子育て通信 #50

新年おめでとうございます

お正月にも働く

 東京に来て5回目のお正月です。私は親不孝だなあと思います。一回もお正月に帰省していないのです。クリスマスの時期の忙しさは教会では当たり前です。その後、1年のまとめや元旦礼拝、新年礼拝の準備をして教会会議の準備をしているとお正月自体ほとんど無いのです。子どもたちにもさみしい思いをさせているなあと思います。

 しかし、その度に思うのですが、この時期に休めず仕事をしている人の多いことです。私なんかよりお正月の無い人はいっぱいいます。



昭和30年代のお正月

 今回は私の子どもの時のお正月を思い出して書いてみます。昭和30年生まれの私の記憶に残っているのは35年くらいから後でしょうか?



餅つき

 お正月というと、その前に思い出すのが、12月28日の餅つきです。毎年たいてい暮れの28日についていました。これが楽しくて、楽しくて。庭にかまどを作り、前もって水につけていた餅米をせいろで蒸します。風呂焚きに慣れている私は、このかまどの火の番も得意でした。

 蒸しが上がると4つほど積んであるせいろの下から取って臼の中に入れます。我が家の臼は御影石のものでした。それはそれは重い石臼です。そして子どもでは持つのも大変な杵でつくのです。一気につくと米が飛び散るので、まずはこねます。これを十分にやるとつきやすいのです。

 餅つきは両親と私たち兄弟二人、それに祖母、父の弟(結婚するまで同居していました)、時には親戚も来て一緒につきました。楽しい行事だったのです。

 何臼かつくと、一臼は蒸しの上がった餅米でおにぎりにして食べます。これがまたおいしいのです。そして、餅米だけの餅だけでなく、半分くらいは餅米と普通の米の「うる餅」というのをつきます。うるもちはさくさくとしてあっさりした餅で大好きでした。

 丸餅、棒餅、エビ入り、のり入り、豆入り、時にはあんこ入りも作ります。つきたてをダイコンおろしで食べたり、この時のお餅が最高においしかったですね。

大晦日

 そして、大晦日がまた楽しかったです。普段は8時頃には寝ていた私たち子どももこの日は12時まで起きていていいのです。嬉しくて必死で目を開けているのですが、たいてい眠ってしまって、紅白歌合戦の終わりに近づいた頃に起こしてもらって、年越しそばを一緒に食べました。



正月

 そして目が覚めると元旦です。すでに母と祖母が朝食の準備をしています。おせち料理が並び、雑煮や餅を食べます。餅は火鉢で焼いて醤油をつけ、また焼くというのが好きでした。醤油の焦げる香ばしい香りが何とも言えなく食欲をそそります。あべかわ餅も、砂糖醤油で食べるのも大好きでした。

 お正月は商店街も全部お休みです。たいてい7日間は休んでいました。小学5年生くらいの時、本当に店は開いてないのかと調べに行きました。6日頃だったと思います。本当に見事に200mくらいある商店街は全部店が閉まっていました(今は1日から開いている店が多いのですが)。

 子どもにとってお正月に嬉しいのはお年玉です。今の子達のようにたくさんもらえることは無かったですが、親戚や近所の方からももらったので、結構たまったみたいです。

 そして、次に嬉しいのが、普段はなかなか遊んでもらえない両親たちと一緒にカルタ取り、百人一首、すごろく、福笑い、トランプなどをして遊べたことです。特にテレビ番組もありませんでしたし、店も開いていませんし、まさに家で一緒に遊べました。

 また、子ども同士ではコマ回しもしました。手に乗せたり、ひもを滑らせたり、なかなかのものでした。  凧揚げは近くの田んぼでやりました。何人も揚げていました。連凧を揚げている人、ものすごく高く上げている人、飛行機凧を揚げている人もあり、見ているのも楽しかったです。

 道路では女の子がはねつきをしていました。何しろ道路も自動車が走ることはまずありませんでしたから、安心して遊べました。(中学3年から毎年元旦は初日を見に自転車で出かけていました。普段はとても走れない国道171号線が5時、6時はがら空きで、センターラインを悠々と走れた時代です。今は正月もいつもすごい交通量です)

 こんな感じであっという間に冬休みは終わり、学校が始まります。正月ぼけはしばらく続きます。おせちに飽きてくると当時出始めたインスタントラーメンを食べました。この中にも餅を入れるのですが・・・



今は?

 こんな感じのお正月はいつまで続いたのでしょうか?

 餅つきをやめて、餅つき機でつくようになり、1日、2日にはデパートもスーパーも店を始め、福袋が売り出されると家にいるよりも出かけることが多くなったように思います。親戚も忙しくなったのか、正月にあまり来なくなりました。子どもたちも大きくなると子ども同士で遊びました。映画に行ったり、スケートに行ったりして、家族と過ごす時間がグッと減りました。

 ジグソーパズルが流行った頃、私たち兄弟と従兄弟二人の4人で正月3が日朝から晩までかかって3000ピースの大きいのを完成させたことがあります。でも、後で「ちょっとさみしい正月だったなあ」と語り合ったものです。

 私に子どもができてお正月を子どもたちと過ごしだした時、すでに私も忙しくなっておりました。商店街は元日から仕事を始めていました。凧揚げをしていた田んぼも無くなり、住宅が建ち、道は車がつぎつぎ来てとてもはねつきもコマ回しもできません。

 家の中でカルタ取りやトランプはしました。懐かしい感じがよみがえってきます。火鉢も堀こたつも無くなり、便利で色々な物が増えたのですが、あの子ども時代を思い出すとさみしくなるのはなぜでしょう?



忙しい子どもたち

 子どもたちも大きくなってきますと、冬休みの宿題や部活など、子どもたちも忙しくなっているのではないでしょうか。受験勉強で年末年始も大忙しの子どもたちも多いと聞きます。忙しいのは大人だけではなくなったようです。

 仕方がないのかも知れませんが、私の思い出は懐かしく、良き思い出だと思っています。果たして、我が子が大人になって、家庭を持った時に、懐かしい良き思い出として出てくるのかなあと考えさせられます。



元旦ハイキング

 初日を見に自転車で走った高校3年生の元旦。初日に向かって「大学合格祈願」をしようとしたのですが、祈願できなくなったのです。それはあの美しい日の出を見て、その雄大さに心打たれ、大学合格祈願があまりにもちっぽけなことに思えたのです。大学には入りたいけれど、そんなことよりももっと大きなことが人生にはあるんだと直感的に感じました。

 その2ヶ月後、右目が失明しかけ、クリスチャンの母の祈りで癒された時、「神はいるのかもしれない」と思い、大学受験後に教会に行きました。そしてクリスチャンになったのです。  元旦サイクリングは大学生の間も続けました。ある時は行った先で雨になり、2時間濡れ続けて帰ってきたこともあります。

 教師になって、生徒にそんな話をすると一緒に行きたいと言われました。するとその計画が他の生徒にも知られてしまい、結局50名で元旦ハイキングすることとなりました。これが6年続いたのです。そして、牧師になってやめることになりました。元旦礼拝をするのに体力が持たないからです。

 でも、すごーくよい思い出になっています。元旦ハイキングは両親にも大変お世話になりました。50名、80名という生徒を一旦我が家に集めて休憩させ、それから2時間歩いて日の出を見て(この河川敷公園で1時間ほど遊んで)また2時間歩いて帰るのです。我が家では両親が温かい飲み物やお菓子を用意してくれました。本当に感謝です。

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