子育て通信 #89

ハングリーのすすめ

豊か過ぎないか?

 「断捨離」が大流行。ダイエットもですが、断食が密かに流行ったり、人々は飢える経験によって人生に新たな一面を得ようとしています。事実、飢えることで得られる感性があるようです。

 子ども時代に豊かすぎるということはどうなのでしょうか? 子どもに飢える経験は必要ないのでしょうか?

 自分の子ども時代は飢える経験があったかというとそういう経験は無かったように思います。私は昭和30年生まれですので、戦後10年生まれです。すでに経済成長がどんどん進んでおり、小学生の頃の私の周りでは電化製品や色々な物が溢れ出し、スーパーマーケットも出てきました。もちろん、今と比べればこんなに豊かでは無かったのですが、貧しいと感じることは無かったのです。高価な食べ物を食べることはできませんでしたが、食べられないという経験は無かったのです。

物が無くなる

 現代の子どもたちは物が豊かにあることが大前提の中で生まれ、生きています。

 東日本大震災で、私の住む東京でも大きな揺れの後、ガスが止まり、停電したところもあり、全ての電車が止まってしまいました。携帯電話も固定電話もなかなかつながらなくなりました。

 さらにその後、ガソリン、米、パン、ミネラルウォーター、牛乳、ヨーグルト、納豆、カップラーメン、缶詰、レトルト食品、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、紙おしめ等々がスーパー、コンビニから姿を消しました。本当にしばらく不自由を味わいました。徐々にそうした商品は回復していきましたが、本当に被災地の大変さを痛感した時期でした。

 その時に、我が家でも子ども達と今まで物があることに安心しきっていたことを反省し、物があることに感謝しました。同時に無いことを通して色々考えさせられました。

空腹と渇きと欲

 お腹がすいた時には食べるものがどんなものでもおいしく感じます。本当にのどが渇いた時はジュースよりも水が欲しくなります。

 教師時代、陸上部を担当していましたが、夏の部活は大変です。特に夏休みに登校して、練習をするのはかなり過酷なものでした。ちょっと走ると汗びっしょりになり、喉が渇きます。

 「水飲んでもいいですか?」と何度も聞かれます。私も喉がカラカラになります。まだその時代は自由に水を飲むことは体を疲れさせるのであまり飲まない方がよいという時代でした。今とはだいぶ違ったのです。ウサギ跳びを平気でさせていた時代です。

 ところが、私自身が生徒と一緒に走っているので、激しい喉の渇きには耐えられません。「いつでも自由に飲んでいい」と言って、自分も思う存分飲んでいました。

 そして、みんなでどんな飲み物が良いのかも考えてみました。水以外に塩も持って来させていましたが、レモン汁を入れた水、ハチミツを入れた水もなかなかいけることを学びました。でも、本当に喉が渇いている時はとにかく「水」が欲しいものです。

 飢えと渇きは本当に必要なものが欲しくなるようです。そこに断捨離の良さもあるようです。必要で無い物が私達の周りにあふれることは、私達に返ってストレスを与えていると言います。(もちろんそれは私達の心のゆとりには役に立っているというメリットもあるのですが)

 ダイエットのことがかなり言われる時代ですが、そこには必要以上に食べてしまう問題があるようです。空腹の気持ちよさを味わうと、日々こういう感覚を持ちたいと思いつつも、お腹いっぱい食べたくなる欲が消えないのも事実のようです。人間はいくつもの欲と戦いながら生きているのかも知れませんが、その自分の欲のために人を苦しめることもあるようです。

人間関係の回復も必要

 物があることで人間関係にも問題が生じ、家庭にも問題が生じるのかも知れません。心のダイエットも大事かもしれません。 私は子どもの頃、隣の家に塩や醤油を借りに行った経験があります。お隣さんも色々借りに来ました。親戚の社宅は共同風呂でした。友達のアパートは共同トレイでした。50年前のことです。今の子ども達はそういう環境では生活できないかも知れません。 キャンプに行くと「キャー、虫」と叫ぶことしばしばです。少し前までそういう当たり前だったことが、この半世紀の間に大きく変わり、豊かさは人間関係を希薄にし、助け合いを無くし、自然と調和できなくなってきたのでは無いでしょうか?

 少しハングリーな生活をしてみると、家族の絆も人に対する思いも変わるものです。それを幼い内に経験するのとしないのでは人格形成において大変大きな差が出てくると思います。

キャンプ生活

 子どもたちがまだ小さかったとき、妻が企画して関ヶ原のオートキャンプ場に行きました。私は車の運転ができないので、妻に任せっきりになるという後ろめたい気持ちがいつもつきまとうのですが、私にとっても久しぶりのテントキャンプに楽しみを感じていました。

 テントやキャンプ用品も無い我が家でしたから、キャンプ場でテントを借りました。他のサイトではみんな立派なテントでしたが、別に気にもならず、昔の家型テントしか組み立てたことの無い私は思わぬ手こずりながら、子どもたちとテントを立てました。

 かまどを作り、家から持って来た鍋やフライパンでご飯をつくりましたが、他のサイトではキャンピングのバーベキューセット、リクライニングチェアなどオートキャンプ慣れした方々でした。

 でも、子どもたちはすごいものです。周りのそんなこと気にならず、その辺の石に腰掛けて「おいしい、おいしい」と言って喜んで食べています。

 キャンプ場のシャワー(確か10分300円だったと思うのですが)に私と長男2人で、妻は娘たちと3人で、狭い中の短時間シャワーに挑戦しました。

 夜はコオロギや虫の声を聴きながら、星空を眺めて自然のすばらしさを満喫しました。

 子どもたちにとってはトイレは大変でした。水洗トイレですが、テントからそこまでの道が暗く、トレイは虫がいっぱいです。でも楽しく過ごせました。

 何度かオートキャンプをしましたが、私が腰を悪くしてからは、バンガローにしたりと変化してしまいました。

 でも、ほとんど電化製品の使えない中で過ごすことで発見することがたくさんありました。



ハングリーな訓練

 イエス様は弟子たちと出かけた先々で、婚礼の席にぶどう酒が無くなったときには水をぶどう酒に変えられました。

 また、1万人~2万人くらいの人が空腹の時、わすかなパンを増やされみんなを満腹にされました。

 そういう不思議なこともなさるのですが、決してご自身が満ち溢れるような生活をなさいませんでした。それどころか、野宿したりして貧素な生活をされていました。弟子たちもそういう中で訓練されました。

 イエス様が弟子たちになさったここまでの訓練でなくても、私たちも子どもたちに、ハングリーな、物の無い訓練も良いのでは無いでしょうか。

 物が無くても色々考え出す力をつけるためにも物の無い中での生活をさせたり、食べることのできる本当の幸いを知るためにも、空腹を味わう生活を体験させてあげてはいかがでしょうか。

 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 (箴言17:1)

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