子育て通信 #49

クリスマス

サンタさんは煙突から?

 何歳までだったのでしょうか?サンタクロースが枕元にクリスマスプレゼントを置いてくれると信じていました。サンタクロースに会いたくて、布団に入ってもしばらく起きていましたが、気がつくと朝で枕元にプレゼントがあるのです。「おかあちゃん、サンタさんからプレゼントや!」と叫んで、弟とパジャマのまま台所に走るのでした。

 でも、クリスマス前にはいつも心配だったのです。うちの家の煙突は細いからです。と言ってもよその家もたいてい同じで、外国の写真に出てくるようなレンガ造りの大きな煙突ではありません。こんな細い煙突からどうやって入ってこれるのだろうかと。子どもの頃はまだガス風呂ではありませんでしたので、薪や石炭で風呂を沸かしていたのです。ですからたいていの家には煙突がありました。それに年に何度か煙突のすす掃除をしました。父親が屋根の上でタワシの付いた針金を煙突に突っ込み、こすると真っ黒なすすが落ちてくるのです。風呂の焚き口で私は米袋にそれを受けるのです。こんな真っ黒な煙突の中をサンタさんが通ってきたら、あの真っ赤な服は真っ黒になってしまうと心配したのです。

 それでもサンタさんはこの煙突から入ってくるのだと信じていました。「おかあちゃん、サンタさん、こんなエントツをとおれるの?」「まっくろにならへんの」と尋ねる私たち兄弟の言葉をどんな思いで聞いていたのでしょう?

 私も子どもたちが「うちの家はエントツがないけど、どこから入ってくるの?」と聞いていた頃、どんな風に思っていたのでしょう?「かわいいなあ」と思っていたのでしょうね。



たくさんいるの?

 子どもの頃、サンタクロースは絵本の中に出てくるくらいでした。それがいつ頃からか、お店の宣伝に使われるようになり、この時期に街に出るとたくさんのサンタクロースと出会います。無邪気に子どもたちが「サンタさんだ!」と言うのを聞いていて、この子たちは私が子どもの時に信じていたような信じ方をしているんだろうか?と考えてしまいました。あちこちにサンタさんがいるんですから。テレビでもいっぱい出てくるし、外国から飛行機で日本に到着したとニュースでも言っているし、私の信じていたたったひとりのサンタクロースではないでしょうね。いつからかサンタクロースはたくさんいることになっているようですからね。



クリスマスは誰の誕生日?

 子どもたちにとってサンタクロースが主役のようなクリスマス。だいぶ前にある教会で行われた「子どもクリスマス会」で聖書のお話をしましたが、3-12歳の子どもたちが150人くらい集まっていました。そこで私は「クリスマスは何の日?」と尋ねました。「イエス様のお誕生日」という答が返ってくるものとばかり思っていたのです。ほとんどの子どもたちはそう思っています。ところがその時は一番最初に答えた子が「サンタさんの誕生日!」と答えたのです。「えー!!」という子どもたちの声、「そうだよ、サンタさんのお誕生日だよ」と後押しする声。楽しかったです。

 いつの間にかクリスマスはイエス様からサンタクロースに主役が代わっていたのでしょうか?時代の変化はそういうことなのかも知れません。私はそこでイエス様のお誕生のお話しをしました。

 その時、もう一つおもしろいことがありました。「悪いことを一度もしたことのない人、ウソをついたことのない人、いますか?」と尋ねると3歳の男の子が「はーい!」と元気よく手を挙げてくれました。するとその隣の男の子が「うそつけ、さっきボクをたたいたじゃないか」と言ったので、みんな大笑いになりました。子どもに限らず大人も「自分は何も悪いことはしていない」と思っているものなのかも知れません。



クリスマスの誕生説

 「クリスマスはイエス様のお誕生日」ということまでは知られていても、「イエス様は神様」であることとか、「全ての人の罪の身代わりに死ぬために生まれた」ということはあまり知られていません。

 私は子どもの頃、サンタクロースはたった一人で全世界を回っているのだと思い込んでいました。どう考えても時間的にも空間的にも無理があるのですが、子どもですからそう信じていたのです。現代の子どもたちはサンタクロースはたくさんいると思っているのかも知れません。

 サンタクロースはたくさんいても良いのですが、クリスマスの主人公はたくさんいては困るのです。

 12月25日をクリスマスにしたのはいくつもの説があります。というのもイエス様のお誕生日がわからないからです。イエス様がこの地上に生まれたことも、十字架で死なれたことも、復活されたことも事実ですが、何年何月何日生まれというのがわからないのです。今も多くの学者がその日を特定しようと頑張っていると聞きました。



 そういう中でこんな説を聞きました(本当かどうかはわかりませんが)。

 北欧にキリスト教が伝わるまでその国々では色々な神々を信じていました。そして北欧の冬は太陽がほとんど出なくなります。太陽がどんどん無くなり、光がこの世から無くなっていくのではないかと思わせるのです。

 ところが12月25日頃から昼が長くなり、人々はホッとします。そこで光が戻ってくることを喜んで太陽の神を考え出し、12月25日を太陽神の日としたらしいのです。

 そしてある地方ではその太陽神に生け贄をささげることにしていました。村の娘たちの中から選ばれた一人の娘は大きな木につり下げられたと言います。しきたりとは恐ろしいもので、誰にもこれをやめる勇気はありませんでした。

 そんなある日、この村にもキリスト教が伝わったのです。初めのうちはなかなか信じる人がいなかったのですが、聖書のお話を聞くうち、多くの人がクリスチャンになり、村全体がキリスト教を信じたというのです。

 するとあのいまわしい生け贄のしきたりはもう要らなくなりました。太陽神を礼拝することも無くなりました。人々は教会を建て、生け贄をやめたのです。その時、人々はこう思ったのです。「あのしきたりが続いて入れば、私の娘が今年生け贄になっていたのかもしれない。イエス様が身代わりに十字架にかかってくださったから、私の娘は殺されずに済んだ」と。そしてなおさらイエス様の十字架に感謝したというのです。

 そこで、この12月25日を太陽神を礼拝する日からイエス様を喜ぶ日とし、イエス様のお誕生を祝うようになったと。そして、あの忌まわしい生け贄をぶら下げた木には「イエス様は神様からのプレゼント」を思い、子どもたちへのプレゼントをぶら下げることにしたというのです。



 我が子が生け贄になっていたかも知れないのにそこから救われたというのはどれほどの喜びでしょう。間違ったしきたりや知識は今も世界中で子どもを犠牲にしているのかも知れません。

 私たちも子どもの幸せを願っています。本当の幸せを、イエス様からいただいて欲しいです。



聖書の言葉


 マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

ルカの福音書2章

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