母の祈り

母の祈り

子育て通信

 5月に母の日の礼拝説教を準備していたとき、アブラハム・リンカーンの記事を見つけました。それを以下に記します。

 アメリカ合衆国、第16代大統領アブラハム・リンカーンの母親は、彼が9歳の時に亡くなりました。リンカーンは母親と過ごした記憶が、たったの9年間しかありませんでした。しかし、リンカーンの母親は、常に彼を膝にのせて、聖書を読み聞かせ、賛美歌を歌い、そして彼のために、毎日、口に出してお祈りをしていたそうです。
 リンカーンは、大統領になる前、16年間、弁護士として働きました。その間も、彼の心の中には常に母親の言葉、「Abe, いつも正直でいなさい。」という言葉があったそうです。彼が、とても正直で、誠実な弁護士であるという評判は、弁護士たちの間でも有名であり、時には法廷で争う相手側の弁護士であっても、リンカーンのその人柄を認めていたそうです。
 アメリカ合衆国大統領になった後、リンカーンは、このように言いました。「私は、母親が、私のために祈ってくれた祈りを、今でも覚えています。母が声に出して祈ってくれた祈りは、私のこれまでの毎日の日々を守り、そして私の人生を導いてくれました。今、私がこのようにあるのは、全て、母の祈りのおかげです。」
 たった9年間であっても、母親の信仰が、息子アブラハムの人生を守り、導いたのです。

私の母の祈り

 アブラハム・リンカーンのお母さんが彼のために祈っていたことを思うと、私も私の母に祈られてきたことを思い出します。3年前に86才で天に召された母ですが、二人の息子のためにずっと祈り続けてくれた母です。
 祈りとは何かというのは定義をするとそれなりに難しいかと思いますが、私たちクリスチャンにとって「祈りとは神様との会話である」という捉え方があります。その会話の中で、感謝を語ったり、願い事をしたりするのですが、会話である以上、当然この話を聞いてくださる方があると信じているわけです。その相手が神様です。

 私の母はこのキリストの神様を何の疑いもなく信じておりました。ですから、子どものことを祈る時も神様が聞いてくださっていると言う大前提で祈っていたようです。ちょっとした良いことがあると感謝の祈りをし、また毎日私たちの健康のことも祈ってくれたようです。特に私は弟と違って体が弱く、度々熱を出したり、アトピーで体中ひっかき傷で血を流していたりしましたから、私のためには結構健康が与えられるように祈ってくれたと思います。

祈りは単に願い事では

 しかし、神様というお方は私のこういう体の不調を消し去りはされませんでした。あんなに祈る母の祈りがあったにも関わらずです。それは祈りというのがただ願い事を言って、かなえてもらうためにするものではないからでしょう。
 その後、私もクリスチャンになりましたので、私も祈る者となったので、自分の健康のことは当然祈りました。でもなかなか治りません。とは言え、失明しかけた目が祈りだけで治った経験もあるので、祈りとは不思議な気がします。

人のために祈る母の祈り

 考えてみると私よりも母の方が私のためにたくさん祈ってくれました。母の祈りというのはほとんど自分のことは祈ってなかったんじゃないかと思います。いつも家族や親族のことと教会の人々のために、そして、世の中の辛い思いをしている人のことを祈っていたように思います。
 さらに、祈った後はよく讃美歌を歌っていました。でも申し訳ないですが、下手くそでした。この下手くそさは私にも遺伝したみたいです。(笑)

祈りは愛

 私はクリスチャンでないお父さん、お母さん方にも「お子さんのために祈ってあげてください」と言っております。というのは「祈りは愛」だと思うからです。事実、祈られてきてそのように実感しましたし、また私も祈ってそう実感しているからです。
 朝、子どもが幼稚園や学校に出かける時に、「神様、今日も一日お守りください」だけでもいいのです。お父さんやお母さんの目の届かないところに子どもが行きます。でも、神様は見てくださっているので、神様に「よろしくお願いいたします」というような気持ちです。
 リンカーンはそうしたお母さんの祈りを覚えていたようです。祈りは愛だからでしょう。

祈りを教えられる

 リンカーンのお母さんはリンカーンが9歳の時に亡くなられたということですが、この9才というのは非常に微妙な年齢だなあと思います。
 「9才の壁(あるいは10才の壁)」と言われる時期だからです。この時期は、物事を客観的に見る目ができつつあり、抽象的な思考も始まり、観察眼もつき始める時期で、自分中心から他の人の気持ちの理解もできつつある時期です。
 この時期にお母さんを失ったのですから、まだ思春期に入っていないと思われるリンカーン少年、でも子どもから大人になるために脳の回路が変わり始めた時期です。
 お母さんの祈りや言葉を自分の人生にとってとても大事な言葉として受けとめる事ができたのだと思います。

 祈りというのは基本的に自分と神様との間で語り合うものですから、人に聞かせる必要の無いものですが、時に他の方の祈りの言葉を聞いて、「自分も同じ思いだ」と思う事が多々あるものです。そして、神様をほめたたえたり、他の方のために心を込めて祈る祈りの言葉に、心打たれることがあります。子どもたちもそういう大人の祈りに心打たれることがあるのです。子どもも自分で祈れる人になることが大事です。

どう祈ったらよいのか?

 時々、電話で「どう祈ったらよいのでしょうか?」という質問を受けることがあります。その方は辛い思いをしているようなのですが、今まで祈ったことがないのでしょうね。祈り方がわからないというわけです。私は「今、私に話されたように、神様にも話されればいいのですよ」と答えます。
 祈りやすくするためには最初に「神様」と言って祈りを始めると祈りやすいですね。そして、思うまま語ればいいし、願いを打ち明ければいいのです。最後に「イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」と言えばなおいいですね。
 なぜ、「イエス様のお名前によって」と言うかというと、本来罪深い私たちの祈りは神に届かないのです。しかし、イエス様が十字架にかかって私たちの身代わりとなって「彼等をおゆるしください」と父なる神に祈ってくださったのです。父なる神様は子なる神イエスのその犠牲に免じて私たちの祈りを聞いてくださるようになったのです。ですから「イエス様によって」となるのです。「アーメン」という言葉は世界共通語と言われ、「真実です」という意味です。つまり、「私のこの祈りはわたしの心です」という意味を持つのです。
 神様は私たちの真実な思いを分け隔てなく聞いてくださいます。
  最後に有名な「主の祈りを」

    主の祈り
   天にましますわれらの父よ。
   願わくは御名をあがめさせたまえ。
   御国を来たらせたまえ。
   みこころの天になるごとく、
   地にもなさせたまえ。
   われらの日用の糧を
   今日も与えたまえ。
   われらに罪を犯すものを、
   われらがゆるすごとく、
   われらの罪をもゆるしたまえ。
   われらをこころみにあわせず、
   悪より救いいだしたまえ。
   国と力と栄えとは、
   限りなくなんじのものなればなり。             アーメン

子育て通信

Posted by shinnakano