子育て通信 #88

イエス様の名前を呼ぶ

父の召天

 私の体調がなかなか整わず、父の病状が悪化したこともあって「子育て通信」はじめいくつかの作業をサボっておりました。

 父は8月13日(土)に召されました。父が亡くなって、父のこと、父と私の関係など考えることが多くありました。

 今回はそのことを書かせていただきます。

キリスト教嫌い

 父はキリスト教を嫌っていました。

 クリスチャンであった母によって、私は18歳の時にクリスチャンになりました。もっとも私もキリスト教に反対していたのです。が、失明しかけた時に母が祈ってくれたことで目が癒される体験をし、ひょっとして神はいるかも知れないと思ったことから教会に行き始めました。

 私がクリスチャンになると父は猛反対しました。次に弟がクリスチャンになると弟を家から追い出してしまいました。

 私には父は恐い存在でしたから、ますます父とは距離ができてしまいた。思春期の大事な時期に私は父と人生を語り合うことができませんでした。

父の変化

 その後、私にはクリスチャンの友人が何人もでき、家に連れてくることがありました。不思議にその友人たちは父と話が合い、父の頑なさは和らぎました。

 その後も次々優しく、温かいクリスチャンの方々との出会いで、父の心はかなり溶かされていきました。

 私が牧師になると決めた時は、また一悶着ありましたが、すぐに許してくれるまでに変わっていました。神学校には家でとれた柿を箱一杯送ってくれたり、お菓子を送ってくれたりしました。


 牧師になって高槻キリスト教会に就任すると、私が中古で買ったオフセットの印刷機をマスターしてくれて、色々な印刷物を一緒に作ってくれました。

 エホバの証人の方や他の宗教の方が訪問してくると、「うちの息子がそこでキリスト教の牧師をしてるから、あんたも教会に行きなさい」と逆にその方々に宣伝していました。自分は決して来ないのですが・・

 会堂建築した時は、会堂の正面にかける十字架も作ってくれました。父が十字架を作ってくれるなんて考えられない話です。

 色々教会のためにしてくれた父ですが、信仰ということに関しては全く堅く心を閉ざしていました。


 孫ができると孫の面倒を見るという名目で教会にはよく来るようになりました。しかし、礼拝や集会には全く出席してくれません。そういう話をすると叱り飛ばしてきます。でも、孫にはとても優しかったです。

 遂にクリスマス集会の日、孫が寝てしまったので、父は孫を抱いたまま、会堂の一番後ろのベンチに座って最後まで出てくれたのです。「ありがとう」と言うと、「オレは寝てた」と言います。(笑)

 孫の力はすごいと思いました。息子の私にはこんなに優しくしてくれたことが無いのにと・・・

癌との闘い

 そんな父が2年前の夏におなかの激痛で入院しました。直腸・大腸の癌でした。幸い5年前にタバコをやめていたので手術ができました。そして、父は人工肛門をつけることになりました。残念なことにすでに癌は肺と肝臓に転移しており、こちらは手術ができませんでした。

 術後回復してくると抗癌剤治療が始まりました。病院嫌いの父ですが、確実に病院に行かねばなりません。父も1年の命と思っていたみたいです。ところが治療が上手くいき割と元気に過ごせました。私たち家族もこのまま何とか長生きできるのではと思ったほどです。

 ところが、昨年秋から抗癌剤も効かなくなり、一切の治療は終わってしまいました。そして、だんだん弱り始めたのです。


いよいよその時が来た

 今年8月1日に私は実家に行きましたが、その時父の容態が変わり、私もカバンを置くなり、一緒に救急車に乗って病院に行くことになりました。「1週間もたないだろう」と言われましたが、父の心臓は強かったみたいで、13日まで生きてくれました。そのおかげで不思議な時をいただくことになったのです。


 入院したすぐの時は結構悪態をついていたのですが、数日後、ベッドの横から耳元で「イエス様に祈るよ」と言うと素直にうなずいてくれました。こんな事は今までありませんでした。父は祈りをしっかり聞いてくれました。

 「聖書を読むよ」と言っても素直にうなずいて、聞いていてくれたのです。

 「『イエス様』って呼ぶんやで」と言うと、これまた素直にうなずいてくれました。父は心の中で「イエス様」と呼び続けてくれたようです。

 数日後、何となく父の変化に気付いて、ひょっとしてイエス様を見たかも知れないと思い、父に聞いてみたのです。「おやじ、イエス様に出会ったか?」と。すると首を横に振りました。あー、違ったか、と思った次の瞬間、父は「昨日」と小さな声で言いました。えっ、と思った私は、もしかしてと思い、「昨日、イエス様に出会ったんか?」と聞きました。すると、しっかりうなずきました。

 それは夢だったのかも知れません。あるいは幻かも知れません。しかし、父はイエス様を見たのです。実際、父はその時から穏やかになりましたし、私や母の祈り、聖書の話を一度も拒否せず、聞いてくれました。「イエス様に着いて行くんやで」と言うといつもうなずいてくれました。父はクリスチャンになったのです。

 本当なら、なんとか高槻キリスト教会の会員になって、礼拝にも出席して欲しかったです。そういう長年の願いはかないませんでしたが、父が天国に行ったことだけは確かです。


 最後の4日間は父の反応がわからなくなりましたが、お医者さんは「聞こえているはずですよ」と言ってくださるので、反応はありませんでしたが、祈りと聖書読むことは続けました。

 病院のT先生はじめ看護師の方々は本当に優しく、丁寧で、私たち家族はいつも頭が下がる思いでした。父の最期のために一緒になって考えてくださり、痛み、苦しみができるだけ無い状態を保てるよう配慮してくださいました。何と御礼を言ったらいいのかわからないくらい良くしていただきました。感謝でいっぱいです。

東京の病院で

 私が父に「イエス様と出会ったか?」と聞いたのには、理由がありました。

 3月25日にYさんという方が東京の病院で亡くなられるのですが、親戚にあたる教会員の方から、昨年Yさんのことをお聞きし、一度お会いしたいと願っていました。

 しかし、キリスト教を嫌うYさんは私と会うことを拒み続け、会うことができませんでした。ところが3月25日、遂に私に会いたいと言ってくださったのです。急いで病院に行きました。厳しい状態であることは一目でわかりましたが、意識ははっきりしておられました。

 実は、Yさんを見た時、私は直感したのです。「この方にはイエス様が見えている」と。そこで、私は「Yさん、イエス様が見えますか?」と聞きました。するとキリスト教を拒否していたYさんが、細い声で「はい」と言ってうなずかれたのです。病室にいた私や親戚の方々には誰もイエス様は見えませんでした。しかし、Yさんには見えたのです。

 「よかったですね。イエス様だけを見つめていてください」などとお話しして、祈り、聖書を読みました。しっかりと聞いてくださいました。最後に「また、来ますね。」と言うと、Yさんの方から手を差しのばしてきて握手を求められました。握手をすると力強く握り、「ありがとう」と一生懸命言ってくださったのです。そして、涙がスーッと流れていました。Yさんもクリスチャンになられたのです。

 私は本当にまた来るつもりでした。ところが、その2時間くらい後だったでしょうか、亡くなられたとお電話をいただいたのです。


 Yさんがイエス様を見られたので、私は父もイエス様を見ているのではないかと思ったのです。その通りでした。説明しなくても、その見えている方がイエス様だと父にもYさんにもわかったのです。


 

呼び求める

 聖書には、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。(ローマ10:13) と書いてあるのです。私はその言葉を信じていますから、父にも「イエス様」と呼びかけることを勧めたのです。


 牧師をしていると死の直前の方と会うことが何度もありました。死を前にした方には何かしら今までに無い体験があるようなのです。確かに家族すらわからなくなる方もあったり、苦しまれて家族も辛い思いをする場合もあります。しかし、そういったものを超える何かしら厳粛な、この地上の生を終えて、次のステージに入る時とでもいうのでしょうか? 改めて私はどなたもイエス様と出会って欲しいと願うのです。イエス様のお名前を呼んでいただきたいです。

バックナンバー