HSP HSC
「恥ずかしがりで・・」
卒業、卒園、そしてもうすぐ新しい学校、幼稚園、保育園と大きな変化のある4月を迎えます。
この一年間、子どもさんの成長はどうでしたでしょうか? 「こんなにも色々な事ができるようになった」と喜ぶ親御さんが多いことと思います。しかし、大きな変化も見られないと、心に焦りを感じた親御さんもおられることでしょう。
「恥ずかしがり屋が治ってくれたら嬉しいのですが」「うちの子はとても内気なので困ります」「うちの子は引っ込み思案で」というような、教え子に対する親御さんのの言葉を教師時代には度々聞きました。実は私もこのように言われていたのです。中学に上がると少しそういう言葉が減った気がします。しかし、基本的に恥ずかしがり屋で、内気で、引っ込み思案でした。
HSP
数年前ある本でHSP(Highly Sensitive Person)のことを知りました。その本を読んでいるうちに、「かなり自分に当てはまっているなあ」と感じてきました。そして、その割合が、調べられた国どこでも 15~20%存在するということを知って驚いたのと同時に安心したのです。私のような人がたくさんいるということを知っただけでホッとするのですが、同時に「みんな苦労しているんだなあ」と思いました。
HSPの人はその度合いにもよるでしょうが、生きづらいのです。というよりも、HSPの人にとって生きづらい社会になっているのだというほうが正しいかも知れません。
HSPは病気だとか障がいだとか言われているわけではありません。「過敏性」という持って生まれた特性で生まれつきの気質と考えられています。
HSPの人にも色々のタイプがあるのですが、ある人は他の人以上に臭いに敏感であったり、人以上に心配性、怖がりであったり、ちょっとした注意に対しても異常に落ち込んだりする人等々幾つものタイプがあるようです。
怖いという感覚
HSPにも色々なタイプがあるので、人口の15~20%存在するということなのでしょうが、私自身のことで考えてみますと、私は弟とは違ってすごく怖がりでした。大きな音にもビクッとし動悸がしました。運動神経が良くないからかもしれませんが、跳び箱などが怖かったですし、ジャングルジムを登るのも怖かったです。そういう高いところが怖いというのでは「高所恐怖症」になるのかもしれません。「高所恐怖症」は今もあり、ベランダから下を覗き込むのが怖いです。橋の欄干から下を見るのも怖いです(実はだいぶ慣れてきてはいるのですが)。
教師時代、生徒を林間学校に引率した時のこと、最初に低い山に登ったのですが、ちょっとした尾根が細い道でした。緩い坂を上りながらその尾根を歩くのですが、一人の生徒が両側に何も無いことで恐がったのです。私には少しその気持ちがわかりました。ただ、私がそれほど怖く感じなかったのは、たとえ道から足を外してしまっても少し滑り落ちる程度で、すぐに上がってこれると思えたからです。しかし、彼にはそう思えなかったのか、怖さが押し寄せてきたみたいです。
私は彼の前に行き、クラスの最後を行きました。彼は時には道を這うようにして歩き、木があるとすぐにそれをつかみというふうに行くので、私も時々前から彼に手を差し伸べました。無事頂上に着き、お弁当を食べることができました。残念ながら霧が濃くて美しい景色が見えなかったのですが、ひょっとすると彼はその景色が見えると怖かったかもしれません。
彼もお弁当をみんなと楽しく美味しく食べることができました。今度は下りです。ルートは違うのですが、上りよりも大変かなと思いました。でも、今度は片側が斜面だったのと、霧が視界を遮ったことも幸いしたのか、今度はわりと問題無く降りること太できました。
今思うと、あの頃の生徒達の中にもHSC(Highly Sensitive Child)の子ども達がいたのだなあと思います。
怖いという感覚
私自身がいくらかHSPなのでHSCのことがわかったのだと思います。こうして考えると改めて人は他の人の気持ちを理解することができないものだと思いました。ましてや若いときの自分は生徒達の気持ちを全くといってよいほど理解していなかったのだと思います。もちろん、理解しようと努めていたのですよ。
親が子どもの気持ちを理解するのも無理だと思います。私たちは誰をも理解できないのでしょう。だからと言って「理解できないものだ」と諦めてしまったのでは何の進展もないので、理解するように努めるのが人間だと思います。
一方イエス・キリストは神であられたので、私たちみんなの気持ちを理解してくださっていることが嬉しくなりました。
ザアカイの友・イエス
聖書の中にザアカイという背の低いユダヤ人が出てきます。しかし、彼はユダヤ人から嫌われていました。なぜかというと彼はユダヤ人からローマ帝国のために税金の取り立てをしていたからです。ユダヤ人でありながらローマ帝国の手先として働いている彼を人々は売国奴呼ばわりするのです。
しかし、誰がザアカイがそういう生き方をするようになったかを考えたことも、彼の苦しみをも考えたことがありませんでした。そして、背の低い彼をからかい、嘲っていました。彼には友人らしい友人も無く、さみしい人生を送っていたのです。お金持ちにはなったものの彼の心は虚しかったのです。
誰もザアカイのことを理解していないために彼は苦しみながらさみしい人生を送り、とにかく仲間のユダヤ人からもお金を取り上げてやろうと思う悲しい人生を送っていました。
そこにイエス様がお出でになりました。ザアカイもイエス様を一目見ようと出かけたのですが、人々はザアカイを前に行かせてくれませんでした。
背の低いザアカイはイエス様が見えないため、イエス様が進まれる方向にあった木に登りました。そこでイエス様を待っていたのです。
遂にイエス様がその木のそばに来られました。ザアカイは「あれが有名なイエスか!」と思って、じっと見ていると、イエス様は突然上を向き、木の上で枝や葉っぱに隠れて見ているザアカイを見つめられました。驚いたのはザアカイです。
しかも、「ザアカイよ、降りてきなさい。私は今日、あなたの所に泊まりたいのです」と、言われたのです。これは「私は友だちです」という意味なのです。
ザアカイ以上に驚いたのは人々です。「イエス様ともあろうお方が、あのザアカイと友だちになるなんて!」と。
誰がザアカイの辛い気持ちを理解したのでしょうか? イエス様以外にはいなかったのでしょうか?
私の友・イエス
HSP、HSCの人の気持ちはそうで無い人にはなかなか理解できないと思います。それがために辛い思いを抱えながら、何十年も生活しています。そういう人の気持ちを、少しでも理解できたらいいなあと思っています。
時々、私も「私の気持ちを理解してくれる人はいないのかもしれない」と気持ちが沈み込みそうになるときがありましたが、今はザアカイを友だちにされたイエス様によって「私のことも知ってくださっている」とわかっているので嬉しいのです。