子育て通信 #76

どんな発達が望ましいの?

元気に生まれてきて!

 子どもが誕生した時、どれほどの喜びを持ったことでしょう。生まれてくるまで色々なことを思っていましたが、やはり誕生直前は元気に生まれてきて欲しいという気持ちだけでした。「元気に」とはどういう気持ちなのでしょう?

 私は障害をもって生まれてきたお子さんをお持ちのご両親と何度もお話をしました。誕生を喜んだのも束の間、その障害に愕然として涙が止まらなかったと言われる話を聞いてきました。本来は嬉しいはずの赤ちゃん誕生が悲しみとなるのです。

 しかし、最近ではいくぶん事情が変わってきました。医学の進歩、社会の取り組みの進歩、障害児教育の進歩のおかげで、障害を持っている子どもたちが大きく成長することができるようになってきたからです。

 かつては障害をもったお子さんをもつ家族はそのことをひた隠しに隠すことさえありました。しかし、現代は障害を持つことも一つの個性であると前向きな考え方ができるようになりましたし、障害を持ちながらも個性的に生きる人達が増えてきました。おかげで、悲しみの涙を流した親御さんが嬉し涙に変わることもたくさん見て来ました。

オンリーワン

 日本人の考え方の特徴として「他の人と同じようでないと不安」「人より劣っていないこと」というものがありますが、これは教育の世界にもかなり定着していて、多くの人が平均点というものを気にします。進学という観点では「平均点」よりも「偏差値」の方が気になる方が多いと思います。

 子どもが小さい間は「この子なりの人生を歩んでほしい」などと結構オンリーワン的な思いで子育てをされる家庭も増えています。ところが、そのオンリーワンは他の人よりも抜きん出た才能を持って欲しいという気持ちがあったのではないでしょうか?もちろんその思いが悪いわけではないのですが、子どもに大きなプレッシャーとなることも忘れてはいけないと思います。

 また、この子はこの子だけしかいない。他にはいない。というごく当たり前のことですが、それがこの子だけは他の子と違って可哀想な境遇に生まれた、というように考えてしまうことがあります。そういうオンリーワンではみんなが辛くなると思います。

 神様がこの子にはこの子なりに生きる、何か特別なものを用意してくださっている、と信じるのです。もちろん障害が重いと苦しいことが多いことは事実ですが。

早期教育

 いわゆる健常児をお持ちのご家庭から「いつから英語を習わせると良いでしょうか?」と聞かれることがありました。「ピアノは?」「水泳は?」「算数は?」・・・次々出てきそうですね。実際のところ気になるのは仕方が無いと思います。いつの時代にも早期教育の是非は語られてきましたが、未だ決着がついていません。

 早期教育を語る専門家とその教育を受けさせたい親御さんとの間で同じ考えであると言えないために、多くの悲劇を生み出したのも「早期教育」のかわいそうなところです。早期教育自体が悪いわけではないでしょう。問題は子どもを見ずに教育内容ばかりに目がいくことではないでしょうか!

 オンリーワンの考えの中には、この子の持つ能力を最大限引き出してあげるのが親の努めと考え、早い段階でその能力を発見し、育てていこうというものがあります。もちろん悪くないのです。しかしそれがために、わが子をしっかりと見ているかというと、現実は子どもを見ないで「能力」という何かそういう力とか物質のようなものだけを見ているということがあるように感じるのは私だけでしょうか?

脳障害

 私が大学で障害児教育を学んだ時(35年ほど前)に初めて出てきた「自閉症」という言葉。その時は「親の育て方が悪いから自閉症になる」と言われていたのです。大学を卒業してしばらくすると、「自閉症は脳障害であって、親の育て方の問題ではない」と発表されました。自閉症のお子さんを持つ親御さんがどれほどホッとされたことでしょう。

 さらに、その後いくつかの脳障害が発見され、今もなお研究が続いています。学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(AD・HD)、アスペルガー症候群、というものが有名です。有名でもそれがどういう障害なのかはなかなか理解されていないと思います。「保育士、教師になる人はこうした勉強をしておくべきだ」とは何年も前から言われてきましたが、現実はそんなに進んでいません。ましてや一般家庭にはどれほど浸透していることでしょうか?それこそ、我が子がお医者さんや専門家に「○○です」と診断されて初めて「それは何ですか?」と聞いて、そこから知り始めるのではないでしょうか?私も未だ詳しくはわかっていません。

障害ってなんだろう?

 「障害も一つの個性」と言われる時代になりました。さらに「発達障害」という言葉もだいぶ一般的に出回ってきました。大人になって初めて「自分は発達障害だったんだ」と知った方も多いそうです。健常者と障がい者の境目なんてわかるものではありません。しかも、自閉症だった子どもが教育のおかげで、大人になって自立するケースが増えてくると、大人になって障がい者とは見なしにくくなるのです。

 反対に健常者が交通事故や病気などで障がい者になったり、ストレスで精神を病んでしまって精神病になったりしていわゆる一般的生活ができなくなることも多々あるのです。子どもに鬱病が発見されるように、子どもにもそれが起こる時代になったのです。

 子どもの鬱病ということでは、近年ますます増えているように思います。最近の書籍に「子どもの鬱病は大人とは違って、その現れ方も違う」というようなことが書いてありました。とすれば、専門家で無い、私たちはどのように見分けたらよいのかわからなくなります。

 しかし、私たちが見ても、この子は鬱的だと思える子どもはいます。すると鬱病なのか、単に鬱的症状なのか、それともアスペルガー症候群や他の発達障害なのかということも見分ける必要が出てくるわけです。正しく見分けることができ、その子にあった教育方法をとれば、発達していくものです。

感じる心が発達しているか?

 私は教師時代に生徒の美術作品を見て、「中学生なのに何と子どもっぽい描き方なんだろう」「この子は何も感動を覚えなかったのだろうか?」など色々思ったことがあります。しかし、英語や数学などの科目ではとても良い成績をとる生徒もいました。美術に関する学習障害でしょうか?そうではないと思います。もっと感じることができたはずなのに、感じることを制限されて(感じられる時間を減らされて)、他の勉強などに時間をとってきたのでしょう。

 イエス様の時代にイエス様を殺したくてたまらなくなった人達がいました。当時のインテリ、宗教学者であり、ユダヤ人の指導者でした。彼らは頭も良く、ユダヤ人を指導する立場でしたから、ローマ帝国から利用され、お金をもらってうまくユダヤ人をまとめてきました。彼らの感性はいつしか神様から離れ、人の心を見失っていきました。そのため、イエス様が民衆のために活動されても、彼ら指導者は屁理屈をこねて、イエス様をやっつけようとしたのです。

 最終的にイエス様に勝てなかった彼らは、イエス様の言葉尻を捉えて、民衆をそそのかし、裁判の席でも民衆に「十字架につけろ」と叫ばせてしまいました。裁判をしたピラト総督はイエス様に罪を認めなかったのですが、それを貫くと自分の地位が危ぶまれ、ユダヤの指導者に委ねてしまいました。そして、イエス様は十字架刑にされてしまいました。真実が通らないのです。

 この時代の子どもたちの心はどうでしょうか?真実に対してしっかり目を向けられるのでしょうか?彼らの目は輝いているのでしょうか?私たちは子どもたちにどんな発達を願っているのでしょうか?彼らの心は感動するのでしょうか?感じる心は発達しているのでしょうか?

 もっと子どもの発達をトータルに見つめてみたいものです。そして、我が子の発達を喜ぶ親でありたいと思うのです。発達は他の人のようなるということではなく、その人らしくなることだと思います。

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