子育て通信 #93

子どものために祈る

太陽のようなお母さん

 「シック・マザー」という本を読んでいるのですが、その中に「太陽みたいなお母さんでいてほしかった」という言葉がありました。心身、特に心の病にかかっている母親をもつ幼い子どもは何らかの影響を受けていて、子どもたちは母親に明るくいて欲しいという願いをもっていることが書かれていました。

 何も病気の母親をもつ子どもに限らず、子どもたちは母親に明るさを望んでいると思います(父親に対しても同じかも知れませんが)。

 子育てのポイントはどこにあるのか? 子どもの性格なのか? 母親なのか? 社会なのか? 運命なのか? 運命とは思いませんが、色々な要素があると思います。ですから、ある程度の子育てマニュアルができたとしても万人にあう子育てマニュアルは無いのです。基本的には一人一人違うと言えます。それは特に障害をもった子どもを育てる時に多くの方が実感することです。「他の子どもと同じようにはできない。」ということです。しかし、本来どの子も同じようにはいかないものなのです。

 「シック・マザー」のようにお母さんが病気だと、してあげたくてもできないかも知れません。反対に元気なのに「子ども嫌い」なためにうまく子育てできない人もいます。みんな、それぞれです。

 きちんと育てたはずなのに、犯罪を犯してしまい、長期にわたって服役し、高額の償いをしなければならないということもあります。かと思えば、こんな環境で悪くならなかったのか? と疑いたくなるような劣悪な環境にいて、立派に大人になる人もたくさんいます。

 こういうことを見てきて、子育て、教育ってどこにポイントがあるのだろう? と思うことがしばしばです。

テモテの母

 私は聖書の中に出てくるテモテという人物に惹かれています。そのテモテにパウロ(英語読みだとポール)が宛てた手紙の一節にこんな言葉があります。

 私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。
(テモテへの第二の手紙1:5)
 この手紙はAD65年頃に書かれたということですから、まだ「キリスト教」と呼ばれるようになって、また「キリスト教会」ができてそんなにたっていない頃の話です。テモテはまだ若かったようです。そんなテモテが牧師になっているのですが、彼は若い故に色々苦労もし、悩みもしたようです。

 そのテモテに教えと励ましを与えるパウロの言葉ですが、その記述によると、おばあさんロイスとお母さんユニケが先にクリスチャンになったようです。いつ頃、どちらが先にクリスチャンになったか分かりません。パウロの宣教によってこの二人はクリスチャンになったのか、あるいは先にロイスがクリスチャンになり、ユニケに伝わり、テモテへと、それこそ3代に渡って受け継がれたのかも知れません。3代にわたって信仰を持っているということはすばらしいことです。

 テモテの父親はクリスチャンでは無かったようです(後にクリスチャンになっているかも知れませんが)。この二人の女性がイエス様を信じて、テモテはその二人の信仰を見て育ってきたのでは無いでしょうか?

親を見て育つ

 子どもは親の姿から学びます。身近なモデルは両親であり、祖父母です。特に幼い子どもは他の人に関心を持つよりも両親に強く関心を持っているわけですから、親の姿に学ぶのは当然のことと言えます。

 さらに幼い子どもは最初母親と精神的分離ができていませんから、母親の気持ちに対して敏感です。子どもの精神衛生のために、1歳半までは母親としっかりつながっておく必要があると言われています。そのように精神的に一体である母子ですから、母親の気持ちがそのまま子どもに入っていくのでしょう。

 だんだん大きくなるに連れて自我が発達し、反抗し、自立していきます。しかし、その発達の最初の一番大事と言われる時に母親の影響が大きいと言うわけです(もちろん諸事情あって、母親に変わる人、父親や祖父母、他の保護者の影響を受けている子どもももちろんいます)。

 テモテの母親はテモテが何歳の時にクリスチャンになったのかわかりませんので、彼に対して信仰というものがどのように影響したのかわかりません。

 私の母はクリスチャンで、幼い時に近所の教会に行き、母親(私の祖母)を誘ったそうです。そうして、祖母と母親はクリスチャンになりました。なんとなく私とテモテは似ている気がします(私も牧師です。でも、テモテのような立派な牧師では無いのでちょっと恥ずかしいですが)。個人的に私のことを言えば、藤井の家はキリスト教を認めていませんでしたから、母は辛うじて礼拝出席をさせてもらっているだけでした。私も小学3年生の頃に1-2ヶ月だけ教会学校たるものに行きましたが、女の子ばかりなので、やめてしまいました。やめたもう一つの理由は、私が教会に行っているということで、学校で冷やかされたこともあったからです。

 思春期になると反抗心も芽生え、母親の信仰に対して大反発しました。「神なんていない」「人間は猿から進化した」と、母には何度も反発し、逆らいました。

 反面、母が楽しそうに讃美歌を歌いながら料理を作っている姿は何か不思議な気がしていました。

 後に私はあることがきっかけになってクリスチャンになりましたが、母の影響は当然あったわけです。私もクリスチャンになってわかったのは、母が私のために(弟のためにもですが)毎日祈ってくれていたことを知りました。これはすごいことだと思います。今、私も子どもたちのために祈っています。

 人間なんてちっぽけなものです。大した力もありません。限界だらけです。だから神を信じて神の力をいただいて生きていくのだ、という言い方をしたいわけではありません。神様は私たちちっぽけな人間にいっぱい可能性を与えてくださっています。しかし、神と共に生きる事の重要性も教えてくださっているのです。自立して生きることと、神に頼って生きるという、一見相反する生き方が実は人間にとってとても大事な生き方なのです。このことを私はなかなか理解しきれませんでした。しかし、母や祖母の姿を見てきましたから、上手く理屈では理解できなくてもなんとなく分かるものがありました。

 子どものことを調べ、子育てのことを研究してきたからか、この「神に頼りつつ、人間として自立する」という、一見矛盾する生き方が実はとても大切だということを理解するようになりました。

 赤ちゃんがまるで「信仰」でもあるかのように母親に信頼しきっている姿から、神と私たち人間の関係を学びました。また、委ねるということを学びました。

 徐々に親を離れていくけれども、脳の一番大事なところには親の愛が刻み込まれていて、決して親を離れきれないことも知りました。それは一人前の大人になっても消えない、むしろ一生その刻み込まれたものが人間を生かす力になっていることも。そして、それが「愛」であって、愛にはいくつもの姿があり、最も尊い愛は神様にしか無く、その神の愛に一番近いのが子どもを愛する親の愛だろうということも感じてきました。

 テモテはそういう母親と祖母の愛によって、見えない神、キリストの愛を知ったのです。そして、彼の生き方は定まったのです。そのテモテのために母ユニケは、また祖母ロイスは祈ったのです。

 孫かわいさに、また孫の気をひきたくて孫の欲しがる物を買い与えたり、過保護(過干渉といった方が本当は正しいのですが)なまでに、かわいがるおじいちゃん・おばあちゃんがいます。それが悪いわけでは無いのですが、もっと大事な事をして欲しいと思います。子どもは物を与えなくても親や祖父母の愛を知っています。いや、知るように育てなくてはならないのです。子どもは親の姿を見ています。同時に見えないところの姿を感じとっています。

 母が私たち息子のために知られないところで毎日祈っていたことはずっと後になって分かるのですが、そのようなことが実は子どもに必要なのです。

 子どものために祈る親、孫のために祈る祖父母が最も大事なのです。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
(伝道者の書12:13)

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