子育て通信 #72

2010年もよろしく!

クリスマス前に

  昨年のクリスマス前に、私は39度近い熱を出して寝込みました。インフルエンザを疑って医者に行きましたが、幸いインフルエンザでは無くホッとしました。しかし、全身の筋肉が痛くて寝るのも辛いくらいでした。痛みというのはどんなものでも辛いですね。

 人間が快適に過ごすことができるというのは本当に奇跡的なことだと思います。何かのバランスが少し崩れると痛みが出たり、私のようにアトピーの痒みが出たり、体のだるさ・しんどさ、憂うつ感等々色々な辛さを味わうものです。こうしたことを考えてもこの複雑な体を造られた神様に驚かされます。



クリスマス会

 寝込んだため、私はマスカット・エンジェル・クリスマス会に出席できなくて、本当に残念でした。大人・子どもあわせて50名近く来てくださったということで賑やかな雰囲気が想像つきました。

 熱がひき、痛みもほとんど無くなって、金曜日の子どもセンタークリスマス会には出席できました。ほとんどまともに食事をしていなかったので、力の無い状態でしたが、みんなとクリスマス会をすることができて大変嬉しかったです。センターの5人の子どもたちとお母さん、そしてお兄ちゃんとお姉ちゃん、保育士3名と私の16名でこぢんまりと、礼拝、祝会をしました。イエス様がお生まれになった時には何人くらいでお祝いしたのでしょうね。マリヤとヨセフと何人かの羊飼いたち、家畜小屋を貸してくださった方の家族もいたのでしょうか?10人くらいだったのかも知れないですね。



お正月

 さて、お正月というと皆さんにはどんな思い出がありますか?私は今年55歳になります。昔だと定年の年ですね。こんな私の子ども時代というのはもう昔のことで、これを読んでくださっている方にとっては体験したことのない、テレビや本で見る世界になるのかも知れません。

 小学生の頃、つまり45年ほど昔、私たち子どもの冬休み・年末は忙しかったです。大掃除、障子の張り替え、餅つき、おせち料理の手伝い、正月7日間はお店も全部閉まっていましたから、その間の食料をしっかりと用意するのです。忙しかったけれど家族みんなでするということが楽しくもありました。

 餅つきはその中でも特に楽しかったです。庭に石の臼を出してきて、ブロックを積んだかまどで蒸しをあげたお米を10臼くらいつくのです。小さいうちはちょっとだけしかつかせてもらえませんでした。早くつかないと寒さのために餅が硬くなっておいしくなくなるからです。でも5,6年生になると力もついて、結構つかせてもらいました。私が一番好きだったのは、終わり頃の一臼をつく前におにぎりにして食べるというものでした。おいしかったですよ。それから藤井の家では「うるもち」と呼んでいましたが、餅米と普通のうるち米を半々にした餅をつくのです。これにエビやノリを入れるとさらにおいしいのです。さくっとした歯触り、これは今でも大好きな餅です。

 つきたての餅を大根おろしや醤油をつけて食べるのもまた最高でした。思い出しただけでもよだれが出てきます。

 どこも店は開いていませんので、家でカルタ取り、百人一首、すごろく、トランプ等をして過ごす最高の時でした。従兄弟が来るとますます楽しいものでした。こんなに家族や親戚と遊べる時というのは一年でこの時だけでしたから、本当に楽しかったです。ただ、おせちばっかりで飽きてくるので、すき焼きやカレーがすごく楽しみだったのも思い出します。



今の子どもたちは

 こうして考えてみますと、わずか数十年でお正月風景は大きく変化したものだなあと思います。私の子ども時代に楽しかったことを私の子どもたちはほとんど体験していません。もちろん、子どもたちは今風のお正月を楽しんでいるのでしょうけれど。

 私たちが子どもの時はお店自体が閉まっているから、買い物に行くことはなかったのです。でも、今は元日からお店も開いています。楽しい映画もたくさんあります。色んなものがあります。

 家で家族や親戚と一緒に何かをするということよりも他の楽しみ、他のことの方が楽でそちらに流れやすいですし、元日からお店が開いているということは、家族の中にも仕事をしている人がいたりするわけです。忙しい時代になりました。

 私には懐かしいお正月の情景が浮かんできますが、私の子どもたちは大人になった時、お正月の情景というものが浮かんでくるのだろうかと思ってしまいます。かといって昔のような遊びを子どもたちが喜ぶかというと短時間だけの喜びで、すぐにあきてくるというのもあります。



元旦礼拝

 多くの人は初詣に行くのでしょうね。私は子どもの頃は、父親が私たちを近くの天神さんに連れて行きました。紅白歌合戦が終わると着替えて、除夜の鐘を聞きながら行くのです。すると年が替わり新しい年の元日になっているのです。たくさんの人がお参りに行っています。子どもがこんなに遅く外に出るのも一年でこの日だけなのでこれも何となく嬉しいことでした。でも、眠い中連れて行かれて、ただ神社に行って、賽銭を入れて、帰ってくるだけなので、子ども心に「何の意味があるのかなあ?」と思ったものです。神様がいるなんて思っていなかったからです。

 そんな私も18歳でクリスチャンになると、その後の元日は変わりました。元旦礼拝に出席するようになったのです。はっきりしていました。神様がおられるし、その神様を一年の最初に礼拝するということで、本当に嬉しかったです。



元旦ハイキング

 元旦礼拝の前に私がしていたことは元旦サイクリングでした。3時頃から自転車で日の出を見に行っていたのです。

 このことを教師になって生徒に話をすると「行きたい」と言うのです。数名ならいいかと思っていたのですが、その話が広まってしまい、サイクリングをやめてハイキングにしました。

 大晦日の夜11時に私は家を出て、生徒の家を回って集めます。そして、3時頃我が家に一旦入れて、休ませ、4時頃から再出発です。10kmほどのハイキングですが、50名もいるとなかなか大変なものでした。でも楽しかったですね。神学校に入った最初の年まで続けました。6年かな。

そして、私はその後元旦礼拝に出席するのです。徹夜ですから、礼拝を終えて帰ってくると、もう丸一日くらい寝ていました。

 一年の初めに真の神様に礼拝をささげるのはやはり喜びでした。



牧師になってお正月は

 牧師になってからはそういうこともできなくなりました。年をとったということもありますが、私が元旦礼拝を導かねばなりません。早めに教会に入って準備しているのですから。

 元日から私たちは忙しかったです。大晦日までたいてい仕事をしています。そして、元旦。気持ちは切り替えていますが、あの子どもの時のようなお正月では無くなりました。時代も変わりましたしね。

 私たちの子どもたちはこういうお正月から忙しい牧師家庭で育っていますので、ちょっと可哀想な気もします。でも、両家のおじいちゃん、おばあちゃんと楽しく過ごせる時でもあり、子どもは子どもなりに楽しんでいるようでした。



いっぱい笑いたい

 ある小学五年生の男の子が、「家族」という詩を書きました。
ぼくの家族はにぎやかだった
けれど、お母さんがあまり笑わなくなって
だんだんおもしろくなくなっていく
いっかい、家族でさわいでみたい
もっとお母さんやお姉ちゃんが
笑ってくれたらいいのに
お母さんの年がゆくたびに、
笑わなくなっていく
 ちょっぴりさみしい詩ですね。私の子ども時代のお正月は笑い声が一杯でした。いっぱい遊んだからです。笑うといえば「福笑い」をしましたね。

 少し前に教会でも福笑いをしました。最近の子どもたちは福笑いを知らない子もいます。でも、やり始めたらおもしろいらしく、できあがった顔を見て大笑いしていました。

 子どもたちは笑うことが好きです。大人もそうではないでしょうか。もっともっと笑いたいですね。

 では、
 詩篇の1篇を贈ります。
幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。

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