なぜ?

子育て通信

「なぜ?」子どもの言葉

 赤ちゃんは成長して「マンマ」などの喃語を話すようになり、その内一気に言葉が出てきます。そして、「いや!」と言う、イヤイヤ期がやって来、「自分でやる」と言う自立に向かった成長を見ることができるようになります。

 そうした中で「なぜ?」「なんで?」と言う質問期という時期を迎えます。これは子どもにとって知的な発達をしている証拠であり、色々な事がわかったきたからこそ、「どうしてこんな事をするのだろう?」とか「どうしてこうなるんだろう?」とか、「これはどういう意味?」と疑問がどんどん湧いてくるのです。

「なぜ?」一緒に楽しむ

 この時期はお母さんにとってはなかなか大変で、答えるのに苦労します。まだ幼い子どもにどのように説明するとわかってもらえるのか? と。説明に窮することがたくさんあるのです。
 でも、中にはこうしたときにこの子どもの質問を楽しんでおられるお母さんを見ることがあります。「なんで?」と問われて、答えられないのですが、「なんでだろうねえ?」と一緒になって考え、「●●だからかなあ?」とか「▲▲だからかなあ?」と、真剣に考えておられる姿です。子どもも一緒になって「それは違うよ」「◆◆じゃない?」とか楽しい親子の会話を耳にします。

 この探究心に満ちた大事な時期の「なぜ?(なんで?)」に対して答えてあげることは大事なことです。子どもは吸収力が凄いですから、教えてもらったことをどんどん吸収し覚えていきます。
 また、子どもは知っていることを友だちに言いふらすことで「えらい!」と思ってもらえるものですから、どんどん話します。教わったことを教えると身につくという教育の大原則をやってのけているのですね。

 ですから、大人は間違ったことを教えるわけにはいきませんが、知らないことを中途半端に知っているかのように教えてしまうのも危険です。子どもは親から聞いたことは絶対と思い込んでいますから。

 ところで辞書は何才になったら引くことができるようになるのでしょうか? 辞書が引ける年になれば辞書を引いて調べさせるのはとてもいいことです。
 「なぜ?」と聞いてくる子どもにすぐに答えてしまうより、「辞書を引いてごらん」というのが良いのです。自分で調べたことはより身につきます。
 また、ネットで調べるよりも紙の辞書を引く方が身につくと言われています。

「なぜ?」親の言葉

 子どもの「なぜ?」の大事なことを言いましたが、親の方も子どもに「なぜ?」(「なんで?」)と聞くことが多々あります。「なぜ、こんなことをしたの?」「なぜ、こんな事ができないの!」「なぜ、まちがったんだ!」と言うことがかなりあると言われています。これは子どもにとってどうでしょうか?

 しかし、この「なぜ?」も言い方を変えるといい言葉になるのです。「なぜ、こんなにいい点がとれたの?」「なぜ、うまくできたんだろうね?」さらには、「なぜ、」間違えたんだろうねえ?」という言い方です。前に書いたように「なぜ?」を一緒に考える方向ですね。
 しかし、いい点が取れないから「なぜ、こんな点しか取れないの?」と言ってしまうのだ、と言われそうに思います。
 でも、これは意識して練習していくと段々できるようになるものでもあるのです。

「なぜ?」の意味を!

 悪い事をしたら「『ごめんなさい』と言いなさい」と教えます。しかし、この教え方で、けっこう形だけを教えていることがあります。つまり、悪い事をするとすぐに「ごめんなさい」と言うのですが、その言い方が全然心こもっていないことがあります。時には「あやまったじゃないか!」と逆ギレする子がいます。いや案外多いことに残念な気持ちになることがよくあります。親から「謝りなさい!」ときつく言われているからとにかく「ごめんなさい」と言うのです。それを言えばその場が収まると思っているからです。悪かったことの「なぜ?」を考えてはいないのです。

 「ありがとう」も同じです。言わないより言う方がいいのですが、親から「ありがとう」を言わないと親に怒られるので言っている子ども達です。
 「ごめんなさい」にしても「ありがとう」にしても、相手に対して心を込めて言うべき言葉です。なぜ「ごめんなさい」と言うのか、なぜ「ありがとう」と言うのかを教えるのです。

 食事の時の「いただきます」も同じです。朝の挨拶「おはよう」も同じです。中学校で先生が生徒に「おはよう」と挨拶しているのに、生徒のほうは知らんぷり、無言ということがありました。でも、その生徒が部活の先輩には頭をグッと下げて「おはようございます」と言っているのです。
 私の務めた学校でもそのようなことが見られました。そこで、先生方が生徒達にマナーとして挨拶をすることの大事さを教えたことがあります。
 本当はこうした挨拶などはどこで覚えてくるべきなのでしょうか?

気持ちのこもった会話

 こうした挨拶などに気持ちがこもるためには幼い時から親との会話が大事です。どのような会話かと言えば、ご飯を食べているときに「おいしいねえ」と(心から)笑顔で子どもに語りかけることです。そのためには食事の時間が楽しいということも大事です。
 楽しい時には楽しい時に出る脳内ホルモンがあります。それによって楽しいことと美味しいことが繋がってしっかりした記憶になっていきます。大人になってふと、ある味を味わった時に子どもの頃を思い出すとか、それも懐かしい楽しい風景を思い起こすことがあるものです。そして「おふくろの味」というのを覚えるのです。それは味だけではなく、子どもの頃の色々な愛されたことが味と共に記憶を呼び覚ますのです。
 子どもが「気持ちいい」という感覚を覚えていくことがとても大事なことで、気持ちがいいという体験と、「気持ちいいねえ」という暖かい言葉が必要です。

解決に向かう会話

 一方で、子どもが何か悪い事をしてしまったり、何らかの問題で親にも話ができなかったり、楽しそうで無くなったりしたとき、それに気づいて適切な言葉がけができることが大事です。
 人は悪いことをして(罪を犯して)気持ち良く生活はできません。子どもはその心がもっと繊細です。その問題を聞き出して、「悔い改めさせる」事が大事です。つまり、してしまったこと、言ってしまったことを親に言い表して、「なぜ、そんなことをしたのか」を言わせることです。ただ、ここで責めてはいけないのです。その問題を言い表したこと、悔い改めたことをほめて、次の解決へと向かうべきなのです。

 聖書の「ヨハネの福音書」4章に罪深い女性が出てきます。そのため、彼女は心から話のできる人がいなくて、誰もいない時を見計らって井戸に水汲みに来ていました。
 この女性に会いに行かれたイエス様は、井戸の所で「わたしに水を飲ませてください」と、話しかけられました。真っ向から彼女の問題を責められませんでした。そして有名な「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」という言葉を聞いた彼女は会話の中で自分の問題を言い表し始めたのです。そして、彼女はイエス様が救い主だとわかって一気に元気になるのです。
 「言い表すこと」はとても大事なのです。そして、それを正しく受けとめ、神が許してくださることを味わうとき、真の喜びが湧いてくるものなのです。

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Posted by shinnakano