子育て通信 #83

自立した人に育てる

新年おめでとうございます

 あっという間に2011年になってしまいました。2010年にやり残したことが一杯あったような気がします。しかし、時間というのは残酷であり、かつ恵みです。全ての人に平等に流れるのも時間だそうです。
 色々やり残したかも知れませんが、それを残念に思わず、踏み台にして、この新しい年を進んでいきたいと思います。
 いったいどんな年になるのでしょうね?
 皆さんのお子さんは確実に1歳大きくなられます。もちろん私たちもひとつ年をとります(^^;)。ある面では成長と言い、ある面では老化とも言うのでしょう。
 みんなで良い人生を過ごしていけるように祈っていきましょう。

大人になりきれない

 現代は大人になりきれない青年が増えているとも言われます。この話は昨年までも何度も語ってきたことです。
 実際、お子さんのことで相談を受けたりする中で、お父さん方のことがよく出てきます。しかも、その姿がどうも子どもっぽいのです。そこで、今までも男の子のこと、男性のことを語ってきたのですが、事実男性は大人になるのが困難な存在と言われています。脳の造りからして女性と違って、子どもの心を残した脳であるとも聞きます。ですから、女性よりも男性の方に「大人になりきれない青年」が多いのは理解できることです。
 しかし、いつまでも子どもでいるわけにはいかないでしょう。改めて大人になることを考えてみたいのです。
 では、どういう姿を大人と言うのでしょうか? それは「自立した人」を目指すわけですが、自立した人とはどういう人のことなのでしょうか?

自分のことができる

 まず、自立した人とは自分の事が自分でできる人でしょう。でも、これだけでは本当に自立した人ではありません。しかし、まず、子どもは自分のことが自分で出来るというところに向かう必要があります。
 自分のことができるのには段階があるのです。トイレが自分でできる、食べることが自分でできる、服の脱ぎ着が自分でできる、靴を正しく自分で履くことができる、お風呂に入ることが自分でできる、食事の後片付けが自分でできる、朝は自分一人で起きられる等々あると思います。

 第一反抗期の時期には「いや!」に始まって、「自分でする」など親の助けを嫌って、自分ですることを喜んだり、自発的な活動が増えてきます。この時期は大変重要な時期と言えます。この時期に過干渉になってしまうと、自分のことが自分でできず、人に頼ることになり、依存的になることも考えられます。

人を思いやることができる

 自分のことができるだけでは自立した人とは言えないのだそうです。自分のことはもちろん、他の人のことも顧みることができる、他の人のために生きることができる人が自立した人だそうです。

 中学校で陸上部の顧問をしていた時、運動会の準備を陸上部がかってでました。友達の走るグランドをきれいに整備するのですが、翌日の運動会で彼らは生き生きしていました。自分たちの整備したグランドでみんなが安心して競技できるからです。
 しかし、一気に彼らがそういう生徒になったのではありません。部のミーティングで何度も何度も「電車で席を譲る」「家ではお手伝いをする」「お弁当を作ってくれるお母さんに感謝する」「PTA集会などの後の体育館の掃除をする」というようなことを言って聞かせ、実行してきました。初めはやらされていた生徒達も、だんだん自主的になり、運動会のためにというのは彼らが決めたことでした。

 部活というのはクラスとはまた違った良さがあります。上級生、下級生が一緒に活動しますから、上下関係の中で学んでいくことがたくさんあるのです。年上の人に対する敬う気持ち、年下の人に対する慈しみの気持ちなどがそういう中で養われます。学校教育というのは単なる学問的勉強だけでなく、こうしたことを学んでいく良い場所だと思います。
 そういう積み重ねの中で年配者や障害をお持ちの方に対する気持ちが成長していくのです。時にはそれが、過度になりすぎてお節介を経験したりして、また人に対する働きかけを再認識するのです。
 こうした様々な経験を積むことで人を思いやる気持ちが成長し、大人へと成長していくのです。

さなぎから蝶に

 私は思春期をすごく重要視しています。幼児期、小学生期はまさに思春期に向かうための準備期と思っています。精神的に、体験的に、学力的に、基礎固めをして思春期に入り、いよいよ大人になるための最終準備をするのが思春期なのです。
 この思春期は、ただ順々に大きくなっていく時期ではなく、精神的な構築がなされる時期ととらえています。そこで、私は思春期を「さなぎ期」と考えました。蝶のさなぎはジッとしていますが、思春期の子どもはジッとしていません。また、幼虫からさなぎ、蝶という見た目に全く変わるような変化を人間はしませんからわかりにくい面がありますが、思春期は精神的に大きく変化する時期です。

 蝶の幼虫がさなぎになると、あのさなぎの中では今までできた臓器などがドロドロになり再構築されて蝶の形をつくるのだそうです。人間の思春期の精神状態も似ていまして、子ども時代に蓄えた様々な体験記憶、知識、感情等々を再構築し、「自分は何者か」ということを基本にアイデンティティーを確立していくのです。そうして大人となるのです。確立できないと大人になりきれない大人で居続けてしまうのです。

人生の最終段階に向かって

 社会においては大きな仕事をしたりしている壮年が、退職されると元気を失うということはよく聞く話です。一気に濡れ落ち葉になってしまうのです。何が原因ですか? 立派に大人になったはずなのですが・・・自分のアイデンティティーが仕事にあると、仕事が無くなると自分も無くなるのです。
 中には老後にボランティア活動などをされてお元気になられる方もあります。自分が自分のために生きているということから、誰かのために生きているという充実感が年を感じさせないで、生き生きさせるのです。

 聖書に 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(ローマ書12:10) とあります。人を尊敬をもって見ることができる、人を自分より優っていると思い、尊ぶ。それは聖書の教える「愛」なのですが、真の大人というのは「愛」において成長した人なのです。愛の成長した人は人生の最終段階に来ても人のことを思い、生き生きしています。
 キリスト教でいう「罪」は「神様を神様と認めないこと」であり、それは同時に自分の心の中心(王座)に「自分」や「●●主義」「お金」など、神様でないものを置いてしまうことです。
 心の中心(王座)に多くの人は「自分」を置くようですが、自分は不確定だから、その「自分」を確立させるために色々学び、蓄積したものを用いて思春期に再構築をして「自分(アイデンティティー)」を確立しようとするのです。ところが、「自分」というのは決して間違いのない確立した者ではあり得ないのです。どうしても、「自分」以外のしっかりしたものを持たないと「自分」の成長が見られないわけです。

 神様は人間の造り主ですから、最初から、私たちの心の中心(王座)に、イエス様(神様の言葉)を迎えることができるように造ってくださっています。聖書はそのイエス様が神様であり、完全であることを証明しているわけです。このイエス様(神様の言葉)を私たちの心の中心(王座)に迎えることで、「愛」を知り、「愛」を学び、「愛」において成長していくようになるのです。

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