立ち位置を変えて
子育てで困ったら
本屋さんで見つけた「子どもに伝わるスゴ技大全 カリスマ保育士てい先生の 子育てで困ったら、これやってみ!」の、7番目「まず、ママの服を選んでもらうと……」には、こう書いてありました。
着替えてくれなくて困るというときは、服を選んでもらうといい。ここで選ぶのは子どもの服ではなく、大人の服。
子どもに伝わるスゴ技大全 カリスマ保育士てい先生の 子育てで困ったら、これやってみ!
たとえば「ママのお洋服どっちがいいかな〜?」と子どもに聞けは、はりきって選ぶ。
そうしたら「次は○○くんのお洋服選ぼうか!」とつなげる。
ほかで上げたモチベーションを自分に使ってもらう。
というものでした。
第一反抗期の子どもをよくとらえておられると思いました。「反抗期」という名称がついていますが、「自立期」ともいわれている時期ですので、「自分でしたい」のです。子どもに選ばせてあげると物事が速やかに進むことがたくさんあります。
さらにこの本の5番目が「なんでお着替えしないの? 大人の立ち位置でお着替えが圧倒的に上達する」という題です。内容は、「着替えを手伝うときにほんの少し工夫するだけで、ひとりでお着替えするのが圧倒的に上達しやすくなる。その工夫とは、大人が子どもの後ろに回って手伝うこと。たったこれだけ。正面からではなく後ろから手伝うことで、実際の着替えの動きにそってできるようになり、感覚がつかみやすくなる。ぜひ!」
というものでした。こういうのが135もあって楽しみながら読めます。
こういう本の思春期版が欲しいなあと思いました。しかし、思春期は複雑な心で、こんな風にはいかないのかも知れません。
首をかしげる聖書の言葉
「立ち位置を変える」ということでは、聖書を読むときにもそう思うことがあります。
こういう聖書の言葉を聞いたことのある人は多いと思います。
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
マタイの福音書5:3-4
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
しかし、変に思いませんか? 「貧しい」「悲しむ」者が幸い、というのは普通の考えに合わないのではないでしょうか? 聖書には、あるいはイエス様の言葉にはこのような私たちの考えからは何か外れているような言葉が多々出てきます。「まるで禅問答のようだ」という人さえいます。
しかし、イエス様は実際、心の貧しい者の友でした。イエス様が友達になってくださることほど幸せなことはありません。悲しむ者をイエス様は慰めてくださいます。そういうことを体験してこの聖書の言葉はわかってきます。頭の理解を超えた立ち位置を変えたところで見えてくる世界です。
子どものお着替えを手伝う時に向かい合っていると上手くいかないのに、後ろからだと上手くいくというの読んで面白いと思いましたが、同時に聖書もそうだと思いました。
聖書の話も立ち位置を変えることで本来のイエス様の話の意味が見えてくるのです。当時の弟子達のようになってイエス様の話を聞いてみたいなあと思います。
「バカだ」と言われ続けた子
親が子どもの話を立ち位置を変えて聴くことで大事なことがわかってくることがあるものです。子どもは器用ではありませんから親の言葉をストレートに受けとめるものです。そのために心に傷を負う子達がたくさんいます。
私も子ども達の話を聞いていると、そこまで否定的に捉えなくてもいいのにと思うようなことがよくあります。
若い時に養護学校(今の支援学校)でボランティアに何度か行ったのですが、初めて行った時に5年生の男の子と遊ぶことになりました。少し手が不自由な子でした。ボール遊びをしたのですが、そのボールを受け止められなくて急に泣き出してしまったのです。そして座り込んで何かつぶやいています。よく聞いてみると「ボクが悪いんだ」と何度も言っています。
私がいくら「大丈夫だよ」「もう一度やろうよ」と言ったところで「ボクはバカだ」「ボクはできないんだ」と繰り返し、どう話をして良いのか困ったことがあります。
彼の辛さを理解しようと、私も座り込んで話を聴いてみることにしました。すると、彼は話し始めてくれました。家で親から「おまえはバカだ」と言われていたのです。その何気ない親の言葉が彼の心を苦しめていたのです。大学生の私には何もできませんでしたが、座り込んで一緒に話を聞いてあげたためか、私が手を取って立たせると立ち上がってくれて、ボールをもう一度投げ合うことができました。私がにっこりしてボールをそっと放り投げると、そのボールを落とすまいと受け止めて、笑って楽しく遊んでくれるようになりました。その後も話をしていると、この子は心優しいとっても良い子だとわかりました。
私はこの子が親から「おまえは良い子だ」と言い続けてもらったら、どうなっていただろう? と考えてしまいました。
立ち位置というか、ちょっと見方を変えると、その子の欠点よりも良さが見えてくるのです。大きくなるとその良さを見つけるのに時間がかかるかも知れませんが。
「ドラゴン桜」に感動!
阿部寛主演の「ドラゴン桜」というドラマをたまたまティーバで見つけ、第9回を見ました。成績の悪い高校生を東大に行かせるために思いもよらない教えをしている先生の話ですが、何と面白いことを言っていました。
桜木先生は「親のすることは子どもの成長段階を正確に見極めること」「直感的思考段階なのか、論理的思考段階に入っているのか」「おざなりなほめ言葉を使っていないか」「ほめることはおだてることでは無い。なのにほめなければならないと思い込んでいる」
すると、親が質問します。「ほめちゃダメ、叱っちゃダメ。じゃ家庭でどうすればいいんですか?」そこですかさず、桜木先生は「繰り返すんです。子どもの話をきちんと聞く、そして子どもの言葉を繰り返す。話を繰り返すことで子どもはきちんと話を聞いてもらえているんだという安心感を持つことができるんです」・・・もう感動でした。
子どもの話を聴く立ち位置
思春期の少年たちに対する話でしたが、子どもの話を聞くことは第一反抗期の子どもにもとても大事なことなんです。私はこの時期に子どもの話を親がしっかり聴くことで、第二反抗期を上手く乗り越える力がつくと思っています。
子どもの話を聴くというのはなかなか大変なのです。子どもは語彙数が少なく、思っていることをしっかりと伝えられないものです。ですから、子どもの話を聴くというのは子どもが言っているままを聞くのではなく、子どもの思いを聴くのです。先ずは子どもの目線に合わせてかがみ込んで聴くことでしょう。
これだけでも子どもは自分の話をしっかり聴こうとしてくれていると理解するのです。ですから、仮に思っていることがしっかり伝わらなくても、聴いてもらえたという満足感を得ることができます。
子どもの話を聴くにはその立ち位置が大事なのです。立ち位置と言うより、「かがみこみ位置」といった方がいいでしょうか?
私はお祈りをするときにいつもイエス様は私の目線にあわせてかがんでくださって、私の祈りを聴いてくださるなあと思うのです。