとっているのです。ところがそれでもみんな同じといえないのが、まだまだ脳に関してはわからず、今後もデータが増えることで新しい報告が出ることと思います。

 わかっていないから気にしないではなく、危ない可能性のあることには近づかないことも必要でしょう。



脳障害に関する可能性は

 リタリンという薬はADHDにも用いられていたのですが、依存性を持っていることがわかって使用禁止になりました。ということは「リタリンは有効だ」と言われていただけにこの薬が使えなくなると、今後は依存性の無いリタリンに代わる薬が出るのか気になるところでしょう。
 脳に作用する薬だけに慎重でなければなりませんが、諸症状で困っている方、その家族にとっては可能性のあるものに飛びつく気持ちもわかります。

 先日も数名の「学習障害」「発達障害」と診断されたお子さんをもつご家族とお話をしたのですが、子どもさんが小さいうちは親がまだ保護していられますが、大きくなるとそれもできなくなり、できれば自立して欲しいと願っておられ、進路に関して大変大きな悩みを持っておられることを聞きました。
 教師時代にもそれは一緒に考え悩んだことでしたので、私も、本当に社会的にそういう体制ができることを願う一人です。

 ご家族も、なんとか障害が無くなる方法は無いものかと考え、それは今はまだ無いとなると、薬や教育でどこまでカバーできるのかを気にされます。そして、学校選びも大きな課題になります。よい学校があっても遠すぎたり、子どもの人間関係が形成されにくかったり、と考えると決めにくいのが現実です。

 でも、子どもも成長するに従って、思っても見なかった発達を見せることがあるものです。その中で、今まで聞いた話で興味深かったものがあります。
 脳性小児麻痺でほとんどしゃべることもできず、動けなかった子どもさんが、ことあるごとに両親がその子に手を置いて祈り、時間があれば体をさすってあげたのです。すると、大きくなっていくに連れ、体が動くようになって、言葉も出るようになり、歩くこともできるようになったということです。確かに奇跡的なことで普遍性は無いのかも知れません。しかし、愛情をもって体をさすり続けると子どもの発達が早まる話はけっこう聞いたのです。



やっぱり愛情でしょう

 体をさすれば発達するというのではないのです。愛情なのです。
 私は目に見えない神様の存在を信じていますし、その神様(イエス様)が私を愛してくださっていることも信じています。ときどき、どうして見えない神様を信じているんだろうと考えてみるのですが、もともと「愛」は見えるものではありません。その見えない「愛」を私は間違いなく感じているのです。見えない私の「ハート」でです。

 私の両親は私のことを愛してくれました。今も愛してくれています。説明は難しいのですが、「愛」は感じます。表面的には互いに口答えしたりしますが、「愛」は感じます。
 神様の愛もどこか似ているのでしょうね。聖書を読むだけでその「愛」がよくわかります。



聖書の言葉


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3:16

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