懐かしい夏休み
猛暑、酷暑のこの夏
今年の夏はあまりにも暑く、熱中症にかかる人がたくさん出ました。プールで泳いでいても熱中症になるという状態でした。水温が高すぎて水泳が中止された学校がたくさんあったと聞きました。
また、西日本での豪雨で大きな被害が出て、被災者の皆様のことを思うと心が痛みました。教会でも支援献金を送るなどして少しでも被災地の回復を願っています。回復のために活動してくださっている皆さんに感謝しています。
さて、皆さんのところではお子さんたちはこの夏休みをどのように過ごされたでしょうか? 外に出ることさえためらわれるような暑さでしたので、家にこもったり、どこかの施設にこもったりされる人が多かったことを聞いています。
アサガオの思い出
暑かったため、色々な夏の植物も早く成長したようです。そんな中、やはり例年より早いなあと思ったのは花々です。その一つ、アサガオを見た時、ふとタイムスリップしたかのように小学生時代の夏のことを思い出しました。
わが家では毎年アサガオを育てていたのですが、子どもの私は朝起きると雨戸を開けて、アサガオの花が幾つ咲いているか、また、どんな色の花が咲いているのか見るのが楽しみでした。そして、子ども心にアサガオのツルが不思議でした。どうして巻き付いていくのか、タコやイカの足では無いのに、棒にうまいこと巻き付くのですから。植物のすごさに感動したものです。
花の中には長い期間咲いている花もあれば、アサガオやハイビスカスのようにその日一日だけの花もあります。本当に色々な花があるものだと感動します。創造主である神を讃えずにはおれません。
小さな花でさえ
聖書にこんな言葉があります。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
マタイの福音書 6:28-30
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
「野のゆり」というのはアネモネのような花のことではなかっただろうかと言われています。当時のイスラエルでは野原に咲く一般的な花だったようです。私も子どもの時にアネモネを育てたことがあります。美しい花です。
神がこのようなすぐにでも折れてしまう茎に咲く花々をも大事に思っておられるのですから、ましてや私たち人間のことをどれほど大事に思っておられることでしょうか。
昆虫採集
アサガオのつぼみがねじれたようになっていますが、私はそれがどのように開くのか興味をもち、朝早く起きてつぼみが開くのを見ていたことがあります。でも、たいていすでに開いているので、もっと早起きをしてと頑張ったことを思い出します。
そういえば、セミの幼虫が地面から出てきて、木に登り、殻を破って出てくるところも見たくて、頑張ったことがあります。「朝の4時頃に蝉は地面から出てくる」と聞いたものですから頑張るのですが、毎年見ることができなかったのです。いつも抜け殻だけしか発見できませんでした。
カブトムシやクワガタムシが甘い蜜に集まるというので、そういう甘い蜜を作って、友だちと朝早くに近くの山に入ってあちこちの木の幹に塗って回りました。1時間ぐらいしてそれを見て回ると何といっぱい虫がいるのですが、カブトムシもクワガタムシもいませんでした。ほとんどカナブンと蝶々、アリと知らない小さな虫でした。ガッカリして帰ったことを思い出します。
それでも諦めきれないでもう一度やってみたのですが、やはりダメでした。しかし、大きなカミキリムシがいたので大喜びしました。たぶんシロスジカミキリだと思うのです。
私たちの子どもの頃は夏休みの宿題の「自由研究」(こういう題だったかどうか?)の一つに「昆虫採集」があったので、何度か挑戦したのです。友だちがカブトムシや、大きな蝶々などを標本にするものですから、真似てみたかったのです。しかし、捕まえた昆虫に特別な液を注射して殺すのがなんか怖くなって逃がしてしまいました。お陰で毎年昆虫採集には行くものの、標本を作ったことが一度もありませんでした。そのため夏休みの最後に必死で工作をしていました。
ボール紙の大きな箱を使って「水族館」という題で作ったり、板きれをもらった時は小さなちょうつがいをつけて跳ね上げ橋を作ったりしました。
夏休みの恵み
アサガオのことでタイムスリップした私は何か懐かしい雰囲気に浸って、次々小学生の時の夏休みを思い出しています。
劇的だったのは小学五年生まで泳げなかった私ですが、五年生の夏休みに学校のプール開放に行ったある日のことです。その日もいつも通り、水の中で遊ぶだけでした。プールサイドに座った時、友だちが私を突き飛ばしたので、私はプールの中に落ちました。その時、私はプールの中を見ることができました。そしてもがいたら浮いていたのです。
私は水の中で目を開けるのが怖くて泳げなかったみたいです。
「目が開けられる」と気がついて、今度は自分から挑戦してプールの中で目を開け、泳ぐ格好をしたら、泳げたのです。そうしたら一気にプールが楽しくなって、友だちと市民プールにも行くようになりました。毎日、午後は市民プール、帰りにその入り口付近でやっている出店のおでんやかき氷を食べるのが楽しかったのです。
飛び込みは六年生になってできるようになりました。
私は、遊んだなあ
思い起こすと私の小学生時代の夏休みはいっぱい遊んだなあと思います。夏が暑いとは言っても、最近のような暑さでは無かったので、どこの家にもクーラーなんてありませんでした。扇風機やうちわで過ごしたのです。
夜はカヤをつってその中で寝ました。朝、かやを母がたたむ時、その中で弟とキャーキャー言いながら動き回るのです。「早く出なさい」と何度か言われないとそこから出ない、楽しい朝一の遊びでした。
時代は変わった
こんな小学生時代でしたが、時が流れて大学受験の夏、塾にも行っていない私は、昼間は「勉強なんて手につかない」と勝手なことを言って、同じような友だちと二人で懐かしの小学校のグランドでサッカーボールを蹴り合っていました。
するとそれを見た、小学生のサッカーチームのコーチが「この子達のサッカーを見てやってくれ」と頼んできたのです。断る理由も無いので、毎日午後は数時間小学生とサッカーをしていました。
その当時でも、こんな受験生は珍しかったと思います。この子達と仲良くなって楽しかったですが、今思うと、私の小学生時代はそういうチームもありませんでしたから、夏休みはひたすら遊んだ気がします。
でもだんだんと子ども達はスポーツチームでの練習や塾での勉強などが中心の夏休みになったのだなあと思いました。
ちょっとさみしい気がするのは、夏休みに思う存分遊んだことが楽しかったからでしょうか?
神様の造られた大自然に触れる良いチャンスが夏休みにあるなあと思いました。そして、気持ちの良い秋になり、また神様の造られた自然を味わえるのです。
子ども達に神様の造られた色々なものの素晴らしさ、美しさを味わって欲しいです。