子育て通信 #80

自分の部屋・心の扉

自分の部屋で勉強

 親は勉強する子どもを喜びます。それは当然のことだと思います。ただ、勉強と言っても色々な勉強があり、スポーツも勉強と捉える人、遊びも子どもにとっては勉強の一貫と捉える人もあります。ですから「勉強」と言っても共通認識を持つのは難しいです。今回は自分の部屋で一人で机に向かって勉強するということを考えてみます。

 自分の部屋を持っている子どもがどれくらいいるのかわかりませんし、自分の部屋を持てるようになったことで本当に勉強が良くできるようになったのか分かりません。また、気になることが書かれた本もあります。子どもが自分の部屋をもち、そこで勉強しているから安心というわけにはいかないようです。

勉強と引きこもり

 いつの頃からでしょうか? 「子ども部屋」という言葉ができたのは? また、小学校に上がると「勉強机」を買ってもらうのも普通のようになったのもいつからでしょうか?

 親にとってみると、子どもが自分の部屋で勉強するのは安心できます。自分の部屋にいると勉強しているような錯覚にも陥りやすいですし、学力がつくと思っています。ところが、幼い時から自室にこもることに慣れるため、大きくなってから引きこもりの原因の一つになっている、という話があるのです。勉強している子どもが引きこもりも学んでいることになるわけです。こうなると話は違う方向に進みます。

子ども部屋

 何歳くらいになったら自分の勉強部屋をあてがった方がよいのか、これは以前からよく聞かれる質問でした。  私が子どもの頃は自分の部屋が欲しくてたまりませんでした。兄弟が多かったわけではなく、昔の造りの家で、子ども部屋なんて無かったといった方がいいでしょうか? そんな中、廊下の隅っこに小さな机を置いて自分のスペースとしたこともありました。ほんの小さなスペースが自分の場所という気持ちを膨らませ、大変嬉しく、勉強する気持ちをかき立てるのです。  また、こういう気持ちが男の子には「基地」を持ちたくさせるのでしょうか? 友達とよく原っぱや山に「基地」を作りに行きました。高槻(大阪府)も私が子どもの頃は空き地があちこちにあり、山も近かったのです。大人に知られない「基地」は私たち友達同士の貴重な場所でした。

 最近、「子ども部屋は必要ない」というようなことがよく言われています。なぜでしょうか? 以前は日本風建築からだんだんと洋風の家が建てられて、個室が作られていきました。そして、子ども部屋も確保されるようになっていきました。欧米の子育て・教育と相まって、自分の部屋を持つことで自立心が養われ、勉強もしっかりできるようになると言われた時代があったのです。ですから、私なんかはそういう友達の家を見てはうらやましく思ったわけです。

 しかし、最近は子ども部屋で勉強させるのではなく、特に小さいうちは、お母さん達のそばで、台所やリビングルームで勉強させた方が良いと言われるようになりました。その方が子どもは安心して勉強にも力が入るというのです。  この考えは確かに多くの結果を見ているようです。親のそばで(お母さんが台所仕事をしている横で、というような形で)宿題したり、勉強している子は結構成績が上がったそうです。といっても私はそういう環境と個室で勉強した子どもの成績の比較表を見たわけではなく、そういう話を聞いただけなので、正直なところ事実は知りません。

心の部屋

 自分の部屋を欲しがるのは自己の確立が進んでいるからですし、親を離れて自立に向かっているということでもあるのです。そしてその部屋やスペースは自分の場所、「居場所」としても存在しているわけです。誰にも見られないように日記を書いたり、手紙を書いたり、小説や詩、マンガをかいたりして、自分の世界に没頭することのできる部屋ということでもあるわけです。

 また、思春期近くになると羞恥心も芽生え、みんなのいるところでは着替えたりしにくくなります。自分の部屋はそういうことに役立つのです。

 また、友達あるいは恋人に手紙を書く(現代ではメール?)等ということも安心してできるのが自分の部屋・スペースです。  それは単に勉強したり、着替えたりするという部屋ではなく、自分の心の部屋ということになるのです。そこでは自分でいろいろ思い巡らし、一人で静まって考えることもできるのです。一人で考えるということも子どもには必要になってきます。

部屋の扉よりも心の扉

 思春期、反抗期には親と目をあわせたくない時もあります。あるいは自分でゆっくり考えたい時、誰にも邪魔されず、もの思いにふけりたい時もあるではありませんか。

 親はその子どもの心の扉をぶち破るようにして入り込んではいけないのです。

 イエス様も 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(聖書 黙示録3:20)  と言って、決してイエス様の方から心の扉を開けなさいません。でも私たちの方から開けるならば、優しいイエス様はいつでもその心の中に来られるというのです。

 子どもが自分の部屋に引きこもるように、心の中に引きこもるのは安心できる「何か」を持っていないからでしょうか。そんな時にその心の扉をぶっ壊すと危ないのです。

 心の扉は自分から開けて欲しいのであって、外側からこじ開けるわけにはいかないのです。

何に集中するのか?

 自分の部屋にこもることの良さもたくさんあります。思春期の時期に、集中する力のついた子どもが他の音や声に邪魔されずに集中して勉強したり、何かを作ったり、あるいはしっかり読書したり、色々なことを考えたりすることができるのはすばらしいことです。

 しかし、そういう年頃の子どもでも親や家族のそばで勉強する方がよいという意見もありますし、私もそれに結構賛成です。

 自分の部屋に閉じこもると、現代の子どもはインターネットや携帯、ゲームにはまってしまい、時間のたつのも忘れて、勉強や思考に没頭するのではなくて、そういうことに没頭してしまいやすいという傾向があります。

 また、少年犯罪に関することを聞いても、親のいない家に友達(友達と呼べるかどうか問題ですが)が上がり込んで、タバコやアルコールを覚えてしまう場所になることがあります。エスカレートするとそこは薬物や覚醒剤の温床ともなってしまいます。  かつて高校生の子どもの部屋に女子高生が監禁され、最後には殺されてしまう事件がありました。親は女子高生がいたことを知らなかったというのです。こうなるとこの自分の部屋は悪の温床、犯罪の温床です。子どものためにとあてがわれた「自分の部屋」が大変恐ろしい場所になってしまうのです。そして、子ども自身、良き自分を形成されず、立て直しも難しくなるのです。

自分の部屋に誰を?

 自分の部屋は自分の心を象徴する部分があるのでしょうね。かってに土足で踏み込まれてきたら腹が立ちます。誰かが部屋に入って荒らしていったら腹が立ちます。掃除をしてくれるのは助かるけれども、無断で自分のいない時に入ってこられても困ります。

 誰を自分の部屋に迎えるか? 大好きな人なら部屋をきれいにして迎えたいでしょうし、長くいてもらいたいでしょう。

 自分の部屋は自分の心ですね。自分の心に誰を迎えるでしょうか? そのためには心の扉を開かねばなりません。心を荒らす人を迎えたくはないものです。ましてや自分の心の王座を明け渡しても良いと思える方があるでしょうか?

 私はそういうお方を見つけました。イエス様です。イエス様は私の心をこじ開けもせず、土足で踏み込むこともせず、私を心から愛して、私が心の扉を開けるまで待っていてくださいました。

 そして、私の全てを知っておられるのに、責めもせず、「真の友」となってくださいました。

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