ダビデの選び Ⅰサムエル16:7-13

神は心を見られる

礼拝メッセージ

説教者:藤井敬朗牧師
2023/10/29 礼拝説教
【テーマ】  ダビデの選び
【説教題】 「神は心を見られる」
【聖書箇所】 Ⅰサムエル16:7-13

16:7 【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
16:8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も【主】は選んでおられない」と言った。
16:9 エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も【主】は選んでおられない」と言った。
16:10 エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「【主】はこの者たちを選んでおられない。」
16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」
16:12 エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。【主】は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」
16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。

Ⅰサムエル16:7-13

○ メラビアンの法則という7-38-55のルールがあります。これは言語情報、聴覚情報、視覚情報のパーセンテージで、視覚情報とは、相手の態度や表情、目線やしぐさといった、見た目から受け取れる情報のことを指します。聴覚情報は、相手が話している声の大きさやトーン、話す速さや話し方のことで、コミュニケーションにおける割合は38%とされています。7%の割合となる言語情報は、相手の話している内容や言葉そのものの意味を指します。つまり人は見た目で判断するのが一番多いということです。
   今日のテキストに 人はうわべを見るが、【主】は心を見る。 という有名な御言葉があります。
 背も高く立派に見えたサウルでしたが、残念なことに神に忠実ではない王となってしまいました。このままではイスラエルはダメになります。そこで、神はサウルに代わる王を立てることを決められました。それがダビデでした。

思いもよらない選び

少年ダビデが選ばれた

    1.サムエルは新しい王を決めるために神に示されてエッサイの所に来ました。エッサイはサムエルからことのいきさつを聞き、自分の息子からイスラエルの王が誕生することをすごく誇りに思ったことでしょう。サムエルはエッサイから紹介された長男エリアブを見て「この人だ」と思いました。ところが神は「彼ではない」と。それなら二男のアビナダブは? 彼も立派なのですが、神は彼でもないと言われるのです。なんと息子達みんな違うと言われてしまいました。

    2. 16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」 と。父親はダビデを忘れていたわけではないのですが、まだ少年で王になるイメージが浮かばなかったのでしょう。ところが神はダビデが来ると、サムエルに 「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」 と言われました。神はダビデを選んでおられたということです。

私達が選ばれた

    1.思いもよらない選びというのは私達にもあるのではないでしょうか? つまり、私達も神に選ばれた存在であるということです。救われるというのは選ばれたということなのです。はたして、私達には神に救っていただく資格があったでしょうか? 

    2.選ばれるという以上、選ばれた目的があるのです。ダビデにはイスラエルの王として働くという目的がありました。イエスが選んだ弟子達にはイエスと共に生活し、自分の言葉でイエスを伝えるという目的がありました。私達も同じです。聖霊を受けて、イエスを伝えるという目的があるのです。

神は心を見られる

神の選びの方法は

    1.兄たちの容姿を見て、サムエルはこの人こそ王になる人に違いないと思いました。しかし、神は 16:7 【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」 と言われています。

    2.では、ダビデは見劣りしたのでしょうか? いや、そうでもなさそうですよ。 彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。 とあるのですから。しかし、決して神は彼の上辺を見て決めておられるのではないということですね。神は第一に心を見られるのです。そして、その働きのために必要とされる能力や姿も見られるのでしょう。

人とは違う見方をされる神

    1.人はというと、心よりもうわべを第一に見てしまいがちです。それは人には心が読めないからだと思います。結婚相手を選ぶにも「見た目」とか、「財力」「学力」というのを重視することがあるようです。しかし、神はその心まで全部お見通しです。現在の心の状態も、またこれからどう変化するかも知っておられます。そういう神の判断によってダビデが選ばれたようです。

    2.そういう神だから私達の心も見られています。そう言うと、何かしら私達の悪い心を見ておられるように思うかも知れませんが、むしろ神は私達の中にある良い心を見てくださっているのではないでしょうか。人は自分を卑下して見がちですが、神は私達の良いところを見ておられるように思います。

聖霊が心に満ちるように

心を育てる

    1.さて、私たちは自分の子や、教会に来ている子どもたちを見て、将来を考えることができるでしょうか? 「この子は将来、牧師や宣教師になる」「教会で良い働きをする」「良き証し人になる」ということを考えることができるでしょうか? 「このやんちゃ坊主は・・・」と、大人目線で見過ぎてはいないでしょうか?

    2.次世代を育成することを重視している現代ですが、私達は子どものうわべばかり見ていないでしょうか? 子どもだから何もできないと。また、体力、健康、知識、などを得させることに躍起になっている家庭が多いように思います。神が心を見られるように、私たちも子どもの心を大事に育てる必要があるのではないでしょうか。救われ、聖霊に満ちるように祈りましょう。

油注ぎの祈りを

    1.選ばれたダビデはユダヤのしきたりに従って油注ぎの儀式を受けました。私たちは今油を頭に注ぐという方法はとっていませんが、「油注ぎの祈り」をすることは大事なことです。聖霊が注がれる祈りです。聖霊に満ちる祈りです。子どもたちは神の選びの器なのです。

    2.油は「聖霊」を表しています。子ども達だけで無く、自分も、また兄弟姉妹達にも聖霊が満たされるように、そしてその人が神の祝福を受けるようにと祈ることはとても大事なことです。私たちも神に「心」を見られています。その心に聖霊がおられるならすばらしいです。しかし、聖霊が居候のようにしかおられない心では悲しいですね。神が見てくださる心の王座に聖霊(イエス・キリスト)がおられるのを見られるようになりたいものです。

★ 少年でも近い将来王として活躍できると、神はダビデの心を見られたように、教会の子どもたちもその心を見ていただいています。私達も感謝し、聖霊の油注ぎを祈りましょう。