子育て通信 #95

6年1組を担任して

思い出に浸ってすみません

 年をとると過去のことを話したがるようになるのでしょうか? 前回、「養護学級を担任して」を書きましたが、書いているととても懐かしくいろいろな事を思い出してしまいました。
 養護学級の担任(担任教師数4名)を8ヶ月だけしかしていませんが、何年間も過ぎ去ったような不思議な感覚がありました。仕事を今までくださった神様に感謝し、これでもう仕事は無くなったかなと思って祈っていました。

次の仕事が与えられた

 すると、教育委員会からまた連絡がありました。12月中旬から高槻第三中学校の事務に行って欲しいということでした。「私は事務の経験が全くないですよ」と申し上げたのですが、「かまわない」と言ってくださいました。正直すごく不安でした。電卓を打つことはできましたが、早くはありません。ソロバンも暗算もダメです。「教育長も次長も課長も何を考えているのだろう?」と思いましたが、祈っていていただいた仕事ですのでとにかく引き受けました。

もう一つ仕事が与えられた

 三中の仕事まで2週間ありました。今度は採用試験にも合格していましたので、後は大阪府の面接を待つばかりでした。養護学校担任でほとんど休みも無かったから、ここで少し好きなことでもしようと思っていましたら、また課長から電話がかかってきました。「藤井君、小学校に行ってもらえないか?」と言うのです。「私は小学校の免許は持っていません」と答えたのですが、「かまわない」ということでした。「なんでも、かまわんのやなあ」と思って、とにかく教育委員会に出向き、話を聞くことにしました。

 「高槻市立Y小学校の6年1組の担任が病欠で、教頭先生が担任を持ってくれているのだが、限界があって。6年生だけに親からも不満の声が上がっているんだ」というようなことでした。小学校の免許を持たない私が行ったら、余計に親に心配をかけるのではないかと思いました。

 課長さんは「とにかく遊んでやってくれればいいから」と言われるのです(これはひどい言葉に聞こえますが、私はその方が正解だと思っています)。「遊べばいいんですね。だったらできます」と答えました。事実、理科、音楽、家庭科は専科で専門の先生がいます。担任と言っても、国語、算数、社会、体育、図工だけ教えれば良かったのです。しかも、正味10日間です。ほとんど教えることなんてありませんでした。この10日間がまたとても思い出深いものになったのです。遂にほとんど休み無く一年間仕事をいただけました。

かわいい子どもたち

 不安で一杯でしたので、祈って祈って出かけた初日、職員室で挨拶し、教頭先生に連れられて3階の6年1組に行きました。40名ほどのかわいい児童が教室にいました。ついこの間まで中学校に行っていましたから、小学生がとてもかわいらしく見えました。教頭先生が私を紹介してくださって、私も自己紹介しました。「敬朗」の名前をなんて読むか聞くと「けいろう」と叫んでくれて、大笑いになり、最初から楽しい雰囲気でした(ちなみに敬朗は「のりあき」と読みます)。

何か変だ?

 Ⅰ日目は私が教える科目も少なく、理科や音楽を見学して、できるだけクラスの児童の様子を早くつかもうと努力しました。2日目は雨で、カッパを着て自転車で行きました。前の中学校は家から歩いて15分でしたから楽でしたが、この小学校は自転車で20分くらいですから、雨は辛かったですね。でも、10日の間に雨はこの日だけでした。雨のため、体育は体育館でドッジボール。

 「何か最近の子どもたちは元気が無いなあ」と感じて、神様に子どもたちのことを祈り始めました。

 3日目に、3階の教室の窓から運動場を見ていて何か違和感をもちました。初めは「この違和感は何だろう?」と思っていたのですが、ハッと気づいたのは「休み時間にもかかわらず子どもが運動場にいない!」ということだったのです。しかも、給食が終わった後の比較的長い休み時間にもほとんど運動場には子どもがいません。

元気になった!

 「運動場で遊んだらあかんのか?」って聞くと、ポカーンとした感じで、何を言っているのか分からないという雰囲気でした。休み時間に運動場で遊ぶという感覚がなかったようです。私は小学生時代、休み時間は運動場で遊ぶものと思っていました。「そうだ、教育課長さんが『遊んでやってくれ』と言っていた」と、教室にあったボールを持って運動場に出ることにしました。「遊びに行こう」と子どもたちを誘いましたが、やっと出てきたのは数名だけでした。でも、その数名の子達と「バラ当て」というボール当てを始めました。みんなキャーキャー言いながらすごく楽しそうにバラ当てをしますから、あちこちの教室の窓から子ども達が私たちを見ていました。そこで、他の学年の子達にも「よかったら、みんなおいで」と誘いました。「いいの?」と不安げな顔が聞きますから、「あー、ええよ。一緒に遊ぼ」と誘うと1年生までもが来て、男の子も女の子も20人くらいでしょうか運動場に来てくれました。学年関係無く一緒にバラ当てをして楽しみました。

 何と翌日はもっとたくさん出てきました。ボールを増やし、幾つかに分かれさせて遊びました。すると休み時間という休み時間に運動場に子どもたちが遊びに出てくるようになりました。

 私の違和感もなくなりました。運動場に子どもたちの元気な明るい声が響くようになったからです。やはり彼らも子どもで元気だったのです。「これが小学校だよ」なんてちょっと教育論を語っているかのような優越感に浸りました。

 放課後も私は特に役職も担当も無い教師ですから、下校時間まで運動場で子どもたちと一緒に遊んでいました。6年1組の児童はもちろんですが、他のクラスの児童も他の学年も気にせず、遊んでいました。休み時間も、放課後も運動場は子どもたちでごった返しました。すると、私と子どもたちの距離はとても近くなった感じで、授業も楽しめました。

 何しろ私に与えられた時間は10日間です。何もしなくてもすぐ終わります。もちろん私は10日間で何か業績を残したかったわけではありません。「一期一会」なんて格好いい言葉を使いたいわけでも無く、せっかく出会った子どもたちと仲良くなりたいだけでした。

 あっという間に10日が過ぎ、「明日から来なくていい」という日を迎えてしまいました。すごーく淋しかったです。たった10日間だけの担任でしたが、私は彼らの担任だったのです。

明るい事務室

 そして翌日、また不安一杯で、祈って祈って、高槻市立第三中学校の事務室に出勤しました。職員室で紹介されて、今度は教室では無く、事務室に入ったのです。事務職員が私以外に二人おられました。「何処かで会ったことがあるような?」と思っていると、二人から「もしかしてM高校出身?」と。「はい。そうです」と言った瞬間「えー、Tさん、Kさんですか?」と聞くと「藤井君?」と。同じ高校の同級生でした。校長先生や教頭先生から「なんや同窓会か?」と言われてしまいました。

 事務室の二人は明るい女性だったので、事務室の雰囲気もとても明るかったです。ですから、校長先生はじめ諸先生方が気軽に入って来られます。神様は能力の無い私に気楽に話せて助けてくれる人達を用意してくださっていたのですね。

 せっかく中学校に来たのに、中学生と会えないなんて淋しいなあと思っていたのですが、保健室に行く生徒が多いのと同じように、この明るい女性達のいる事務室には休み時間によく生徒が来るのです。なんとその中に、当時私が通っていた教会に来ていた生徒達がいたのです。この中学校の生徒だったんですね。その子達もよく顔を見せてくれました。お陰で楽しい事務室でした。

 とは言っても計算、帳簿付けは素人の私にはさっぱりでした。教頭先生にいつも助けていただき、かつての同級生二人に助けていただいてなんとか3月末までこなしました。

卒業式に出席

 3月に入ってしばらくした時、あのY小学校から、連絡が入りました。「卒業式に出席しないか」ということでした。来賓とかそんなんじゃ無いです。普通に保護者席に座るだけなんですが、大喜びでした。校長先生も許可してくださったので、当日、時間になると事務室から自転車を飛ばしてY小学校に行きました。みんな大きくなっているように見えました。私の姿が見えたら彼らも喜んでくれて、手を振ってくれました。式後、本当の担任の先生から御礼を言われたのですが、私の方が楽しく過ごさせてもらったのですから、私が御礼を言わねばなりませんでした。

 この卒業生の一人が、その年、私が教員として赴任した高槻市立第九中学校で出会うとは。彼は引っ越ししたため、ここに来たのです。面白いものです。

まとめ

 子どもたちは遊ばなきゃいけないですね。そして、子どもたちと仲良くなるのは、一緒に遊ぶことからですね。よく遊んだ子どもは、結構よく勉強もしました。

 明るい人、事務室に子どもたちが来るように明るい事がいいですね。

 そして、子どもたちのために祈ることです。このことは「祈り」というテーマでお話ししたいくらいです。

 聖書にも
「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」 (マルコの福音書10:16)
とあるのです。イエス様は子どもたちが大好きだったようですし、子どもたちのために祈られたのです。私も子どもたちのために祈る人になりたいです。

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