子育て通信 #66

見えなかったものが

    

美術の授業で

 私はかつて中学校の美術の教師を少しだけ(6年間)した経験があります。美術は好きでしたが、特別美術のできる者ではありません。美大を出たわけでもありません。それだけに美術の授業は大変でしたが、楽しくもありました。その時のことで、思い出に残る授業があります。まず、この授業を紹介いたします。

見える色

 その授業は「友達の横顔を描く」というものでした。横顔を木彫のレリーフにするために、まず横顔を描いてみることから始めたのです。写実的なレリーフを仕上げることが目的ではありませんでした。生徒達の気持ちを表すことのできる作品を求めたのです。そこでこの授業計画を立てたわけですが、友達の横顔を鉛筆で下書きし、そこに色鉛筆やクレヨンなどで色を塗るわけです。

 その時に、生徒達に描かせようとするとほとんどみんな髪の毛を黒に、顔は肌色に塗っていきます。みんな、同じような横顔です。そこで、私は作業を中断させて、「よーく見てごらん。髪の毛は黒にしか見えないか?顔は肌色にしか見えないか?」と聞いたのです。(色々な国の方が日本にも住まれるようになった中で「肌色」というのはよくないということから色の名前についても検討がされていますので、肌色という名前は無くなっているかも知れません) そうしますと、初めのうちは「えー、黒しか見えへん」などと言っていますが、「髪の毛に光が当たって緑とか黄色とか見えへんか」と言っていきますと、「あっ、緑色が見えるわ!」「ほんまやオレンジも見える!」と言い始めてくれるのです。第一段階成功です。

もっと見つめて

 さらに「もっと見つめてくれ、友達の顔を見ていたら、この友達にはこの色が合うなあと思う色はないか」「みんなが感じる色は何や」と聞いてみたのです。また、彼らは困りました。そこで「よっしゃ、いっぺん色を塗ってみよか」と言って、描かせてみました。

 すると第1作目は8割が髪の毛は黒、顔は肌色というオーソドックスなものでした。でもその中に2割ほど、髪の毛に緑や紫を混ぜた生徒がいました。顔の色も赤っぽくしたりした生徒もいました。全作品を黒板に張り出すと大笑いでしたが、この2割の作品はみんなの目を引いたのです。

もう一度描きたい

「もういっぺん描きたい」という声が続出しました。そうなることを期待していたので画用紙は2倍用意していました。第2作目を描かせてみました。すると、今度は8割がいろんな色を使ってカラフルに友達の横顔を表現してくれました。再度、黒板に張り出しますととても生き生きとした個性のある作品が並ぶのです。大笑いではありましたが、生き生きした作品ができたのです。自分としてもこの授業は楽しく、いい授業だったなあと思います。

美術嫌い

「美術なんか嫌いや」という生徒が多いのに驚いたのは教師になった最初の時でした。中学生や小学生はもっと絵を描くとか、作品を作ることが好きだと思いこんでいた私にとってはショッキングな声でした。

「何で嫌いやねん」とたずねると「描かされるから」という答えでした。つまり、自分たちで描きたいという気持ちが起こっていないのです。それは「水泳は好きやけど、泳がされるのはいやや」「音楽は好きやけど、歌わされるのはいやや」というのと同じです。

 そこで、何とか生徒達が楽しんで絵を描いたり、作品を作ることができないものかと試行錯誤、色々やってみたのです。

 その一つの授業であったわけですが、まあ当たりました。「もう一枚描きたい」この言葉を待っていたのです。当然作品は生き生きしています。緑一色に塗られた顔もありました。でも、張り出してみるとおかしくないのです。生き生きしているからでしょうね。

同じものを見ても

 人間は同じものを見ていても光の加減で見え方が変わってくるのは当たり前のことです。光が反射すれば色も違って見えます。

 でももっと大事なことは、見ている人の気持ちが見え方を変えているということです。楽しい気持ちを持っている人には周りの雰囲気が良く見えます。気持ちが暗い人には周りの雰囲気も暗く感じられます。楽しい気持ちの時には明るい音楽も心地よいのですが、暗い気持ちの時に明るい音楽を聴くと耳をふさぎたくなるものです。(悲しんでいる人には悲しい音楽が合うのだそうです。気持ちを共感させて、その人がしっかり悲しみの気持ちを持つことで、心が満たされ、気持ちの切り替えができるようになるそうです。)

 見え方、聞こえ方が違ってくる。光の反射だけではなく、人の心のありようによってです。だから、美術・音楽などの作品はおもしろいのです。作品に心が表されるからです。

子を持って知る親の心

 子どもを持って初めて親の気持ちがわかったという話はよく聞くことです。子ども時代、ずっと親に愛されて育ってきたのですが、子どもの目には親の心まで見抜けないのです。これは当然のことです。しかし、大人になっていくと見る目も成長し、親の気持ちを理解し始めるのです。

見えていなかったものを見て

 自然を見つめたり、人生を振り返って思いめぐらして、今まで見ていたものの中から、見えていなかったものを見ることができると人の心が成長するのです。

 同じ出来事を見てもそこに神様が私たちを見守り、愛してこられたことを見ることができれば本当に幸いです。見えない神様があなたを、あなたの家族を色々な方法で守っておられること、教えておられることが見えてくれば本当に幸いな人生となります。

子どもの別の面

 子育てにおいても、算数とか、国語とかいうそういう尺度だけで子どもを見ていると本当の子どもの姿を見失います。もっと子どもを見つめてみませんか。何か別の面が見えますよ。しかもその時に、神様の尺度(聖書に書いてある見方)で見つめることができれば素晴らしいですよ。

バックナンバー