子ども達の居場所を作りたい
二学期が始まると
毎年、二学期が始まると感動することがあります。それは久しぶりに出会う子ども達が大きく成長していることです。
教師時代もそうでしたが、牧師をしていても同じです。7月24日に「サマースクール&夏祭り」を行いましたが、その時に会った子ども達と8月28日に再会すると、それだけでも大きくなったなあと思いました。ましてや3歳以下の子ども達と再会しますと「うわー!成長したねえ」と思わず言ってしまいます。
それから、毎年8月終わり頃から私が祈っていることがあります。それは子ども達が自殺しないようにということです。
子ども達の自殺が一番多いと言われるのが9月1日です。しかし、最近は2学期の始まりが学校によって違いますので、8月の終わり頃から子ども達の自殺が増えているようです。そういう悲しい記事を見聞きすると心が痛みます。
安心できる居場所を
いまだにいじめを苦にして自殺する子ども達がいることは本当に辛いです。これだけ「いじめ」のことが語られ、研究され、教育現場などで対策が練られてきたはずなのに一向に無くなりません。
自殺した子どもの親は子どもの死によってはじめて「いじめ」のあったことを知ったり、学校側に相談していたにもかかわらず対処が遅れてしまったりして、本当に辛いものです。
子どもの発達は嬉しいものの、難しい年頃を迎えるということも起こってきます。その難しい時期、「思春期」をどう乗り越えるかが課題となって久しいです。
「思春期」は私にとってライフワークとしてきたものです。この時期の子ども達が、生き生きと楽しく過ごして欲しいと願っています。そのためには安心して、心開くことのできる場所も必要だと思っています。
「青少年の居場所作り」ということは相当前から言われてきましたし、公的機関やNPOがそういう場所を作ってもきました。ありがたいことです。しかし、私がずっと気にしてきたことは、こういう良い場所にも行けない子ども達のことです。そういう子ども達こそ「安心できる居場所」が必要だと思っています。その居場所が教会であるようにしたいという思いでずっときました。
教会学校(日曜学校)
昔、教会学校(日曜学校)はたくさんの子ども達が集まっていました。昔とはどれくらい前かというと50年ほども前のことになるかと思います。そして30年ほど前から教会学校に子ども達が来なくなってきたと言われる頃までのことです。これをお読みの方の中にも教会学校に通っておられた方はおられるのではないでしょうか。
その頃は子ども達も教会学校を楽しみにしていました。教会学校では、賛美歌(子ども達向けに作られた賛美歌)を歌い、聖書のお話を聞き、紙芝居などをみるのも楽しみでした。
私が20歳前から教会学校の教師をしていた頃、私は下手なギターを弾き鳴らしながら子ども達と歌いました。子ども達も楽しんで元気に歌ってくれました。簡単なゲームなどをするとそれも大喜びでした。聖書のお話、紙芝居、しっかりと見聞きしてくれました。
夏休みには小学生のための夏期学校やキャンプをし、子ども達は大喜びしてくれたものです。
こうした時代に教会学校に来たことのある子ども達が、思春期頃に教会に行かなくなってしまうことが多いのですが、大人になってから、辛いことなどがあった時にふと教会を思い出し、教会に来られる方が多くおられます。
子どもの居場所は何処に?
先日もキリスト教の出版社の方とお話をしておりましたが、その方の教会もかつては200人くらいの子ども達が教会学校に通ってきていたそうです。その方も若かりし頃、教会学校の教師をして、自作の紙芝居などを見せていたそうです。ところが、やはり今は子ども達が激減してしまったそうです。少子化だけがその原因ではありません。
子ども達が教会を居場所にしなくなったということでしょう。クラブ活動や塾などで忙しくしている子ども達もたくさんいます。最近はゲームなどにはまり日曜日も一日中家でゲームをしている子どももいるそうです。現代の子ども達の居場所は何処なのでしょうか?
子どもの「行く道」とは?
聖書の有名な言葉の一つにこういう言葉があります。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
伝道者の書 12:1
「創造者」とは神様のことで、イエス様です。若い内にイエス様を知ることが大事だと言っているわけです。また、
若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。
箴言 22:6
という言葉もあります。「その行く道」とは何処でしょうか? 良い幼稚園、良い小学校、良い中学校、良い高校、良い大学、というのが「行く道」でしょうか? それも大事なことかも知れませんが、もっと先まで見越した「幸せ」。人生で最も大事な道は何でしょうか?
イエス様がご自身のことを
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」
ヨハネの福音書 14:6
と言われたことを思うと、イエス様の生き方に、イエス様の存在そのものに「その行く道」が見えてきます。単なる「道徳」ではなく、本当に大事な人の「道」です。
教会(教会学校)はそれを教えたいと思って励んでいます。
悩みの相談室
思春期と言えば、私が中学の教師をしていた時に、やはり悩みを持つ中学生が多いのだなあと実感しました。そこで、私は美術準備室を大掃除して二畳くらいのスペースを作りました。小さなテーブルといくつかの椅子を並べ、気軽に話のできる場所にしました。
「何か話したいことがあったら来てください」と生徒に持ちかけると最初は数人の生徒達がグループで面白半分にやって来ました。しかし、続けている内にそうしたグループ懇談の中に色々生徒間の問題、生徒と先生の問題、親子の問題が語られるようになりました。
そして、さらに続けていると単独で相談に来る生徒が増えてきました。担任をしていた時はここで個人懇談をしたので、生徒達にはこのスペースが私との話をする場所だと認識されるようになりました。しかも、いつしか生徒達は「けいろう悩みの相談室」と名付けていました(「けいろう」というのは私の名前敬朗(のりあき)が読めないためみんな「けいろう」先生と呼んでいたからです)。この「けいろう悩みの相談室」は予約制になるくらい繁盛しました。
友達関係の相談、自分の性格の悩み、成績のこと、親の離婚の問題、親の虐待の問題、友達の万引きなどのこと、学校に来たくない(不登校)ということ等々、実に中学生の悩みは多いのです。今振り返ってみますと、相談内容に「いじめ」はほとんどありませんでした。そういう時代だったのでしょう。今この「相談室」があったら、「いじめ」の相談が多いかも知れません。
私はこのスペースを彼らの居場所にしてやりたかったですが、それは私と話をする時だけの居場所に過ぎません。もっと本来的に安心できる居場所が必要です。それはクラスであってほしいし、もちろん家庭であって欲しいのです。そして、教会がそういう場所になりたいのです。
「教会自習室」というのを始めました。今はまだ月1回(第4日曜)ですが、子ども達が慣れてきて、毎週自主的に来て勉強したり、遊んだり、私たちと話したりしてくれるといいなあと願っています。
どの子も笑顔でいて欲しいし、将来に対して夢と希望をもって欲しいです。