#86 大変な時だからこそ
東日本大地震
今年の春は何とも気持ちが晴れ晴れしません。3月11日(金)午後2時46分頃に起こった東日本大地震(東北地方太平洋沖地震)によって、日本中、世界中に大きな悲しみが引き起こされました。
被災された方々のためには一日も早く、平穏な生活に戻られるようにと祈ります。
私たちの団体(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)には東北地区に13の教会がありますが、教会堂にかなりの被害を受けたところもあります。
教団本部もすぐに状況確認をして、救援物資を届けに行きました。幸い本部に備蓄されていた救援物資が役立ち、その後日本全国の教会から送られてくる救援物資を次々運搬しました。
会堂の壁が壊れたりした教会が救援物資の中継地点となり、救援ボランティア受け入れの拠点となって、公的な救援が進まない小さな避難所や高齢者のおられるお宅を回って物資を届けました。
さらに救援ボランティアは、津波の被害を受けた家に入り、泥のかき出しなどを行いました。
大阪にいた時、阪神大震災を味わいましたが、私たちの住んでいたところは震度5強でした。今回、東京が震度5強で同じでしたが、阪神大震災の時は比較的短時間でした。今回のはゆっくり揺れ出して、だんだん大きな揺れになって、なかなか収まらないのが恐かったです。
新中野キリスト教会では幼児の集会中でした。スタッフは部屋の中央に子ども達を集めて覆い被さり、非常口のドアを開けました。揺れが治まって、子ども達に靴をはかせて、親元に返しました。
電車が止まってしまい、自宅に戻れないスタッフがありましたが、親戚の家まで歩いて泊めていただいたりして、何とかスタッフも戻りました。
青梅街道は夜遅くまで、新宿方面からの人の行列で、その数はものすごいものでした。車も大渋滞でした。
あちこちの学校や公的機関が帰宅困難者のために、宿泊できるように解放していました。
本当に初めは現実かどうか疑いたくなる光景でした。
その後も原発の問題で計画停電や交通機関の乱れ、食品やトイレットペーパー、電池等々の品切れが続き東京も被災地さながらの状態になってしまいました。しかし、東北の被災地に比べればもちろんたいしたことは無いのです。東北を思うと心が痛みます。
PTSD
阪神大震災の後、大きな問題になったのがPTSDでした。大人にもかなりそれはありました。子ども達の中には夜中に突然起き上がって泣き出したり、トイレに行けなくてお漏らししたり、かなり心の傷は大きかったです。
さらに大変だったのは、家族を失って、自分が助かった人達の中で、自分を責める人がいたことです。そのために精神的な病気になった人もたくさんいます。
短い時間に起こった出来事がこうもたくさんの人の心を痛めつけるのかと思ったのです。
阪神大震災の後かなりたってから、震災のためにPTSDになり、仕事を辞め、自宅療養されていた方と出会いましたが、その方は電車に乗るのも、エレベーターに乗るのも恐くなっておられ、なかなか回復には時間がかかるのだということを目の当たりにしました。
4月に入って、私たちの本部でも特別講師を招いて3日間のPTSDに関する研修会が持たれました。本当に必要な学びだと思います。
なぜ? を超えて
こういう天災などが起こると、必ず言われるのが、「神様は、どうしてこんなひどいことをするんだ?」という質問や、「神様がいるなら、こんなひどいことはしないはずだ」という神様の存在そのものを否定する言葉です。
また、「この震災は、神様からの裁きだ!」と断言する人もいます。実際、ネットを見ているとそういうことが言われて、クリスチャンたちも困っています。
正直なところ、答はわかりません。私は神様の存在も、神様が愛のお方であることも信じています。ですから、私も悩みます。ただ、聖書を読んでいると、「今はわからないけれど、後になって、このことのためだったのだ」とわかる時が来ることを知っています。だから、今はわからないことを敢えて詮索しません。
今は私にできる、できる限りの救援活動をすることが私の仕事と思っています。ただ、救援活動といっても、私は心臓はじめ、内蔵のいくつかが悪く、腰痛もあるので、ボランティアで現地に行きたいという気持ちがあっても行けません。私と同じような気持ちになった方も多いと思います。
でも、神様はそういう気持ちも理解してくださり、私たちの祈りを聞いてくださるお方です。日々、被災地のために祈っています。
工夫が生まれた
今回の地震で、被災地のように大変な目に遭わなかった方々でも、家の壁にヒビが入ったり、食器が割れたり、あるいは怪我をされた方もあったかも知れません。
子育て中の方々にとっては、子どもの安全のために一時東京から離れたり、水や食品、おしめ等の調達に大変苦労をされた方々もありました。
余震で子どもが恐がって、どのように落ち着かせたら良いか悩まれた方もおられるでしょう。
平常時の子育てでさえ、色々大変なのに、こういう事態になると本当に苦労されたと思います。
被災地ではミルクの問題、おしめの問題、アレルギーの子達の問題等々、本当に大変だったと思います。
テレビや新聞を見ていると、その大変さの中でいろいろな工夫がなされていることを知りました。紙おしめが無い時の代用品、体を温める良い方法等々紹介されていました。確かに大変で苦しいのだけれど、あきらめるのではなく、「何かできないか?」というところから工夫が生まれていました。
子ども達の知恵
また、感動したのは、小さな子ども達がお年寄りの肩もみをしたりしてお年寄りの気持ちまでほぐし、笑顔を取り戻させたりしたことです。
あちこちの避難所で子ども達が自主的にいろいろな活動をしているのがテレビでも報道されました。子ども達のアイデアもなかなかのものです。普段の勉強では出てこない知恵がこういう時に生まれるのです。
ガソリン不足で、ガソリンスタンドに長い行列ができた時、暖房をかけないで長時間並んでおられた方々がありました。そのことを知った教会の子ども達が温かい飲み物や豚汁を用意して、行列の車に差し入れをしていきました。ある方は販売に来たのだと思ったそうです。しかし、差し入れであることを知ると、雪の中を子ども達が持ってきてくれたということで涙を流して御礼を言われる方もあったそうです。
大変なことが起こった時、確かに喜べないことがいっぱいあるのですが、同時に今までに見たことの無い温かい光景、ホッとする言葉、人間としてのつながりを感じたりするのです。しかも、子ども達が自ら考え出したことは大人にも大きな励ましとなるものです。
ホッとする時
子育ては大変なこともたくさんあります。こういう震災などの大きな問題の起こった時に子育てをしている人はさらに大変で、精神的ストレスは相当のものです。
テレビで被災地の子育て中のお母さんたちが大変苦労されて、ストレスが高まっている様子を見ました。その時、私は障がいのある子どもをお持ちの親御さんを思い出しました。障がい児学級を受け持った時、ボランティアで障がい児のキャンプに行った時、お父さん・お母さんは普段かなりのストレスを味わっておられることを見聞きしました。
障がい児のキャンプなどに来ると、同じような仲間があって、親同士も話し合えて、いくらかでもストレスが解消されるらしいのです。当時、学生だった私はたいしたことはできないのですが、その子達を見てあげることで、親御さんにホッとできる時間ができたようです。
人間というのは張り詰めているといつか切れてしまいます。どこかで緩むことが必要なのです。子育ては人によっては張り詰めっぱなしの場合もあります。そういう方にはどこかでその張り詰めた状態から、ホッとできるひとときを持てるようにしたいものです。助けが必要なことも多いのです。
でも、もっと大事な心の平安。これはイエス様に近づくことで得られます。「私があなた方を休ませてあげます」と言ってくださったイエス様のところに、まず行こうではありませんか。