子育て通信 #82

マリヤのビジョン

楽しいクリスマス

 クリスマスの時期になると何かしら子どもだけでなく、大人も楽しい気分になります。どうしてクリスマスは楽しいのでしょう。イエス様という赤ちゃんが誕生したからですか? 一人の赤ちゃんの誕生がみんなを嬉しい気持ちにさせるのでしょうか? もっと何かあるのではないでしょうか?

 世界で最初のクリスマスは、家畜小屋で行われました。その前にイエス様の母となったマリヤにどのようなことがあったのでしょうか?

天使ガブリエル

 ガブリエルという名前の天使がマリヤの所に来ました。このところの話は教会学校でもよく劇にするところです。子どもたちが演じるとかわいいものです。またかわいい天使の絵が描かれることも多々あって、天使を子どものように思っている方もあるかも知れません。

 天使には年齢や性別は無さそうです。天使は忠実に神様の仕事をする霊なのです。ガブリエルは神様の御言葉を伝えるために遣わされる天使のようです。

 天使を見ることができたらいいなあと思う方はたくさんおられると思います。

宣教師を守った天使

 かつて読んだ本の中にアフリカの奥地に宣教に行った宣教師が現地の人達に殺されそうになったことが書かれてありました。現地に入った宣教師一家はほったて小屋のような家を造り、現地の人々に聖書のお話をしておられたのです。ところが現地の人々の反感を買ったのです。それは、自分たちの神様では無い神様を伝えているということからでした。

 遂にある夜、酋長を中心に大勢の男達が戦闘の準備をして宣教師の家に向かってきたのです。宣教師一家はその彼らの叩く太鼓の音から、戦いに来たことを知ります。たかが一家族です。あっという間に殺されてしまうでしょう。

 しかし、夜通し戦いの太鼓を叩きながらも彼らは宣教師の家を襲わないのです。不思議に思いながらも宣教師一家は神様に祈り続けました。

 朝になって戦いの太鼓の音は止みました。そして、酋長が和平交渉に来たのです。酋長は宣教師に「あなた方を守るあの大勢の強そうな兵士達は誰ですか? とても私たちには勝ち目がないと知りました。あなたたちの語る神様とはどんなお方ですか?」と聞いたそうです。宣教師には何のことか分かりません。しかし、酋長達は見たのです。それは神様の使わされた天使達であったようです。宣教師は見なかったのですが、酋長達は見たのです。

マリヤの見た天使

 マリヤも天使を見たことが聖書には書かれています。「天使を見れば信じるものだ」という方もおられると思います。確かにそういう超自然的なこと、奇跡的なことというのは大変インパクトがあって、信じやすくなるのは事実かも知れません。

 しかし、本当に天使や奇跡を見れば信仰をもったり、信仰がしっかりしたり、人生がすばらしいものになったりするのでしょうか? どうやら、そういうものではなさそうです。

マリヤは受け入れた

 マリヤのすばらしさは天使を見たところにあるのではありません。彼女のすばらしさは天使ガブリエルが語った神様の言葉を信じたところにあります。

 いくら天使から 「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。・・・こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」 と言われても、結婚もしていないマリヤにとってこの天使のお話はあまりに大変な話です。

 でも、彼女は信じたのです。 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」 と、最後はしっかりと受け入れ、信じています。このマリヤの「母」になる決断と、イスラエルのためにその子が用いられるということを信じたところがすばらしいのです。

丸ごと信じる

 信仰とは何でしょうか? 救いとは何でしょうか? イエス様を信じるだけで救われるのですが、イエス様がおられることだけを信じたり、イエス様は神様であるということを信じるというような部分的にイエス様を信じるということではないのです。

 赤ちゃんが知的にお母さんを理解していなくても丸ごと信じ切っている姿が一番「信仰」を表しているように思えます。イエス様を丸ごと信じ受け入れる、疑わないのが信仰です。

信じる根底に

 この時点でマリヤは世界で唯一神様の子どもを宿した人となったのです。このことはあまりにも信じられない話で、色々な作り話が生まれました。キリスト教会の中にさえ、処女マリヤが赤ちゃんを宿すということを信じなくて、キリスト教からはずれた異端を作ってしまったほどです。

 しかし、この事実はマリヤがもった同じ信仰を持つことで信じることができるのです。マリヤは天使ガブリエルが語ったことをその場で受け入れたのには普段からの神様への忠実な礼拝生活があるからです。

 私たちの教会にも赤ちゃんの時から礼拝に出席している人が何人もいます。私のように人生の途中で悔い改めて礼拝し始めた人もいます。どうであれ、今、神様を礼拝していること、礼拝の生活を続けている人はこうした神様の言葉に対して受け入れる準備が整っていくのです。すぐにではなくてもです。

イエス様のビジョン

 マリヤは天使を見て信じたと言うより、ビジョンを見たのです。神様からビジョンをいただいたのです。それは「イエス様」というビジョンです。

 ガブリエルは 「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」 と名前を教えてくれました。その意味は「主は救い」です。

 マリヤのいた当時のユダヤ人が待ち望んだ救い主というのは王様としての救い主であったかも知れません。しかし、その名には単なる王としてローマ帝国から解放をする方でなく、罪から解放する「救い」を計画されていたのです。

「キリスト」というビジョン

 「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。」と天使が言いましたが、その言葉も、ダビデと同じようにユダヤの王になるだけに聞こえるかも知れません。

 マリヤも知的にはそう思っていたかも知れません。しかし、明らかに彼女のおなかに与えられた子どもは単なる人間の子ではなかったのです。「キリスト」だったのです。そのことはマリヤが一番よく知っていたことです。

マリヤの抱いた救いのビジョン

 天使はさらに語りました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」 というすごい神様からの御言葉です。若いごく普通の女性がこんなすごい言葉を受けとるのです。

 彼女は全世界の人々の救いのために働く人となったというわけです。それは 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおお」 うからです。

 マリヤだからこんなすごいことを神様から語っていただいたのでしょうか? あなたは自分が思っている程度の人なのでしょうか? マリヤも自分をそんな風に思っていなかったのです。しかし、彼女は信じたのです。そこからイスラエルの救いにとどまらない、世界の人々の救いが始まったのです。

 マリヤにはそんなとてつもないビジョンは自分では持っていなかったかも知れません。しかし、彼女のおなかに宿った赤ちゃん・イエスは彼女のビジョン以上のことを実現されるお方だったのです。

 私たちはマリヤと同じように、神様の子どもを受けとるということはありません。しかし、神様から与えられた大切な子どもであることは変わりありません。マリヤが育てたように、私たちも私たちに与えられた子どもを大切に育てます。ある人はその子に自分の夢を託します。しかし、神様がその子に託したビジョンは何でしょうか?

 子どもたちは私たちが思っている程度の子どもなのでしょうか。

 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

(聖書 ルカの福音書1:38)

バックナンバー