子育て通信 #71

メリー・クリスマス!

クリスマスだ!

 2009年も最後の月になりました。クリスマスシーズンですね。忙しいのですが、何か嬉しくなります。

 この時期の嬉しい気持ちは子どもの頃も同じようにありました。サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれると信じていた時、我が家の煙突が小さいので心配したのを思い出します。今では煙突のある家こそ少ないですが、昔はお風呂を薪や石炭でたいていました。そのための煙突があったのです。しかし、煙突掃除を手伝った私はそのススのすごさに驚いたのです。そして、小さなサンタさんがこの中を降りてくると、真っ赤な服が真っ黒になると心配したのです。

   サンタクロースの存在を信じなくなった時でもプレゼントがもらえるという楽しみは大きかったです。そのまま冬休みに入りますし、その先にはお正月があるという楽しみがあったのでしょう。その頃の私にはクリスマスもお正月も同じくらいにしか思っていなくて、クリスマスは西洋のお祭り、お正月は日本のお祭りくらいの感覚でした。

18歳のクリスマス

 でも私の18歳のクリスマスは違いました。その年の3月28日に私はクリスチャンになったからです。キリスト教のことをほとんど知らなかった私でしたが、春休みに持たれた2泊3日の高校生バイブルキャンプに出席して、イエス様が私の罪からの救い主であることを知ったのです。

 その年からクリスマスの喜びは変わりました。単にクリスマスの本当の意味を知ったと言うだけではなく、クリスマスが(イエス様が)私と個人的にとても深い関係にあることを知ったからです。

 人生初めての教会でのクリスマス礼拝に出席して心から感動しました。クリスマスの賛美歌を歌うのも嬉しかったです。クリスチャンでなくても、結構クリスマスの賛美歌を知っているもので、初めて歌う賛美歌ばかりではなかったので、そんなに違和感なくクリスマス礼拝も過ごせたように思います。

 そして、クリスマス祝会というのがありあました。現在、新中野キリスト教会でしている「クリスマスアフタヌーン」と同じようなもので、教会のメンバーや家族・お友だちを呼んで出し物をしたり、歌ったり、クイズやゲームをしてとても楽しく過ごす時なのですが、関西人の私は大好きでした。吉本調ののりでお笑いの劇をしたこともあります。

イエス様の望むクリスマス!

 あの時から36回目のクリスマスを迎えるのですが、ここのところ毎年この時期に思うのは、このクリスマスの主役であるイエス様は、私たちにこの時期をどのように過ごして欲しいと願っておられるだろうか?ということです。

 というのも聖書の話の中に、2人の姉妹マルタとマリヤ(イエス様のお母さんのマリヤではありません)の話があります。このお話は、彼女たちの住むベタニヤという町にイエス様がお出でになった時、マルタもマリヤも大喜びしました。急いで家を片付け、食事の準備をしたりしてイエス様をお迎えしようとしたのです。

 お姉さんのマルタは一所懸命食事などおもてなしのために動き回りました。一方マリヤはしばらくはおもてなしのために動いたのでしょうが、ほどなくイエス様のそばに座り込んで、イエス様のお話に聞き入ってしまったのです。

 マルタはイエス様に「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」と言うのです。そこでイエス様は「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」とおっしゃったのです。

 マルタは決して悪いことをしたのではありません。お疲れであろうイエス様とそのお弟子さん達に対して最大限のおもてなしをしようとしたのです。本当に偉いと思います。でも、イエス様はマリヤの行動の方を喜ばれているのです。

 マルタが動こうとしないマリヤのことを気にせず、一人で働いたとしたらイエス様はどう思われただろうか?とも思います。でも、マルタは自分のしていることが正しくて、当たり前なのに、マリヤはそれをしないのだから、マリヤを叱ってくださいというような言い方です。そこにはマルタの自己正当性、自分よがりが見えるのです。

 こういうイエス様はクリスマスをどのように過ごして欲しいと願われるのでしょうか?

 子育てのことでも思うのです。子どもたちの本当の願いを思う時、親の方がマルタのように動きすぎていないだろうかと。子どもはもっとお母さんとゆっくりお話をしたいのに、自分のお話を聞いて欲しいのに、この子のためだからと動き回り、あるいは学費のためと子どもを置いて仕事ばかりに精を出しているとしたら・・・

 今だからこそできること、しなければならないことがあるのだと思います。その時期を安易にやり過ごすと、後で親も子も辛い思いをすることになるのではないでしょうか?

世界最初のクリスマス

 イエス様が誕生されたその日、イスラエルのあちこちの村や町は賑わっていたようです。イエス様が生まれたからではありません。ローマ皇帝からの命令で住民登録をするために生まれ故郷に人々が戻ってきていたからです。人々は住民登録という大変なことのために長旅をして辛かったと思います。しかし、久しぶりに会う親戚や友人。懐かしさと積もる話で夜のふけるのも忘れたことでしょう。

 その一方で家畜小屋の片隅に置かれた飼葉おけの中にイエス様は寝かされました。世界で最初の「クリスマス」です。イエス様の誕生をお祝いしたのはマリヤとヨセフ、そしてその家畜小屋を貸してくれたご主人たちと家畜たちだけだったのかも知れません。しかし、この心優しいご主人達もこの赤ちゃんが誰なのか知らなかったのです。

 まるで今の日本のクリスマスみたいに「何の日か知らない」で、イエス様のお誕生日だと言って「キリスト教の祭を共に楽しもう」的なところがあるように見えます。もちろん知らないからです。私も18歳まで知らなかったので、「クリスマスはイエス様のお誕生日」くらいにしか思っていませんでした。

 以前、ある教会の子どもクリスマス会でお話をしたのですが、150人くらいの子どもたちが来ていました。そこで「クリスマスって何の日だ?」と聞きましたら、幼稚園の男の子が大きな声で「サンタさんの誕生日!」と言いました。絶対正解と思って言ったのです。知らないんだから仕方ないですね。

 イエス様がお生まれになったその日、お祝いに駆けつけた人達がありました。貧しい羊飼いです。彼らが家畜小屋を貸してくれたご主人と違うのは、この赤ちゃんが誰だか知っていたという点です。

 羊飼い達は天使から教えられて来たのです。 「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」 という天使の言葉を信じてやって来たのです。

 クリスマスの本当の意味を知っているということはすばらしいことです。

生まれた目的

 私たち夫婦に子どもが産まれた時、本当にすごい喜びでした。この子がどんな目的で生まれたかなんて考える余地もなく、ただただ嬉しくて、かわいくてたまりませんでした。マリヤとヨセフにとっても同じだったのではないでしょうか。  でも、二人にとっては私たちと違ったことがあります。それはイエス様は神様の子であり、その使命を帯びて生まれてきたという点です。二人は毎年イエス様の誕生日を迎える度にどのように思ったのでしょうか?大きくなって、ヨセフの仕事を継いで大工をしてくれている。でもそれがイエス様の目的ではないのです。

 私たちの子どもたちは神ではありません。イエス様とは違います。しかし、この子達のためにこの地上の親として託してくださった神様は私たちを信じてくださったのです。私たちなら、この子達を天国に導く大事な子育てをすることができると。この地上に目的無しに生まれてくる人はありません。イエス様を友として生きるために生まれてきたのです。

 すばらしいクリスマスを!!

バックナンバー