子育て通信 #99

懲らしめの杖

子どもに負ける

 「ママー、買って!」「だめよ」「どうしても欲しいの!」「ダメったらダメ」「ママなんか嫌い!」・・・

 「じゃ今度だけよ」「ママ!大好き!」

 ちょっと単純な話にし過ぎましたが、こういうことってよくあるのではないでしょうか。子どもが駄々をこねれば聞いてもらえる、買ってもらえると思ってしまうのです。子どもの将来までを見据えて考えるなら、これは不幸なことです。

 お母さんは子どもに嫌われることが耐えられなくて、どこかで負けてあげるわけです。すると、子どもは「大好き!」と笑顔一杯で抱きついてきて、親としても親子関係が切れなくて良かったなんて思ってしまう瞬間です。

負けてばかりではダメ

 時には子どもに負けてあげるということも良いことはあります。融通の利かない親で、子どももひたすら頑固になることもあるでしょうから。しかし、負けてばかりだと、子どもは親を親と思わなくなって、自分の奴隷にしてしまうでしょう。

 ですから、子どもが幼い時には、親が「買わない」と言ったなら、特別な事情を除いては「買わない」ことが大事です。

 小学生くらいにまで大きくなりますと、お小遣いをもらって計画的に使う訓練も必要になることでしょう。その時に早々と使い切ってしまって、欲しいものが出てきた時に買えないと、「前借り」だとか「特別に買って」とか言い出すものです。それを親子関係が悪くなるのを恐れて、与え続けると、子どもは「親に甘えた声でねだればお金をくれる」「簡単に前借りができる」と思い込んでしまうのです。

 そして、その感覚は大人になっても残るのです。大人で自制心が無いというのは、その本人のせいというよりも、親がそのように育てたということが考えられます。

 いつまでも親に金銭をねだったり、高価なもの(車など)を買ってもらう人がいます。往々にして、幼い時に「負けてあげた」ことの結果では無いでしょうか?

子どもに依存

 子どもに嫌われたくないというのはごく普通の親の気持ちだと思います。ところが、その気持ちが子どもをしつける、教育するという気持ちよりも強くなってしまうと、親の方が子どもの愛情に依存した生き方をしていることになるのです。

 子どもももちろん親に依存してしまい、自立する力を失っていきます。子どもは親に対して「嫌いになるぞ!」と脅せば自分の思いが通ると思い込んでいくのです。これは子どもが親を精神的に脅迫している姿と言えます。

 ただし、赤ちゃんの時期は依存するのが当然で、その間に母親への依存から母親の愛情をたっぷり感じとり、たっぷり甘えたことで自立する力を備えていくのです。

 また、依存されたら困るからと厳しくあれば良いというものではありません。子どもに対して怖い存在であれというのでは無いのです。時として必要なら「心を鬼にして」ということが大事なのです。

 おじいちゃん、おばあちゃんというのは孫に弱く、何でも買い与えたりしやすいです。

 それはしつけしなければいけないというよりもかわいいという感覚が優先してしまうことと、孫に嫌われたくないという孫依存の力によるのです。おじいちゃん・おばあちゃんも孫に依存する可能性があります。

 ただ、祖父母というのは子どもにとって時として逃げ場になるので、親のように大した被害は無いのかも知れません。

依存の恐さ

 しかし、親が子どもに依存しているような状態になると、子どもは王子様、お姫様状態になって家庭の独裁者になっていきます。

 依存の問題はなかなか大変で、皆さんもよくご存知のように、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存、買い物依存、セックス依存など社会的な問題を引き起こしているものがあります。

 家庭破壊はもちろん、人格破壊、そして他人を殺してしまうなどの社会破壊まで引き起こしていきます。

 依存症になるメカニズムは十分解明されたわけでは無いのでしょうが、脳がその依存によって快感を覚えさせらるのでしょう。覚えてしまった脳はそのものに反応して、自制する気持ちも追いやられ、我慢できなくなり、気がついたらその中にのめり込んでいたなんてことにしてしまうのです。

 こんな恐ろしいことが、子どもの時に形成される可能性があるということです。

感情移入

 子どもがしくしく泣いたり、悲しそうにすると、親として大人として耐えられない感情になることがあります。それはそれで大事な感情なのですが、それが子どもへの感情移入になってしまうと、子どもにガマンさせるという大切な訓練をさせないことになります。

 また、子どもがそういう行動を覚え込んでしまうと、これもまた親の気持ちをもてあそび、苦しいことから逃れる方法として学んでしまったりするのです。「泣けば親は私をチヤホヤしてくれる」等ということです。

 しかも、初めは実際に悲しくなって泣いたことがきっかけでも、親の反応を脳は覚え込んで、自分にとって都合の悪い時には脳が反応して、涙を流させるようなことになるのです。うそ泣きならまだ可愛いですが、本当に泣いている状態になってしまっうわけでたちが悪いのです。

 これを覚えると大人になってもこれを武器として使うかも知れません。しかし、社会はそれを見抜いたり、あるいは見抜けなくても、その人を嫌って近づかなくなったりしてしまいます。コミュニケーションが上手くとれなくなります。

 子どもの涙に感情移入するというこの感覚は、親自身の子ども時代についた心の傷が、子どもの泣き声や悲しみに引き込まれて、思い出されることから起こることが多いらしいです。

 親の側にもすでに脳には子ども時代の色々なことが刷り込まれていて、それが悪い形で出てくることも多々あるわけです。

 子どもは別にどうってことのない涙を流していても、親の側の感情が入りすぎて、過剰に反応してしまうのです。

 そして、子どもは涙の結果、自分に優しくしてくれる親を操るために涙を武器にするわけです。

「ノー」を言える親

 愚かさは子どもの心につながれている。
 懲らしめの杖がこれを断ち切る。
             (箴言22:15)
 という言葉が聖書にあります。

 子どもはまだ境界線がわからないためにわがままを言い、親を従わせようとします。そこで、そのわがままに対して「ノー」と親は言うのです。懲らしめの杖、羊が違う方向に進もうとすると、羊飼いはその手にある杖でチョンチョンと叩いて少しの痛みを与えて方向を正すのです。

 親も子どものうちにチョンチョンと杖で叩いて方向を正し、越えてはいけない一線を教えるのです。それを怠ると、子どもは大きくなってから大変な痛みを味わうことにもなるのです。

 私たち人間は「罪人」だと聖書は言っています。どうしても適切な言葉が無いから「罪人(つみびと)」と言わざるを得ないのですが、聖書で言う「罪」は、神様の領域を侵すこと、神様の御言葉(いいつけ)に背くことです。

 子どもが親の領域(大人の領域)に無造作に入り込んだり、親の言いつけを守らなければ、叱り、罰を与えます。

 神様も同じなのです。(神様のことがよくわからないために神様の領域がわかりにくい世の中になっていますが・・・)神様は私たち人間をお造りになった方で、子どもと親の関係に似ているのです。私たちは子どもです。親が子どもの幸せを願ってしつけるように、神様も私たちの幸せを願っておられ、しつけもしてくださるのです。

 神様の言いつけはそんなに難しいことではありません。神様を神様として認めることを願っておられます。そして、その神様と親しい交流を持つことを願っておられるのです。私たち親子の関係と同じです。

 神様との交流とは神様を礼拝することであり、神様のお気持ちを知ること(聖書を読むこと)、神様とお話しすること(祈り)です。

 どうですか、皆さんも、教会の礼拝に出席したり、聖書を読んだり、祈ったり、讃美歌を歌ったりしてみませんか。自分を取り戻せます。

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