
いったいイエスとは何者?
2025/10/12 礼拝説教
【テーマ】 自然をも支配するイエス
【説教題】 「いったいイエスとは何者?」
【聖書箇所】 マルコ4:35-41
【説教者】藤井敬朗牧師
4:35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。
4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
4:41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」
マルコ4:35-41
○ 阪神大震災の日、高槻の古い牧師館もよく揺れました。しかし、3人の子ども達は全く知らないでよく寝ていました。嵐の中、イエス様も眠っておられました。子ども達はイエス様に近いなあと思いました。
眠る
イエスは寝ておられた
1.最近睡眠の重要性がよく語られるようになりました。レム睡眠とノンレム睡眠という言葉も普通に語られるようになった気がします。そのレム睡眠(浅い眠り)では眼球が動いていて夢を見ていると言われます。反対にノンレム睡眠は深い眠りでちょっとやそっとでは起きないとも言われます。
2. 4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。 4:38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。 ということはイエスはノンレム睡眠中だったのでしょうか? とは言え、嵐の中で眠れるというのはよっぽど疲れているか、超人的な平安を持っているかでしょう。
神に助けを求める
1.ごく普通の人間だった弟子達は 4:38 ・・・弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。 と、自分たちの身の危険を感じ、何とか嵐から逃れようとするのですが、 4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。 と、舟は水で一杯になって沈みそうなのです。イエスは濡れなかったのでしょうか? それともびしょ濡れでも気にせず寝ておられたということでしょうか?
2.私達の人生でもこのように出発したときは何ともなかったのに、しばらくすると大きな波、強い風に悩まされ、沈みそうになることもあるのです。そんな時、私達はどうするでしょうか? 自分では何もできないことを知って、神に助けを求めるのではないでしょうか?
叱る
嵐を叱るイエス
1.弟子達に起こされたイエスはどうしたかというと 4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。 イエスは波と風に命じられたのです。イエスの言葉はもちろん神の言葉ですから、自然といえどもその造り主であるイエスの言葉に従うのです。
2.しかし、面白い表現です。「風に命じられた」というのでもなく、 風を叱りつけ るという表現です。悪さをした子どもを叱りつけるような、あるいはもっと悪い奴、悪霊を叱りつけるかの言い方でしょうか? 聞くんですよね。イエスの言葉にはみんな! 果たして私達はイエスの言葉に従っているでしょうか?!
私達のためにも叱るイエス
1.叱るというのは悪い事をしているから叱るのです。風と波はイエスに悪い事をしたのでしょうか? イエスは気にせず寝ておられたのですから、別に波風はイエスに悪い事をして叱られるようなことをしたわけではないのです。
2.しかし、弟子達にとってはそれは悪い事でした。命の危険を感じさせるものでした。助けを求めた弟子達のためにイエスは嵐を叱ってくださったのでしょう。とすれば、私達・イエスの弟子のためにイエスは私達を苦しめようとする悪い奴らを叱ってその悪いわざを止めてくださるのではないですか。
従う
苦難の中でイエスを信じる
1. 4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。 と、イエスの一言で風は静まりました。イエスが自然に対して奇跡を行われたのはこれが初めてのようです。弟子達はこの出来事を通して、イエスが自然をも支配するお方であることを知ったのです。
2.と同時にそれはどんな苦難の中にあってもイエスに信頼して生きていくことが大事だと悟らされたときでもあったでしょう。私も自然を見る度に神に偉大さを感じ、その秩序の正しさに神の愛を感じます。ということはたとえ私に大変なことが起こってもその全てを支配しておられる神が私にも良くしてくださらないはずは無いと思えるのです(信じられるのです)。
恐怖と信仰
1. 4:40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」4:41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」 と、イエスが言われましたが、怖がるのは信仰がないことでしょうか? 私は怖がりの性格持ちです。ことある毎に怖がります。高所恐怖症ですから高いところに行くのはとても恐いです。不信仰なのでしょうか?
2.この嵐の中で弟子達は怖がったので、イエスは どうして怖がるのですか。 と言われたのですが、漁師達でさえ怖がったのです。そこで、弟子達の言葉は「この怖がらないイエスは何者なんだ??」と驚いたということではないでしょうか? つまり、人間なら誰もが怖がるのです。イエスだから怖がらないのです。このお方が共にいるのはとても嬉しいことではないですか。
● 高槻で会堂建築をしたときは、何度もお金の工面がうまくいかず心が落ち着きを失いました。ギリギリでしたがやっとお金の目処が立って、半年以上工期が延びてしまいました。やっと会堂が建ち上がるところまできましたが、また大問題が起こりました。教会の前の道路には下水管がまだ整備されていなかったのです。市役所に行って確かめたところ、市内の下水菅工事はどんどん進められていたのですが、教会の前の道路はまだ2年先だったのです。そのために大きなタンクを埋め込まねばならなくなったのですが、実質それは無理でした。かといって今さら水洗トイレをやめるわけにもいきませんし、台所を使わないわけにもいきません。市役所に何度か出向き、教会の前の下水管工事をしてもらうように頼みましたがダメでした。「独自で本管までの工事をしなさい」と言われ、工事費用を聞くと300万円以上かかるのです。もう予算はありません。これでは会堂が建っても使えないのです。完全に行き詰まって困り果て、市役所にお願いに行ったのですが、けんもほろろでした。「ここまで頑張ったのに、最後のところでダメになるのか?」と、胃に穴が空くほ困りました。
ところが、翌日、市役所から電話があり、「教会の前の道路の下水管工事を早めます」と言ってくださったのです。わけがわかりません。私が何度お願いしてもダメだったのに、誰かが話してくださったのでしょうか? 担当者の方が「教会さんの前の道路だけ早くしますが、このことは近隣には言わないでください」と言われたのでますます誰が中に入ってくださったのか考えてしまいました。でもわかりません。お陰で300万円もいらなくなり、会堂が使えるようになったのです。私達にできたのはただ、「イエス様、助けてください」と願ったことだけです。
★ イエスは弟子達を嵐の中で訓練されましたが、私達も訓練を受けています。でも、私達が困ったとき、私達を困らすものを叱ってでも解決に導いて下さるのもイエスです。「いったいイエスとは何者だろう?」と思いつつもイエスに従っていきたいですね。
1.あなたの受けた大変な訓練は何ですか?
2.イエスはあなたをどのように助けてくださいましたか?
Posted by shinnakano
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