一羽のスズメさえ
歩く楽しみが
ここのところ朝歩く時の楽しみが鳥を見ることになっています。バードウオッチングというほどのものではなくて、ただ歩いている時に鳥を見つけて楽しんでいるだけなのですが。
どんな鳥がいるのかというと、一般的なスズメ、カラス、ハトの他に、ヒヨドリ、ムクドリ、そしてメジロを最近よく見かけるのです。神田川にはセグロセキレイやカモ(カモは数種類いますが)シラサギ、カモメがいます。時々オナガやエナガも見ます。それとよくわからない鳥もいます。
かわいいメジロ
メジロは数年前にある家の梅の木に花の蜜を吸いにきているのを見つけたのですが、それがかわいかったのです。スズメくらいの大きさでウグイスみたいなのですが、本当に目の周りが白く「目白」なのです。この時から娘とメジロ探しに懲りまして、気をつけだしたのです。冬の季節だけやってくるメジロがかわいくてできるだけ近くで見たいという欲求も高まってきました。
娘は私よりメジロの鳴き声に敏感で「あ、メジロが鳴いてる」と気づきます。探すと椿などの花の蜜を吸っています。先日はアロエの花にしがみついて蜜を吸っていました。この時は1m位の近さで見ることができてちょっと感動でした。写真を撮るのも忘れて見ていました。
今年に入って結構メジロを見かけます。ひょっとすると住める場所が少なくなっているのかなあと心配になりました。
ブンチョウもかわいいよ
うちでは手乗りブンチョウを飼っています。飼っていた犬が死んでしまって数年。さみしさを感じていた時に、以前飼っていたブンチョウを思い出して飼うことにしたのです。
ペットショップで最後の一羽になってしまっていたブンチョウのヒナを買ってきました。手に乗せて、エサを器具を使って口の中に入れてやるのですが、大きく口を開け、飲み込みます。まだ羽が生えそろっていないので、食べた餌が見えています。次第に大きくなって、自分でエサもついばめるようになり、飛べるようになると、ヒーターも外してきちんとした鳥かごに入れてやりました。
とびらを開けるとすぐに私たちのところに飛んできます。人間が大好きなのです(たぶん)。
育てる・教育
ブンチョウのヒナを育てるのは人間の子どもを育てるよりずっと楽です。エサの食べ方を教えたこともないですが、一人(一羽?)で食べるようになります。また水浴びの仕方も教えたこともないのに、かってに水入れの中に入って水浴びするようになっています。飛び方だって教えていません。動物って本能で相当のことができるようになるんだなあと思いました。人間の子どもはそうはいかないです。いわゆる教育していかねばなりません。しかし、あまり早くから色々やり過ぎてもいけないし、難しいものです。
安心している
このブンチョウ、人の手を怖がりません。なにしろ手に乗っかってエサをもらっていたからです。手を出すとすぐ手に乗ってきます。そして、軽く握ってやると握られたままで寝てしまいます。口を半開きにして寝たり、あくびしたり、それはかわいいものです。私がギュッと握ればこんな小さな鳥、一発で死んでしまいますが、私がそんなことをするなんて思ってもいないので、安心して寝ています。
人間の子どもだって親から虐待されないとわかっていればとても安心します。子どもが安心感をしっかり持つことができるのは、お父さん・お母さんが絶対に守ってくれる、大丈夫だと体験するからです。
私は中学生の時にハトを飼いましたが、その中で体の大きいハトが他のハトをいじめるので体罰?を与えたことがあります。するとそのハトはその後ずっと私に近づこうとしなくなってしまいました。「しまった!」と思ってできるだけ優しくしたのですが、完全にはなつかなくなってしまったのです。他のハトは私の手や頭、肩に乗ってくるくらいなついていたのですが、このハトだけは元どおりになりませんでした。正直ショックでした。
鳥にも色んな違いが
ブンチョウとメジロは大体同じくらいの大きさなのですが、ブンチョウのくちばしは大きいです。それに比べてメジロは細く小さいです。娘と二人で「メジロは蜜を吸うからあのように細いくちばしなんだ」と感心したのです。神様は鳥にもそれぞれの器官を備えておられることがわかります。よく飛ぶ鳥もあれば、飛べない鳥もいます。大きさもダチョウのように大きいものからハチドリのように小さいものまで。それに比べると人間はそんなに変わらないですね。
とにかく不思議だなあと思います。こんな世界が勝手にできるとは思えません。しっかりと見事なまでに考えられてつくられています。壊していくのは人間ですが。
つまり神様が確かにおられて、鳥の世界も見事に計画的につくられました。
スズメをも守る神
聖書にはこういう風に書かれています。
二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
マタイ 10:29
「アサリオン」というのは現代の日本円にすると100~300円くらいと言われています。ここではどれくらいの金額というより、安い金額で売られている雀(スズメ)さえ神様の守りの中を生きていると言っているのです。つまり、スズメどころか小さな蟻(アリ)でも、アメーバでも神様が造られたということです。
スズメをも守る神
神様が造られたということは、この地上にいることに意味があるのです。ましてや神様の最高の被造物と言われる人間がこの地上にいることの意味はどれほど大きいでしょうか?
若い人、子ども達でも「生きている意味が無い」「死にたい」などという言葉を発するような現代。何がどうなったのでしょうか? それは創造主である神様を知らないからではないでしょうか?
子どもが親のことを「こんな人知らない」「おれ(私)には親はいない」なんて言われたら、親はどんなに悲しいでしょうか。同じく、神様は私たちの「神なんていない」「神なんて知らない」という言葉にどれほど悲しい思いをされるでしょうか。
うちのブンチョウにとってうちの娘は神様のようなものでしょう。いつもエサをくれて、きれいな水に替えてくれて、必要を満たしてくれるのですから。鳥かごから出すと私たちのそばから離れません。つかまれても気にしないのです。信頼してくれているのでしょうね。
子ども達を愛する神
子育てはこういう風にはいきませんが、親が子どもを創ったのでしょうか? もし本当にそう思っているなら、そのおごり高ぶりは子どもにも影響するでしょう。子ども達は幼いうちは、不完全な人間である親でも神様のように思っています。しかし、必ず9才の壁(あるいは10才の壁)を迎え、また思春期に入っていきます。その時に親もただの人間であることを覚えるのです。
その時、親よりももっと偉大な方がおられることを知っている子どもと知らない子どもでは生き方が変わるということです。
それは悩みながら子育てをしているお父さん・お母さんにとっても同じです。神様は子ども達を愛しておられます。私たち親も神様の子どもです。愛されています。