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ソロモンにまさるイエス

礼拝メッセージ

 2024/8/25 礼拝説教
【テーマ】  思いをはるかに超えるイエス
【説教題】 「ソロモンにまさるイエス」
【聖書箇所】 Ⅰ列王10:1-9

10:1 ときに、シェバの女王は、【主】の御名によるソロモンの名声を聞き、難問を持って彼を試そうとしてやって来た。
10:2 彼女は非常に大勢の従者を率い、バルサム油と非常に多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。
10:3 ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。
10:4 シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、
10:5 その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たち、そして彼が【主】の宮で献げた全焼のささげ物を見て、息も止まるばかりであった。
10:6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。
10:7 私は自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさより、はるかにまさっています。
10:8 なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。
10:9 あなたの神、【主】がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、イスラエルの王座にあなたを就かせられました。【主】はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせるのです。」

Ⅰ列王10:1-9

○ 皆さんはうわさ以上にすばらしい人と出会ったことがありますか? 

ソロモンにまさるイエス

うわさ以上のソロモン王

ソロモンの名声が広まった

    1.ソロモンのうわさは広まりました。ソロモンは王になって戦争無しに国を守り繁栄させました。彼は神殿礼拝を中心にしてその礼拝のための奉仕者、賛美をする聖歌隊なども驚くほど立派にしました。そして軍隊もよく訓練された立派なものだったようです。

    2.各国の代表団がこのすばらしいイスラエルの様子を見に、またソロモン王の語る言葉がすばらしいということでソロモン王と語り合いたくてやって来たといいます。こういううわさを聞いてシェバの女王が 難問を持って彼を試そうとしてやって来た と言うのです。

シェバの女王の驚き

    1.シェバの女王はソロモンに会いにエルサレムに来るととにかく驚いたのです。女王は 心にあることをすべて彼に問いかけた。 のですが、  ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。 と、その見事な知恵に驚きました。一体どのような難問を持ちかけたのか知りたいものです。

    2.また、彼女は 彼が建てた宮殿と、その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たち、そして彼が【主】の宮で献げた全焼のささげ物を見て、息も止まるばかりであった。 というように、そのすごさに驚きました。

ソロモン以上のイエス・キリスト

うわさは本当だった

    1.女王の次の言葉には考えさせられるものがあります。 10:6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。 うわさは本当だったというわけです。直接出会うまでは「本当にそんなすごい人がいるのだろうか?」と、半信半疑だったということでしょう。

    2.イエスのうわさに関しても同じようでした。イエスのうわさはあちこちに広まり、イエスが行くところ行くところ人々は集まりました。そして、うわさ通り、病を癒したりして、ますますイエスのうわさは広まりました。

うわさに勝るイエス・キリスト

    1.また、続く女王の言葉はさらに気になりますね。 10:7 私は自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさより、はるかにまさっています。 ソロモンはうわさ以上だったと言うのです。ある程度見積もって会いに来たのですが、それをはるかに超えるエルサレムの町、神殿、兵隊等々、その上、ソロモンの語る言葉にも驚かせられたのです。

    2.このことも正にイエスに当てはまっているのではないでしょうか。人々はうわさを聞いてタレントにでも会うような気持ちで来たかも知れませんが、会ってみると見栄えは大したことないのに、そのなさること、語られること何をとってみてもうわさをはるかに超えるものだったわけです。

私達もイエス・キリストに感動する

私達もイエスに驚く

    1.当時の人々はイエスのなさったことにただただ驚きました。が、私達も驚くことが多々あるのではないでしょうか。イエスは処女から生まれたとか、復活したとか、死人を生き返らせたとか、嵐を静めたとか、湖の上を歩かれたとか、パンと魚を増やされたとかこうした奇跡的な出来事がわんさか出てきます。信じられないほどです。

    2.このように聖書を読むと驚くことが連発します。聖書を平面的に読んでいるだけではその辺の小説と同じような感動くらいしかないかも知れません。しかし、ディボーション的に読むと驚きも多いものです。

イエスの愛に感動する

    1.イエスと出会った当時の人々は直接イエスに会って感動したのですが、直接会ってもいない私達もイエスに感動します。なぜでしょうか? 私達もイエスに愛されているからです。愛そのものは見えないですが、愛は受けることができ、与えることができます。

    2.イエスは見えなくても私と共にいてくださいます。遠いところまで出かけて行かなくても、このうわさのイエスに私達は会うことができます。罪赦されたという事実をイエス・キリストの愛によって知るのです。その愛は聖霊によってはっきりさせられています。

● イエスは政治家ではありませんでしたから、どの政治家よりも立派だったとか比較はできません。が、人々に平安を与えました。イエスは医者ではありませんでした。でも癒しを行われました。イエスは宗教家というわけでもなく、救い主でした。人と比較できる方ではないということです。イエスは神ですから。

★ イエス・キリストはソロモンに優るお方です。いや、聖書のどんな人物よりもはるかにまさるお方です。世界中のどんな人よりもはるかにまさるお方です。このお方は単にタレントのような方ではなく、私達を友と呼んでくださった愛するお方です。私達は愛されているのです。このことに驚くではありませんか。感動するではありませんか。