子育て通信 #68

一緒に過ごせる間に2

 前回「一緒に過ごせる間に」の続きになります。

  ●さなぎ時代

 私は思春期を「さなぎ時代」と呼んでいます。私が小学生の時にアゲハ蝶を卵から蝶に育てた経験が何度もあるのですが、友達が同じように育てて、さなぎから蝶になる時に、殻を破って出てきたその蝶の羽を触ってしまったのです。すると、羽はまっすぐに伸びずグニャグニャになり飛べなくなりました。思春期は「さなぎ時代」と私が呼んでいますのはここなんです。大人が不要に触れてはいけない時があるのです。自分で飛ぼうとしているのに伸ばしてあげようと手を出してしまうがため、逆に飛べなくなってしまうのです。思春期は適度に離れている必要があります。

 今、幼児期の子どもたちにとってはいわゆる青虫(幼虫)です。どんどん葉っぱを食べて大きくなり、何度か脱皮して大きな青虫になるのです。思春期になるとなかなか触れられなくなるのですが、幼児期はまだまだ触れることが可能です。子どもの方でも触れて欲しいと思っています。スキンシップの少ない子どもは幼稚園で先生にじゃれついてきたり、先生の体を触ってきたりします。この現象は小学生でもあります。私が中学校の教師をしていた時、やたら私にくっついてくる1年生の男の子がいました。さすがに2年生になると治まりましたが。しつけに厳しい家庭で、十分なスキンシップを得られなかったみたいです。

  ●スキンシップとお話

 幼児期の子どもたちは、お父さんやお母さんからのスキンシップを求めています。抱きつくだけでなく、手をつないで走ったり、一緒に何かを体験することも大事な事です。またお話しすることを願っています。楽しくお話ししたいのです。自分の事もわかって欲しいのですが、それよりもお父さんやお母さんとお話しすること自体を楽しみたいのです。思春期になると親の考え・判断を求めるために話したり、自分の意見を認めてもらいたくて話したりするようになります。話をすること自体を楽しむのは、その対象が親から友達や恋人に変わっていくのです。幼児期は、まだまだ親と話をすることを楽しんでいる子どもたちですから、どんどんお話ししてください。お父さんもどんどんお話しして欲しいですね。



3.他の人との関わりの中で

  ●幼稚園で

 幼稚園に子どもを入れるということは、親の側の子育てを放棄することではなく、親だけでは足りない部分を補ってもらうために幼稚園に子育てをお任せすることです。幼稚園はもちろん保育園とは違い子育てと言うより幼児教育を主眼に置いているのですが、まだ、この幼い時期ですので子育てをしていると言っても問題ないかと思います。

 赤ちゃんには多くの人の働きかけよりも両親中心の子育てがよいのですが、幼児期になってきますとその体の動きも活発になり、お母さんとだけでは物足りなくなってきます。しかも、遊びたくてたまらない時期です。まだこの時期は一人遊びをする時期なのですが、子ども同士で遊ぶことによって人間関係の基礎を学ぶことになります。

 また、幼児期は体が動かせることに喜びを感じています(もちろんこの感覚は青年期まで続きます。老化現象を示すと頭の中ではまだまだ自分の体は動くと思っているのに動かなくなった自分にショックを感じるのです)。体を動かすことで心身が発達します。ですから、できるだけ外遊びすることが望ましいのです。思いっきり体を動かすことができるとよいのです。もちろん、幼稚園の園舎の中で動き回るのも価値はあります。

  ●自分をつくる

 第一反抗期の自立を始める時期は、わざと親から離れようとします。でも、離れてしまうと不安がいっぱいですぐに戻ろうとします。こういう離れてみたいけれど、離れると不安だという気持ちがあるのですが、慣れると離れても平気になります。この慣れをつくることも大事なわけです。母子密着型の場合はこの離れることの不安が消えなくて、大きくなっても親と離れることに大きな不安を持つのです。

 幼児期は子ども同士で遊ぶと言ってもまだ「一人遊び」の延長だと言われます。つまり、友達も自分の遊びの中の道具に過ぎなかったり、友達を喜ばせるために何かをするわけでもなく、自己中心なのです。精神的にまだ成長していないので自己中心なのです。むしろその自己中心によって「自分」をつくっている段階なのです。ある程度「自分」ができないと他者を受け止めることができません。

  ●他者との関係を身につける

 子どもにとって生まれた時からしばらくは、自分とお母さんとが違うということに気がついていないのではないでしょうか。「自分の思っていることをお母さんも思っているはずだ」ぐらいに考えています。赤ちゃんのうちは泣けばお母さんにしてもらえます。

 でも、少し大きくなると泣いてもお母さんはしてくれなくなります。「ガマンしなさい」と言われることもあります。自分の思い通りにはいかないということを体験するのです。これはすごく大事です。自分とお母さんとは違う存在だとわかっていくのです。幼児の間もまだこの感覚は薄いのですが、小学生の3・4年生になると「自分と友達では色々な考え方があるものなんだ」と理解し始めます。こういうところから人間関係の持ち方を学ぶのですが、その基本は家庭にあるのです。そして、これをわかって大人になっていって親と離れていくのです。

 いつかは親とは完全に離れるのです。その時に何が子どもに残っているのでしょうか?何を残すべきなのでしょうか?



4.神様とずっと過ごす

  ●ヨセフ(創世記37章~)

 聖書には色々な人物が登場するのですが、時としてそれらの人物は私たちに当てはまることが多いのです。また、当てはめて読んでみると自分自身の生き方を考える材料にもなります。

 そういう中でヨセフという人を紹介しましょう。イエス様の母マリヤと結婚したヨセフではありません。それよりもさらに2000年ほど昔、今からですと4000年ほど昔の人物です。彼は12人兄弟の11番目の子で、しかもお兄さん達とはお母さんが違います。父はヤコブ(後に名前をイスラエルと変えられます)。ヤコブはこのヨセフを溺愛し、兄たちとは全く違う育て方をしてしまいます。きれいな服を着せてもらい、兄たちと一緒に羊を飼う仕事もしていません。要するに「おぼっちゃま」です。その結果兄たちから相当嫌われ、ある日兄たちの策略でエジプトへ奴隷として売られてしまったのです。悲惨な人生になるはずでしたが、聖書には 「主(神様)がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。」 とあるのです。親元を離れ、奴隷にされたのに「幸運」なんて言えるのでしょうか?この後にも「神様がともにおられ」という言葉が何度も出てきます。

  ●神とともにある生き方を教える

 聖書は人の幸福を「神とともにある生き方」としています。私なりの結論を言いますと、親の大事な仕事は子どもに神様を教えることなのです。神様がどのようなお方なのか? 神様をどのように礼拝すべきか? 神様の命令は? 等々、子どもに教えるのが親の仕事です。

 ヤコブの子育ては確かに下手です。子どもたちが憎み合うような事になっています。それでも、ヤコブは神様を教えたのです。奴隷となったヨセフは本当の神様ではない神様を礼拝するエジプトに行っても、彼は神様を正しく礼拝しました。神様は奴隷からすぐに救い出されたのではないのですが、「ともにおられ」て彼を守られるのです。

 さらに結果的には彼の能力をエジプトの王が認め、ヨセフを大臣にしてエジプトの政治を任せるのです。そして飢饉の時に苦しむヤコブ一族を助けることにもなるのです。ここまで聖書を読むと、神様のなさることは人知を越えているとわかるわけです。

  ●親は一緒に過ごせなくなる

 父親ヤコブはヨセフとずっと一緒にいたかったのですが、ヨセフが17歳の時に離れてしまいました。ヤコブはヨセフといつも一緒にはおれませんでしたが、神様を教えたおかげでヨセフにはいつも神様が共におられました。ヤコブの子育ては下手でしたが、神様を教えたことはよかったのです。

 私たちもかわいい子どもたちとずっと一緒に過ごしたいかも知れません。でもそれはあり得ません。子どもが自立できるように育てるのです。多くの場合、体が大きくなること、勉強ができるようになること、社会に適応できるようになることなどを目標にして子育てしているかも知れませんが、最も大事な「神様に祝福された人生を送るように育てること」が案外抜けているのです。勉強も運動も情操教育も大事です。でも、肝心の所を忘れていたら、砂の上に家を建てることになります。嵐が来ると土台がしっかりしていないので倒れるのです。

 子どもと一緒に過ごせる時間は、子どもにとってみれば親を見ながら、親の生き方を見ている大事な期間なのです。親の側の楽しみで子育てをするのではありません。子どもが正しい生き方ができるように、親のアドバイスを聞くことができなくなる時期を迎えても、自分で正しいことを判断できるように育てるのです。

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