赤ちゃんから年寄りまで
本を読んで
「50歳からの人生術」(保坂隆著 中公新書ラクレ)という本を読みました。著者が65才の精神科医というところに惹かれたのかも知れません。
63才の私はここのところ体力の衰えを痛切に感じています。
51才で腰の手術をしてからどうもしっかり元気が取り戻せないでいます。腎臓は軽い腎不全で、二つとも遊走腎のため疲れやすいようです。さらに7年ほど前から心臓に問題があることがわかり、薬が増え、どんなふうに日常生活を送ればいいのか考えることが多くなりました。
今回の本もそうですが、一般的に私と同年代60代の人はどんなふうに生活されているのか気になって買ってしまったみたいです。この本の帯に「老後の質は50代の過ごし方で決まる!」とあり、もう私には遅いのかなとも思いながら買ってしまったのですが・・・。
私は50代にここに書いてあるような事をしてきたかなと考えました。たくさんのアドバイスがあり、老後のためにどう生きるかが書いてあるのです。「果たして私は何才まで生きるのだろうか?」と考えてしまいます。
いわゆる老後という時期があるのかなと思ったわけです。もしかして、もうすぐ命が終わるかも知れない。かつては人生50年と言われたのですから。とすれば、私は本当に自分の人生を悔いなく生きたことになるか考えました。
元気が無くなったなあ
中学校の教師を続けていればすでに退職して2300万円ほどの退職金をいただいていたのでしょう。教師を辞めて牧師になることを決めたときはこんな退職金のことは考えてもいませんでした。生活は決して裕福ではないと思って覚悟はして牧師を目指しました。が、老後の事なんて全く考えてもみませんでした。ただ、人々にイエス・キリストをお伝えすることだけを喜びと考えていました。
あれから35年。その気持ちは全く変わっていません。しかし、35年前の体力は無くなっています。
牧師になってしばらくは子ども達、青年達と一緒になって遊び、勉強を教え、音楽をして楽しんでいました。教会や団体のキャンプ(合宿)には、自分自身の夏休みが無いほどに行っていましたが、今はもうその元気がないのです。
元気があれば、今でも教会で子ども達を集めて教会に泊まり込むとか、どこかの施設に泊まり込みに行くとかしたいのですが、できなくなってしまいました。
私はそんな状態ですが、70代、80代中には90代でもとてもお元気な方がいらっしゃいます。検査に行ってもほとんどなんの問題も無いらしく、私よりもたくさん食べておられます。私なんか、その人の食べているのと同じように食べるともう胃がもたれます。
子どもの時から大事
この本にはお金のこと、時間の使い方、健康を保つことなどが書かれていますが、全体的に人間らしい姿だなあと感じました。
勉強を忘れないこと、社会貢献すること、睡眠をしっかりとること、笑顔を忘れないこと等々、何も50代の人だけの過ごし方ではないなあと思いました。
つまり、子どもにも大事なことが多々あるのです。というよりも、子どもの時から習慣化していく必要があるのではないかなと思ったのです。
ライフワーク
私は「子ども達が思春期を健康的にしっかりと乗り越える」ためにどのように指導するかをライフワークのように考えてきました。そのために子どもの発達のことを調べ、現代の子ども達の問題などにも注意して調べてきました。
子どもの発達を調べていくうちに第一反抗期の時期の重要性と、その時期の親子のあり方が思春期、特に第二反抗期に影響していることを知りました。そこで、第一反抗期(幼児期)にどのように過ごすべきかを「子育ての会」などでもお話ししています。もう子育ての会は30年近くになります。
年配者にも発達が
そして、思春期を過ぎて社会人になり、ある人は家庭を持ち、子どもが生まれ、子どもを育てます。そして、年老いていくのですが、「発達」は老年期について書かれているものがほとんどありません。というよりも、現代の日本の老年期は大きく変わって、今までにない高齢化を迎えています。「どのように生きるのか?」はとても大事な課題だと思います。
もしかして、第一反抗期が第二反抗期にとても大きな影響を与えるように、老年期に大きな影響を与えるのが、やはり幼児期にあるとしたらどうでしょう? あるいは思春期の過ごし方が影響するとか、そういうことがあるとすればどうでしょうか?
年をとってからも元気に生きられる(体だけのことではありません。心も元気ということです)ために、もしかして幼児期の過ごし方がものすごく影響しているとしたら・・・と、考えてみたわけです。
私自身、子育て中の若い頃には、年配者の気持ちはわかりませんでした。ですから、「発達」に関しても青年期、あるいは壮年期までしか考えたことがなかったのです。でも、生き生きした老後は幼い頃の生活習慣、思春期の頃の生き方・考え方が影響するとしたら、人の一生を視野に入れた「子育ての会」をしなければいけないなあと思いました。私自身の生き方のためにも。
聖書の人物はそういう点でも勉強になります。子どもの時の生活が大人になっても影響しているようなのです。
脳という臓器
幼い子どもの脳はまだ未成熟ですが、この時期に記憶したこと(刷り込まれたこと)は生涯にわたって影響を与えると言われます。
胎児の脳が急激に成長する妊娠後半に、お母さんにアルコールの影響があると胎児の脳は成長が遅れます。もちろん、アルコールだけでは無く、ニコチン、薬物等もそうです。
神様はとても大事に守られる胎をお造りになり、そこで赤ちゃんがすくすく育つようになさいました。その時にすでに赤ちゃんは母親に愛されていることをその脳に蓄積し始めています。
そして、誕生してからは抱っこされたり、おっぱいをもらったり、おしめを替えてもらったりして、自分では何もできないのに全部必要なことをしてくれて、しかもそれをニコニコと笑顔でしてくれるお母さんを見て育つように神様は造られました。
よく言われることですが、赤ちゃんの視力はお母さんが抱っこしてくれた時、お母さんの顔だけがしっかり見える視力だそうです。神様はそれだけの視力で良しとされたのです。赤ちゃんの脳に入れ込むのはお母さんの笑顔であり、優しく自分の名前を呼んでくれるお母さんの声、暖かな抱っこなのです。
これが知識を入れ込む脳ではなく、生涯生き残っていく中枢の脳に蓄積されて消えないということです。この部分が赤ちゃんのときにしっかり形成されることで人生も変わるのではないでしょうか。
教会で子ども達が育つことを私はとても大事だと思っています。それは教会というところが、見えない神を礼拝しているからです。
見えるものは一部です。しかし、現代は見えるものを重視する時代になりました。しかし、見えないけれどもおられて、私たちを愛してくれる神を礼拝することを赤ちゃんの時から知ることで、知識脳が発達する前に人間としての大事な心を持つことができるからだと思うからです。神は愛ですから。